小山田氏

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小山田氏(おやまだし、こやまだし)は、日本の氏族の一つ。

  1. 桓武平氏良文流秩父氏の流れを汲む秩父重弘の子、有重が小山田氏を称する。
  2. 宇佐氏の末裔が小山田氏を称する。
  3. 藤原北家良門流上杉重房を遠祖とし、曾孫である上杉藤成の子、頼顕が小山田氏を称する。
  4. 藤原北家小野宮実頼流の流れを汲み、加治木頼光が子、加治木資頼の末裔が小山田氏を称する。
  5. 藤原北家隆家流の流れを汲む菊池則隆を遠祖とし、菊池経宗が子、菊池経信の末裔が小山田氏を称する。

目次

[編集] 小山田氏 (平姓)

小山田氏(おやまだし)は、武家の氏族。有重が武蔵国小山田荘(東京都町田市)を本領としたことに由来し、鎌倉時代甲斐国へ移り、甲斐東部の都留郡(郡内地方)のうち谷村都留市)を本拠とする。居館は市内大泉寺に比定。

甲斐国志』や「米良文書」、円通廃寺(大月市)の永正17年(1520年棟札によれば桓武平氏良文流秩父将恒(将常とも)の三男・小山田大夫常任(恒時?)が小山田氏を称しており、前九年の役で討ち死にした事が確認される[要出典]が、小山田氏の系譜としては、常任の兄・秩父武基の玄孫である秩父有重系のほうが著名である。有重は小山田氏を称し、その三男である重成稲毛氏を、四男の重朝榛谷氏を、五男の有朝は田奈氏を、六男の重親は小山田氏を、七男の行重は森氏を称した。『勝山記』によれば永正17年に行われた小山田弥太郎13回忌法要の際には施主が藤原姓を称しており、越中守信有の代になり平姓を意識した可能性など検討の余地が指摘される。

小山田一党は秩父党の重鎮として源頼朝鎌倉幕府創立に功を立てたが、一族の畠山重忠の乱に巻き込まれて殆どが粛清された。

鎌倉時代初期にその粛清から逃れた生き残りが甲斐に入府したと言い、承久の乱においては同地から幕府方の東山道軍に加わっている。南北朝時代(『太平記』では小山田高家が湊川の戦い新田義貞の身代わりとして討ち死にした記事が見出される)から室町時代以降にみられる甲斐の小山田氏とは同族とされるが、その経緯ははっきりしてはいない。

鎌倉大草紙』『武田源氏一統系図』によれば南北朝期から甲斐守護武田氏婚姻関係を持つ。明応8年(1499年)には小山田信長が塩山向嶽庵甲州市、旧塩山市)の寺領であった田原郷(都留市)を安堵している。戦国期には甲斐守護で国中(甲府盆地)を治めた武田氏、富士川一帯の河内を治めた穴山氏とともに分立。駿河国今川氏相模国後北条氏伊勢氏)と結んでいたと考えられているが、『勝山記』によれば武田信虎と叔父の油川信恵の抗争では信恵方に属し、永正5年(1508年)には小山田弥太郎が戦死する。翌年には信虎の侵攻を受け、武田氏への従属を条件に和睦し、天正2年(1533年)には甲府に屋敷を持ち武田への帰属を強めるが、外交関係などで一定の独立性は有していたといわれる。享禄3年(1530年)には本拠を中津森館からより発展性の見込める谷村へ移転し、城下町整備を行う。

戦国時代末期に武田氏が尾張の織田信長の侵攻(武田征伐)を受けると、小山田氏最後の当主信茂武田勝頼の亡命を拒否し勢力の保全を図ったが、それまでの武田氏との密接な関係が災いし信長に不忠者として一族滅亡させられ、小山田氏は歴史からその姿を消すことになった。水戸藩に仕えた一族は、信茂の一族と称している。

なお、武田氏の家臣には信茂の系統とは別に巨摩郡石田郷(現在の甲府市上石田・下石田)を領した石田小山田氏も存在し、小山田昌辰などがしられる。

[編集] 郡内領の支配

小山田氏は郡内領主を称しているが、支配領域である谷村領は郡内全域ではなく、小菅氏の治める小菅(小菅村)や西原武田氏の治める西原(以下上野原市)や加藤氏の治める上野原と分立していた。谷村領は桂川流域で、岩殿山(以下大月市)から初狩、大原荘(富士河口湖町、富士吉田市)から山中(山中湖村)にかけての領域であった。

谷村領は東西の交通の要衝であり、江戸時代には甲州街道として整備されている。笹子峠越えで甲府盆地へ抜け武田氏の治める国中と通じ、上野原を経て相模国へも通じる。また御坂峠・籠坂峠越えで駿河国とも通じる鎌倉街道にも通じ、谷村から桂川沿いに吉田へ通じる谷村路も整備された。小山田氏は輸送に関する諸役免除する発給文書を数多く残しており、多国間の流通を支配した。領域の大半が山林であり耕地に乏しいため生業は山稼ぎが主で、穀物は他国からの輸入にたよっていた。

武田氏の御親族衆で領内に独自支配を及ぼしていた穴山氏に対し、譜代家老衆の小山田氏の治める谷村領内では武田氏の支配も及んでおり、富士参詣者の集まる御師町であった吉田や河口などでは、入山料の徴収や棟別銭の賦課や検地が行われており、訴訟裁定を武田氏に委ねることもあった。

[編集] 系図

 秩父重弘
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 畠山重能  小山田有重
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 畠山重忠  稲毛重成                   榛谷重朝  森行重 田奈有朝 小山田重親
        ┣━━━━━━━━┳━━━━━━┓      ┣━━━━┓
     稲毛(小沢)重政  宇都宮頼綱室 綾小路師季室  榛谷重季 榛谷秀重

[編集] 参考文献

  • 渡邉正男「諸勢力の克服と新勢力の台頭」『山梨県史通史編2中世』
  • 黒田基樹「小山田氏の郡内谷村領支配」『山梨県史通史編2中世』

[編集] 関連項目


[編集] 小山田氏 (藤姓)

小山田氏(こやまだし)は、日本の武家の氏族。薩摩国島津氏と共に活動を行う。

伊集院頼久の乱に、伊集院頼久応永21年(1414年)に比志島一族である小山田範清(こやまだのりきよ)の居城小山田城(こやまだじょう)を包囲したが、この戦いに敗れる。

江戸時代最後の改元の慶応期に小山田氏族の長男、小山田袈裟太郎(こやまだけさたろう)が現在の鹿児島県内之浦町に移り渡って来る。内之浦町には、当時の日本地図にも記載されていた小山田湾や現在でも小山田国有林が保護されている。小山田袈裟太郎の息子は、長男の小山田八之進(こやまだはちのしん)、次男の小山田友吉(こやまだともきち)、3男の小山田末吉(こやまだすえきち)に当たる。

現在映画俳優として海外で活躍している小山田真(こやまだしん)は、小山田八之進の直系の子孫であると云われる。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月4日 (日) 06:32 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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