小沢茂弘

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小沢 茂弘(おざわ しげひろ、1922年8月29日 - 2004年10月12日)は、日本の映画監督。本名小沢茂美(-しげよし)。東映時代劇任侠映画の巨匠である。時代劇ブームの際は片岡千恵蔵主演作で、任侠映画時代は鶴田浩二主演の博徒シリーズで大きな観客動員力を誇った。

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[編集] 略歴

  • 1922年 - 長野県に出生。
  • 1954年 - 「野ざらし姫 追撃の三十騎」で監督デビュー。
  • 1976年 - 「女必殺五段拳」を最後に東映を解雇され、監督を廃業する。
  • 2004年 - 京都市内の病院でリンパ腫によって死去。享年82。

[編集] 作風

  • 同じ仁侠映画の巨匠として知られる山下耕作が芸術面での評価を獲得したのに対し、徹底した娯楽性を追求し、予算や期日を考え確実に作品を仕上げる職人監督であった。その姿勢は膨大な監督本数(約110本)の中で自身の企画が1本もないという経歴からも伺い知れる。
  • プログラムピクチャーを多く手掛け、ハイクオリティーな娯楽作品を多く残したという面では、マキノ雅弘と通じると言える。小沢は約20年間の監督生活で約110本、マキノは約65年で293本の映画を残し、共に「早撮り」で知られている。
  • 脚本:笠原和夫、主演:鶴田浩二で「ヤクザ版『七人の侍』」をテーマに1966年に制作された「博徒七人」は、仁侠映画の黄金キャスト、黄金スタッフが実現した高い完成度を誇る快作である。しかし七人の主要人物をみな身障者に設定したことで、関係団体からクレームを受けこれまで一度もソフト化されていない。ただし作中で差別的な表現はほとんど見られず(笠原も小沢も「個性の一環」としてそうした設定を演出した。背景には仁侠映画が乱発された当時、いわゆる「ネタ切れ」を起こしていたことによる)、作品自体の評価と相まって現在では「カルトムービー」として知られている。
  • 全盛期には高い観客動員力を背景とした傲慢な態度で撮影所を闊歩していたため、「小沢天皇」と陰口を叩かれていた。また新作に向けての本読み(脚本家が自身の本を読み上げ、監督やプロデューサーらの批評を仰ぐ場)では、意に沿わないシナリオが上がると「チートモ面白ないわ!」と大喝して脚本家を震え上がらせた。そうした態度が、衰退期以降に下記の東映追放の遠因となったと言われている。
  • 監督となってからは東映一筋であり、多くの人気作品を残したが、50代半ばの若さで業界から姿を消す。その背景には、社長となった岡田茂に嫌われ、TVドラマの仕事さえほとんどすることができなくされたことが原因といわれている。後に占い師に転業したという異例の経歴を持つ。自著(共著)「困った奴ちゃ」にも易者姿のポートレートが収められている。同著では映画諸作品とその後の転々とした職歴が語られている。

[編集] 主要監督作品

[編集] 著書

最終更新 2009年8月1日 (土) 07:32 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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