小島事件
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小島事件(おじまじけん)とは、1950年(昭和25年)に静岡県で発生した強盗殺人事件であるが、捜査段階での自白調書の任意性が否定され、無罪が確定した冤罪事件でもある。
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[編集] 事件の概要
1950年5月10日午後11時ごろ、静岡県庵原郡小島村(おじま=現在の静岡市清水区)の農家の二階で、就寝中だったこの家の主婦(当時32歳)が自宅にあった斧で殺害され、現金2500円が奪われた。犯行時、妻の夫は大阪に旅行にいっており不在だった。犯人として地元の農民(当時27歳)を逮捕した。捜査を担当したのは庵原地区警察署と国警静岡県本部であったが、捜査主任だった国警の紅林麻雄警部補は後に静岡県内で数々の冤罪事件を生み出した”拷問王”であった。彼の指示による拷問によって犯行を自供する自白調書が作成され起訴された。
[編集] 裁判
この事件では、物的証拠が皆無であり自白調書のみが有罪認定の決め手であった。一審の静岡地方裁判所は1952年2月に、二審の東京高等裁判所は1956年9月に無期懲役を言い渡した。被告人側弁護人は最高裁判所に上告したが、その理由として自白調書は警察官による拷問と脅迫によって供述したものであり、日本国憲法第38条に違反するとしたうえ、その自白調書も矛盾に満ちたものと主張した。
弁護側によれば自白調書にある凶器の傷の鑑定が警察と第三者とでは食い違っており、また調書によって被害者から奪った時計を「発見」したとしているのに、実際には未発見であった。そのうえ、留置場の同房にいた者の証言によれば被告人が取調べを受けるたびに赤チン(傷薬)などで治療を受けた上に、実況見分の際には左ほほに傷かあったという証言があり、自白調書作成の段階で拷問が行われた形跡があるというものであった。
最高裁は1958年6月13日に、犯人の疑いが濃厚であり、また被告人が主張するほどひどい拷問はなかったのではないかとしつつも、下級審で有罪の決め手となった自白調書の任意性を否定した。判決では「調書の作成過程で不自然な形跡がある」と認定し、「(調書には)かなり無理があり、この調書を事実認定の有力証拠とするのは判断を誤まる採用してはならない証拠を取り上げたものであり、違法性を認めざるを得ず、原判決は破棄しなければ著しく(正義に)反する」として、東京高裁に差戻した。
差戻し審でも、検察はなおも被告人の有罪を主張し1959年9月23日に無期懲役を求刑したが、最高裁で有罪の唯一の証拠であった自白調書の任意性が否定されていたうえに新たな証拠も提出できなかったため12月2日に「犯罪の証明がない」として無罪判決が言い渡された。検察は12月16日に上告を断念し無罪が確定したが、その理由として「幸浦事件では事実誤認を理由に上告したが、この事件はそれほど複雑な事案でもないので見送ることにした」というものであった。
なお、無罪が確定した農民には刑事補償法の規定により約100万円が支給されたが、9年半も冤罪で自由を奪われた。また真犯人は検挙されず1965年に時効が成立した。
[編集] 参考文献
[編集] 関連項目
最終更新 2009年11月3日 (火) 09:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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