小畠虎盛

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小畠虎盛
時代 戦国時代
生誕 1491年文明13年)
死没 1561年7月14日永禄4年6月2日
改名 孫十郎(幼名)、虎盛、日意(号)
別名 鬼虎(渾名)
官位 山城守(自称)
主君 武田信虎信玄
氏族 小畠氏(小幡氏
父母 父:小畠虎次(小幡盛次)
兄弟 虎盛貞長(光盛)
昌盛

小畠 虎盛(おばた とらもり)は、戦国時代武将武田信虎武田信玄の2代に仕える。幼名を孫十郎。山城守。後に剃髪して日意と号す。小畠虎次(日浄)の子。小幡昌盛の父。武田の五名臣の一人。なお小幡姓とするのは誤り。(小幡氏上野国の武家の名で、子の昌盛が信玄に許されて名乗ったもの。なお、虎盛は上野小幡氏の遠縁とする系図もある)。

元々は遠江国の出身で、父親が武田信虎に仕官したのに伴い甲斐国に入る。1504年永正元年)に父が今井信是の叛乱鎮圧に出陣して討死すると14歳で家督を継いだ。信虎麾下の足軽大将として甲斐国統一戦や今川氏後北条氏との戦いで活躍、その戦功から信虎の偏諱を受けて「虎」の一字を貰い、虎盛と名乗って、その武勇から「鬼虎」と称された。

1541年天文10年)信虎追放後は信玄に従って活躍、1551年(天文20年)に信玄が入道すると原虎胤真田幸隆らとともに剃髪して日意と号す。永禄年間には高坂昌信の副将として海津城に入り対上杉氏の抑えとして活躍、1561年(永禄4年)6月に病死。享年71。遺言の「よくみのほどをしれ」は有名。生涯で36回の合戦に参加して貰った感状も36枚、41ヶ所の傷を受けた歴戦の勇将である。

最終更新 2009年9月20日 (日) 20:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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