少年画報
少年画報の最新ニュースをまとめて検索!
![]() |
| ウィキポータル |
| 漫画作品(日本) |
| 漫画家(日本) |
| 漫画原作者 |
| 漫画雑誌 |
| カテゴリ |
| 漫画作品 |
| 漫画 - 漫画家 |
| プロジェクト |
| 漫画作品 - 漫画家 |
| 漫画雑誌 |
| お知らせ |
|---|
| 漫画記事での括弧の使用方法の変更が提案されています。 |
『少年画報』(しょうねんがほう)はかつて少年画報社が発行していた日本の月刊少年漫画雑誌(最後の約2年半の間のみ隔週刊)。略称は「少画」。当時の少年誌の発行部数では常に上位に位置していた。また、執筆陣も藤子不二雄、手塚治虫等かつてトキワ荘に住んでいた者を含む錚々たる面々がいた。
戦後間もない1948年(昭和23年)に『冒険活劇文庫』として創刊され、1950年(昭和25年)4月号より『少年画報』と改題した。当時、まだ少年向けのマンガ雑誌という現在では当たり前のジャンルが確立していない時代に少年を対象とした漫画雑誌を刊行して漫画家の修練の場ともなった。『少年画報』誌でデビューして後に大成した者も多くいる。1960年代前半は後発の他誌により発行部数が伸び悩むが、「マグマ大使」「怪物くん」「ロボタン」などの人気で盛り返し、更にそれらの作品がテレビ化された事で、テレビとのタイアップをメインにする様になる。しかし作品の終了と共にまた発行部数が伸び悩み、1969年(昭和44年)途中からは隔週刊の発行に改めるも振るわず、1971年に少年キングに合併という形で休刊に至る。
[編集] 連載された主な漫画
- 永松健夫「黄金バット」(1948年8月創刊号-1949年12月号、1950年新年号-5月号、1952年8月号-1953年8月号、井上智作画版:1967年4月号-1968年3月号)
- 手塚治虫「サボテン君」(1951年4月号-1953年3月号)
- 福井英一・武内つなよし「赤胴鈴之助」(1954年8月号-1960年12月号、1964年4月号-1965年3月号)
- ※福井は第1回執筆後に急逝し、それ以後は武内が引き継いだ。
- 桑田次郎「まぼろし探偵」(1957年3月号-1961年12月号)
- ※当初のタイトルは「少年探偵王」
- 山根赤鬼・山根青鬼「でこちん」(1961年6月号-1969年8月号)
- 森田拳次「ポパイ」(1961年10月号-1965年4月号)
- 藤子不二雄「怪物くん」(1965年2月号-1969年5月号)
- 赤塚不二夫(原作)・長谷邦夫(作画)「しびれのスカタン」(1965年4月号-1968年9月号)
- 手塚治虫「マグマ大使」(1965年5月号-1967年8月号)
- 森田拳次「ロボタン」(1966年9月号-1968年9月号)
- 楳図かずお「猫目小僧」(1967年12月号-1968年5月号)
- 梶原一騎(原作)・中城けんたろう(作画)「キックの鬼」(1969年2月号-1971年8号)
- 梶原一騎(原作)・福原秀美(作画)「友情山脈」(1969年14号-1970年15号)
- 赤塚不二夫(原作)・佐々木ドン(作画)「48チビ」(1970年15号-1971年11号)
- 石森章太郎「アマゾネス」(1970年20号-1971年25号)
- 叶バンチョウ「殺し屋0758」(1971年3号-11号)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 Text is available under GNU Free Documentation License.
最終更新 2009年8月7日 (金) 04:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【少年画報】変更履歴



