小野寺五典
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| 生年月日 | 1960年5月5日(49歳) |
|---|---|
| 出身地 | |
| 出身校 | 東京水産大学水産学部海洋環境工学科卒業 東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了 |
| 学位・資格 | 修士 |
| 前職 | 宮城県職員 |
| 所属委員会 |
衆議院外務委員会理事 衆議院北朝鮮による‐ 拉致問題等に関する特別委員会委員 |
| 世襲 | 無 |
| 選出選挙区 | 宮城県第6区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 所属党派 | 自由民主党・宏池会 |
| 党役職 | 外交部会会長代理 水産部会副部会長 宮城県第六選挙区支部長 宮城県支部連合会長 |
| 会館部屋番号 | 衆・第二議員会館432号室 |
小野寺 五典(おのでら いつのり、1960年5月5日 - )は日本の政治家である。自由民主党所属の衆議院議員。
自民党内では古賀派に所属。松下政経塾第11期生。第3次小泉内閣の外務大臣政務官。安倍改造内閣および福田康夫内閣の外務副大臣。宮城県気仙沼市出身。元・気仙沼市長小野寺信雄は義父。
目次 |
[編集] 来歴
宮城県気仙沼高等学校・東京水産大学水産学部海洋環境工学科(現・東京海洋大学)卒業後、1983年から1990年まで宮城県職員として主に水産資源の研究を担当。1993年に東京大学大学院法学政治学研究科修士課程を修了。その後東北福祉大学で教鞭を執るようになり、専任講師を経て1996年に助教授へ就任。
1997年、衆議院宮城6区の補欠選挙に自民党公認で立候補し初当選。しかし選挙区内の有権者に線香セットを配ったことが公職選挙法における寄付行為の禁止に抵触したため、仙台地方検察庁に書類送検され2000年、議員を辞職する。辞職表明の記者会見では「公選法を不勉強ゆえの、軽率な行動を反省している」と号泣しながら詫びる様子がテレビでも放送された。数日後の朝日新聞の取材に対し、「(線香セットを配るのが違法になるとは)知らなかったが、『知らない』では済まされない」とコメントしている。略式命令で罰金40万円(公民権停止3年)の判決を受けた。宮城6区の前職・菊池福治郎も公選法違反(秘書である長男の買収容疑による連座制適用)で辞職しており、小野寺の辞職により宮城6区では衆議院史上初の“補選の補選”が行われた。
議員辞職後、アメリカジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所客員研究員を経て東北福祉情報専門学校理事長、東北福祉大学特任講師に就任する。この間、東北放送ラジオにコメンテーターとして出演したこともあった。
公民権停止が解けた後、2003年の第43回衆議院議員総選挙に宮城6区から自民党公認で立候補し当選、国政復帰を果たす。
2005年の第44回衆議院議員総選挙は自民党公認に加え、公明党からも推薦を得て3選。当選直後の9月22日、第3次小泉内閣において外務大臣政務官に就任。
2007年8月29日、安倍改造内閣において外務副大臣に就任。
2007年9月27日、福田康夫内閣において安倍改造内閣に引き続き外務副大臣に再任。10月8日にイランで邦人誘拐事件が発生したことを受け、外務省緊急対策本部長に就任した。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に自民党公認、公明党推薦で立候補し4選。宮城県6つの小選挙区で唯1人の当選者となった。 [1] 9月9日、自民党宮城県連の会長に就任。
自民党の衆院選惨敗直後の総裁選で、中堅・若手議員の間から待望論が持ち上がり、本人も「次期総裁を派閥のボスたちが決めれば自民党は終わる」「長老たちではリフォームしかできず、自民党に明日はない。若手なら思い切って党の全面的な立て直しができる」と意欲をみせ、一時は立候補に必要な推薦人集めに奔走した。[1]しかし「推薦人の壁で中堅、若手の3人(小野寺、河野太郎、西村康稔)とも立候補できない可能性もある。新しい自民党をつくるため一歩下がることを決意した」と自身の立候補は断念した。[2]立候補した谷垣禎一は同じ古賀派だが、「党再生には中堅・若手が存在感を示し、古い体制を壊して新しく創り直す覚悟が必要」であるとして、河野太郎に投票した。「もう派閥に戻る場所はないと思っている」と述べている。
[編集] 人物
- 近年は『ビートたけしのTVタックル』などテレビ番組にも積極的に出演している。
- 公選法違反で辞職経験があるものの外務副大臣就任に異を唱える声は他党やマスコミからも特に聞かれなかった。佐藤孝行(元衆院議員、受託収賄罪で有罪判決)が総務庁長官就任時に世論や他党から手厳しく批判され、わずか12日で辞任に追い込まれたのとは対照的である。
- 衆議院選挙の第一声は、いつも大崎市岩出山地区(旧・岩出山町)の中心部で行っている。これは、仙台市の県選管から七つ道具が届くのが最も近い場所だからである。
- 2008年12月5日の衆議院予算委員会で、民主党の仙谷由人の質問中に野次を飛ばし、仙谷から「お前、君も品性下劣だなぁ、小野寺君」と批判された。また別の民主党議員には、質問者席の後ろで野村克也のようなぼやきを発すると指摘された。ただ本人はテレビ番組で、当選1回でも質疑に立てる民主党議員がうらやましいと語った。
- 脱政党を掲げ、反自民の立場だった元宮城県知事浅野史郎からも、自民党国会議員の中でただ1人、当選直後に駆けつけてもらい祝福を受けたことがある。マラソンが得意な浅野に小野寺が大会で何度か勝負を挑み、勝利したこともある。
[編集] 所属団体
[編集] 著作
- 『一票の値段-有権者の権利が危ない!棄権しても政治のツケは払わされる-』三天書房、1996年2月。
[編集] 脚注
- ^ 衆院選小選挙区 自民128人推薦 2009年8月7日公明新聞
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年10月26日 (月) 00:46 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【小野寺五典】変更履歴

