小泉信三
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| 日本の経済学者 | |
|---|---|
| 生年月日: | 1888年5月4日 |
| 没年月日: | 1966年5月11日 |
| 学派: | 古典派経済学 |
| 研究分野: | デヴィッド・リカードの経済理論 |
| 影響を受けた人物: | 福田徳三、堀江帰一 |
| 特記すべき概念: | 自由主義の立場から共産主義及びマルクス経済学を研究した上で合理的な批判をした |
小泉 信三(こいずみ しんぞう、明治21年(1888年)5月4日 - 昭和41年(1966年)5月11日)は、大正・昭和期の経済学者。今上天皇の皇太子時代の師父。昭和8年(1933年)~昭和22年(1947年)まで慶應義塾塾長。父親は第二代慶應義塾塾長(明治20年(1887年) - 明治23年(1890年))や、横浜正金銀行支配人などを歴任した小泉信吉(こいずみ・のぶきち)。
目次 |
[編集] 経歴
明治21年(1888年)5月4日、東京市芝区に旧紀州藩士で小泉信吉と千賀の第三子として生まれる。東京府・芝區・御田小学校卒業。明治43年(1910年)慶應義塾大学部政治科を卒業し、慶應義塾の教員となる。大正元年(1912年)に研究のためヨーロッパに留学し、イギリス、フランス、ドイツの各大学で学ぶ。イギリスへの留学中、小泉は大正2年(1913年)のウィンブルドン選手権を観戦したことがあり、当時大会4連覇中だったアンソニー・ワイルディングの著書“On the Court and Off”(テニスコートの内外で)を現地から日本に送り、大学の後輩たちに「硬式テニス」を推薦した。
大正5年(1916年)、帰朝後に慶應義塾大学教授となり、デヴィッド・リカードの経済学を講義する。また、自由主義者の立場に立脚し、共産主義、マルクス経済学に対し徹頭徹尾合理的な批判を加えていった。昭和8年(1933年)に慶應義塾塾長に就任する。しかし、時代は急速に軍国主義化し、長男の小泉信吉(こいずみ・しんきち)は戦地に出征し、第二次世界大戦で戦死した。小泉自身も東京大空襲で焼夷弾により顔面に大やけどを負う悲劇に見舞われた。愛息を喪った小泉は、『海軍主計大尉小泉信吉』を著し私家版として関係者に配った。没後に公刊された。
戦後の昭和24年(1949年)、継宮明仁親王(現・今上天皇)の教育掛(東宮御教育常時参与)として、「ジョージ5世伝」などを講義し、立憲君主としての心構えを新時代の帝王学として説いた。昭和29年(1954年)、コロンビア大学より人文学名誉博士号を贈与される。昭和34年(1959年)11月、文化勲章を受章。昭和41年(1966年)5月に急逝。
彼の死後、慶應義塾はその業績を記念し「小泉基金」を設立、それに基づいて昭和43年(1968年)から「小泉信三記念講座」が実施されている。没後10年を記念し昭和51年(1976年)から全国高校生小論文コンテスト「小泉信三賞」が行われている。
[編集] 小泉と共産主義
小泉は共産主義の批判者であったが、同時に共産主義を深く研究していたことは特筆すべきことである。小泉が社会主義に興味を持つ切っ掛けとなったのは、幸徳秋水等が処刑された大逆事件である[1]。
著書の『共産主義批判の常識』は新潮社より刊行され、後に講談社より文庫化(講談社学術文庫)されたもので、小泉の著書の中でもっとも多くの人の目に通されたものである。塾長退任後、マルクス・レーニン主義が国家再生の思想として流行しつつあった状況を憂慮し昭和24年(1949年)に発表された『共産主義批判~』はベストセラーとなった。これは昭和初期の共産主義批判の論文と内容に大差はないが、戦後のソ連共産主義についての直接の言及が多くなっている。この流れで講和問題でもソ連とは与せず単独講和論を主張している[2]。
[編集] 小泉とスポーツ
大正11年(1922年)から塾長就任の前年である昭和7年(1932年)までの期間庭球部部長をつとめるなど、慶應義塾體育會(体育会)の発展にも力を尽くした。「練習ハ不可能ヲ可能ニス」の言葉は有名。(『練習は不可能を可能にす』に詳しい)昭和18年(1943年)10月の出陣学徒壮行早慶戦(「最後の早慶戦」)は、戦地に赴かざるを得ない学生たちにせめて餞をとの小泉の思いから始まった。このほか東京六大学野球連盟からの懇願を受け、ただ一人体育審議会で野球弾圧の無意味さを説き、強烈な反対の論陣をもって軍部・官僚たちを沈黙させた。このように野球との関わりも深く、昭和51年(1976年)、野球殿堂入り。
- 石坂浩二が演じた:『ラストゲーム 最後の早慶戦』(2008年公開)
- 石坂自身も慶應義塾大学卒業生である。
[編集] 伝記・資料
- 『アルバム 小泉信三』 山内慶太, 神吉創二, 都倉武之編、慶應義塾大学出版会、2009年8月、ISBN 4766416651
