尾辻秀久
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| 生年月日 | 1940年10月2日(69歳) |
|---|---|
| 出身地 | 鹿児島県加世田市(現・南さつま市) |
| 出身校 | 防衛大学校(中退) 東京大学(中退) |
| 学位・資格 | - |
| 前職 | 鹿児島県議会議員(2期) 日本遺族会 副会長 (元)総務政務次官 (元)沖縄開発政務次官 (元)財務副大臣 (元)厚生労働大臣(第2次小泉改造内閣) |
| 世襲 | 無 |
| 選出選挙区 | 比例区(2013年改選) |
| 当選回数 | 4回 |
| 所属党派 | 自由民主党(額賀派) |
| 党役職 | 参議院議員会長 恩給制度調査会長 |
| 会館部屋番号 | 参・議員会館530号室 |
尾辻 秀久(おつじ ひでひさ、1940年(昭和15年)10月2日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員。自民党参議院議員会長。
2004年9月27日発足の第2次小泉改造内閣で厚生労働大臣を務めた。日本会議代表委員、日本遺族会副会長。発達障害の支援を考える議員連盟会長、医療現場の危機打開と再建をめざす国会議員連盟会長、たばこと健康を考える議員連盟共同代表世話人、 医薬品のネット販売に関する議員連盟会長。
目次 |
[編集] 年譜
- 1940年:鹿児島県加世田市(現南さつま市)出身、父の秀一は駆逐艦「夕霧」艦長(海軍少佐、1943年11月25日戦死)、3歳の時に父を亡くす
- 1958年:鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業
- 1961年:防衛大学校中退
- 1971年:東京大学教養学部中退
- 1979年:鹿児島県議会議員選挙で初当選
- 1986年:衆議院選挙 (旧鹿児島1区) で落選
- 1989年:参議院議員選挙(比例)で初当選
- 1992年:総務政務次官に就任
- 1994年:沖縄開発政務次官に就任
- 2003年:財務副大臣に就任
- 2004年:厚生労働大臣に就任
- 2005年:参議院予算委員長に就任
- 2007年:第21回参議院議員通常選挙で自民党が大敗した責任を取り青木幹雄自民党参議院議員会長が辞任したことを受け、後任の会長に無投票で選出
[編集] 活動
- 厚生労働大臣在任時
- 障害者自立支援法を成立させ、議論を喚起する。
- がん対策に力を入れる。前任の厚労相であった坂口力からがん診療の「均てん化(全国的に質の高い医療を実現する)」のテーマを引き継ぎ、2005年5月には「がん対策推進本部」を設置した。在任中の2005年8月に「がん対策情報センター」予算の骨格が決まる。
- 参議院議員会長
- 参議院で野党か多数を占めるねじれ国会の下、温厚な人柄で野党にも人望が厚いことから、対野党や参院の独自性発揮が期待され抜擢された。
- その他
- ドミニカ共和国への日本人移住者問題解決を進める国会議員懇談会会長を務め、ドミニカ移民問題解決に尽力。政府の謝罪を引き出し、ドミニカ移住50周年記念祭首相特使として、ドミニカを訪問、小泉総理の「おわび談話」を移民に手渡す。その後、政府が移民に見舞金を支払う議員立法を成立させ、政府と移民を和解させる中心人物となった。
- 自由民主党の「患者中心のがん医療を推進する議員の会」の会長でもあり、2006年6月に成立したがん対策基本法の制定に尽力した。これに関連し、民主党における同法の推進役だった山本孝史参院議員(2007年12月22日死去)とも親交があり、2008年1月23日には参院本会議場で、時折涙ぐみ、声を詰まらせながら感動的な哀悼演説を行った。
- 自殺対策基本法の成立にも尽力。超党派の議員立法に関わることが多い。後期高齢者医療制度の導入にも関わる。
- 2009年1月30日の参議院代表質問において、麻生太郎首相に対して構造改革の矛盾を指摘し、「野に下るのは恥ずかしくない。恥ずべきは政権にあらんとして、いたずらに迎合すること。毅然と進む首相にご一緒します」と発言し野党から喝采を浴びた。
[編集] 政治理念・政策など
- キャッチフレーズは「虫の目になる」。政治家は全体を見る鳥の目と細かいところを見る虫の目が必要だが、自分は虫の目を持って政治活動に臨み、光のあたらないところに光をあてたいと言う意味。
- 「骨太の方針2009」の閣議決定にあたり、社会保障費の自然増を毎年2200億円削減する骨太06の方針に猛反発し、2010年度予算編成には適用しないことを与謝野経済財政担当大臣に約束させた。
- 消費税率引き上げ、たばこ税率引き上げ、高負担高福祉を主張する増税派。
- 小泉改革に対しては、弱者や地方を切り捨てたと批判的である。
- 人権擁護法案に関しては断固反対の強硬姿勢を見せている。
- 社会的弱者に対する温かさが基本姿勢である。
- 医薬品のネット販売に関する議員連盟会長として、医薬品のネット販売規制推進の中心的役割を果たした。
[編集] 私生活
- 三女の父。一子、二子は双子。
- 防衛大学校に入学するも、母の死にあい、家族の生活を支えるため退学してアルバイトに従事。その後23歳で東大に入りなおすという異色の経歴を持つ。東大在学中の1966年から海外を放浪。「ちょっと外国に行たっくっで」と軽い気持ちで出かけたが、やがて東大紛争で授業もなくなり、放浪は5年に及んだ。結婚式では旅行先の風土病が発病、終了後、病院へ。病原の標本が鹿児島の病院にあるらしい。
詳細は「ヒッピー」を参照
- 帰国後は旅行家・ルポライターとして活動、著作が第1回大宅賞候補ともなった。
- 実妹は尾辻義(新体操の名門鹿児島純心女子高校で創部以来20年に渡って監督を務め(この間にインターハイ団体12連覇を達成)、その後政界に転身して現在は鹿児島県議会議員を務める)。
- 大のワイン好き。赤しか飲まない。
- 防衛大学校在学中、箱根駅伝に出場した経験を持つスポーツマンである。いまでもエレベーターを使わず、階段を駆け上がる姿が目撃される。
[編集] 著書
- 『ボッケモン世界を行く』
- 『続ボッケモン世界を行く』
- 『アフリカ旅日記』
- 『旅また人生』
[編集] 外部リンク
- 公式ホームページ
- 尾辻秀久 略歴
- 日本医師会 - 第2次小泉改造内閣/尾辻秀久氏、厚生労働大臣に就任
- 平成20年1月23日参議院本会議 故山本孝史参議院議員哀悼演説(前半)
- 平成20年1月23日参議院本会議 故山本孝史参議院議員哀悼演説(後半)
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代: 小野清子 |
2006年 - 2007年 |
次代: 鴻池祥肇 |
| 官職 | ||
| 先代: 坂口力 |
第4・5代:2004年 - 2005年 |
次代: 川崎二郎 |
| 党職 | ||
| 先代: 青木幹雄 |
自由民主党参議院議員会長 第26代 : 2007年 - |
次代: 現職 |
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最終更新 2009年11月6日 (金) 13:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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