小川博
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 栃木県足利市 |
| 生年月日 | 1962年4月2日(47歳) |
| 身長 体重 |
174cm 72kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1984年 ドラフト2位 |
| 初出場 | 1985年 |
| 最終出場 | 1992年 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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小川 博(おがわ ひろし、 1962年4月2日 - )は、栃木県足利市出身、群馬県育ちの元プロ野球選手(投手)。
2004年に強盗殺人事件を起こし、2008年5月以降受刑者の身分である。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] 出生~球界在籍時代
出生は栃木県だが、1歳時に子供に恵まれなかった群馬県在住の大工・清掃作業員夫婦の養子となり、以後養父母の元で育つ。前橋工高では3回甲子園に出場。甘いマスクと豪腕で人気を集め「群玉(群馬の玉三郎)」とよばれ、甲子園のアイドルとなる。卒業後、青山学院大学へ進学、当時東都大学野球連盟で弱小だった青学大野球部の躍進に貢献した。
卒業後の1984年にドラフト2位でロッテオリオンズに入団。甘いマスクもさることながらサイドスローから繰り出す速球と変化球・シンカーが魅力的であった。
元祖ドクターKの異名を持つ。1988年にはオールスターに出場し、5者連続三振を奪う。伝説の10.19の第1試合にも先発した。この年は両リーグ最多の204奪三振を記録し、最多奪三振のタイトル創設のきっかけを作った。なお、シーズン最多奪三振投手で投球回数を上回る奪三振を記録した最初の右投手(左投手ではそれ以前に金田正一、江夏豊が記録している)。
このように華々しい活躍で更に飛躍が期待されたが、翌1989年に肩を痛めてから輝きを取り戻す事はできなかった。1992年に引退、1999年までコーチ。2000年から2002年まで編成担当の球団職員を務めた。2002年に退職。ロッテ退団の際に、台湾球界からコーチのオファーを受けたが、金額面で折り合いが合わず、断っている。
以降は球界を離れ、産業廃棄物処理会社に就職。それ以降小川の消息は2004年秋に下記の事件を起こすまで報道される事はなかった。
[編集] 人生の暗転
2004年11月18日、小川は勤務していた産廃処理会社の会長宅に住み込みで働いていた67歳の女性に土下座して借金を申し込んだものの断られた。このことから逆上した小川は女性を突き飛ばして2階にあった現金入りの封筒を奪い、更にその発覚を恐れて、気を失った女性を車に乗せ約4km先の旧荒川に投げ込み水死させた。
そして事件の約1ヶ月後、2004年12月21日埼玉県警上尾警察署に強盗殺人容疑で逮捕された。逮捕時から、小川は一貫して容疑を認めていた。なお産廃処理会社では営業部長の肩書きで勤務していたが、逮捕前日に解雇されていた。また、ロッテ球団にコーチとして在籍していた頃から多額の借金を重ねる、自己破産宣告(2003年)など経済的に非常に追い詰められた状態であった事が明らかになった。
2005年9月29日、さいたま地裁(福崎伸一郎裁判長)は求刑通り無期懲役の判決を下した。この地裁判決の争点は、どの時点で殺意を持ったと裁判所が判断するかであった。検察側は借金を断られた時点で殺して金を奪おうと考えたと主張した。しかし、福崎裁判長は「借金を断られたからと言って、直ちに殺して金を奪おうと考えたというのはあまりに飛躍がある」と判決の中で述べ、また、突き飛ばした時点で凶器等を使わなかった事からも、計画性の薄い事後的強盗殺人として認定した。
小川は「無期懲役は重過ぎる」と量刑不当を理由に、東京高等裁判所へ控訴していたが、2006年2月23日、東京高裁(仙波厚裁判長)は一審のさいたま地裁判決を支持し小川側の控訴を棄却、二審でも無期懲役の判決を受けた。同裁判長は、判決の中で「引退後も浪費を重ねて金銭的困窮に陥ったのが原因で、動機に酌量の余地はない」と述べた。長いプロ野球の歴史においては、交通事故、八百長、闇賭博、脱税、婦女暴行、強制わいせつ、薬物使用、交通違反隠蔽といった不祥事が発覚し、選手や元選手が検挙された事例はあったが、殺人事件は初であった。
このような前代未聞の事件には、各方面から批判が相次ぎ、現役時代のロッテ監督であった有藤道世は、『サンデーモーニング』のインタビューで「目の前にいたら『死ね』って言ってやりたい」と語った。
[編集] 年度別投手成績
| 年度 | 球団 | 背 番 号 |
登 板 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
投 球 回 |
奪 三 振 |
自 責 点 |
防 御 率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1985 | ロッテ | 26 | 21 | 2 | 3 | 4 | 61.2 | 47 | 32 | 4.67 |
| 1986 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6.1 | 6 | 5 | 7.11 | ||
| 1987 | 40 | 3 | 5 | 0 | 98.2 | 79 | 36 | 3.28 | ||
| 1988 | 31 | 10 | 9 | 0 | 203.2 | 204 | 77 | 3.40 | ||
| 1989 | 14 | 3 | 8 | 0 | 86.2 | 69 | 53 | 5.50 | ||
| 1990 | 20 | 3 | 1 | 1 | 78.1 | 55 | 42 | 4.83 | ||
| 1991 | 一軍出場なし | |||||||||
| 1992 | ||||||||||
| 通算成績 | 132 | 21 | 26 | 5 | 535.1 | 460 | 245 | 4.12 | ||
- 表中の太字はリーグトップの成績
[編集] 関連書籍
- 『地獄に堕ちた有名人』(宙出版 ISBN 978-4776721666)
[編集] 関連項目
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