- 『父 小泉信三を語る』 小泉タエ(妙):山内慶太, 神吉創二, 都倉武之編、慶應義塾大学出版会、2008年5月、ISBN 4766415264
- 『練習は不可能を可能にす』 小泉信三:山内慶太, 神吉創二編、慶應義塾大学出版会、2004年4月、ISBN 4766410629
- 『青年小泉信三の日記 : 明治四十四年-大正三年 東京-ロンドン-ベルリン』 慶應義塾大学出版会、2001年11月、ISBN 4766408659
- 『留学生小泉信三の手紙』 小泉タエ解説、文藝春秋、1994年、ISBN 4163489509
- 今村武雄 『小泉信三伝』 文藝春秋 1983年、文春文庫 1987年
- 秋山加代 『叱られ手紙 父小泉信三からもらった手紙』 文藝春秋、1981年、文春文庫 1999年
- 秋山加代 『辛夷の花 父小泉信三の思い出』 文藝春秋、1976年、文春文庫、1986年
- 秋山加代、小泉タエ 『父小泉信三』 毎日新聞社 1976年、文春文庫、1983年
- 『小泉信三先生追悼録』 和木清三郎編、新文明社、1966年
[編集] 著書
- 『小泉信三全集』 文藝春秋全28巻、1967-70年
- 第25巻「書簡集」は上下巻、最終巻は別巻で写真などの回想集。
[編集] 没後の重版再刊
- 『ペンは剣よりも強し』 恒文社、1997年1月、ISBN 4770409036
- 『私の福沢諭吉』 講談社学術文庫、1991年2月、ISBN 4061589598
- 『ジョオジ五世伝と帝室論』 文藝春秋、1989年3月、ISBN 4163430601
- 『平生の心がけ』 講談社学術文庫、1988年、ISBN 4061588524
- 『わが文芸談』 現代日本のエッセイ:講談社文芸文庫、1994年、ISBN 4061962728
- 『マルクス死後五十年』 泉文堂、1987年11月、ISBN 4793001033
- 『近代経済思想史』 慶應通信、1987年10月、ISBN 4766403827
- 『現代の随想.4 小泉信三集』 秋山加代編 弥生書房 1981年、ISBN 4841505067
- 『共産主義批判の常識』 講談社学術文庫、1976年、ISBN 4061580442
- 『海軍主計大尉小泉信吉』 文芸春秋新社、1966年1月、文春文庫 1975年、ISBN 4167130017
- 『福沢諭吉』 岩波新書青版、改版・ISBN 4004131162、単行版1994年
- 『読書論』 岩波新書青版、改版・ISBN 4004150876
[編集] 主な初版本
- 『私の履歴書 小泉信三』 日本経済新聞社、1966年8月(遺著)
- 『座談おぼえ書き』 文藝春秋、1966年
- 『わが日常 自選随筆』 新潮社、1963年
- 『十日十話』 毎日新聞社、1962年2月
- 『この一年』 新潮社、1959年
- 『小泉信三選集』 文芸春秋新社全5巻、1957年
- 『國を思ふ心』 文芸春秋新社、1955年
- 『外遊日記』 文芸春秋新社、1954年
- 『平和論』 文芸春秋新社、1952年2月
- 『初學經濟原論』 泉文堂、1952年
- 『今の日本』 慶友社、1950年8月
- 『文学と経済学』 勁草書房、1948年
- 『社会思想史研究』 和木書店、1947年4月
- 『大学生活』 岩波書店、1939年12月
- 『アメリカ紀行』 岩波書店、1938年5月
- 『支那事變と日清戰爭』 慶應出版社、1937年
- 『師・友・書籍』 岩波書店、1936年7月
- 『学窓雑記』 岩波書店、1936年7月
- 『アダム・スミス、マルサス、リカアドオ 正統派經濟學研究』 岩波書店、1934年
- 『近世社會思想史大要』 岩波書店、1928年
- 『社會組織の經濟理論的批評』 下出書店、1921年11月
[編集] 関連人物
- 徳富蘇峰 - 徳富の福澤諭吉の思想批判に対して論争をする。
- 野呂栄太郎 - マルクス経済学研究の便宜をはかる。
- 福田徳三 - 学生時代の師。
- 堀江帰一 - 学生時代の師。
- 高橋誠一郎 - 経済学部の同僚、経済学説史。ライバルとして「両雄並び立たず」と評されることもあった。
- 水上瀧太郎 - 御田小学校以来からの親友。全集は岩波書店から出された。
- 久保田万太郎-慶應出身の作家・演劇人
- 安倍能成 - 同時期に亡くなった学習院長で、漱石の弟子。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月8日 (日) 08:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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