尾道鉄道

尾道鉄道の最新ニュースをまとめて検索!

尾道鉄道
旧尾道鉄道4号トンネル(2005年8月)
旧尾道鉄道4号トンネル
(2005年8月)
路線総延長 17.1 km
軌間 1067 mm
電圧 600 V 架空電車線方式 (直流)
最大勾配 50 パーミル
最小半径 80 m
BHF
0.0 尾道
exSTRrg eABZrf
exHST STR
0.2 御所橋(仮)
exSTR STRlf
山陽本線
exBHF
0.4 西尾道
exBHF
0.9 地方事務所裏
exBHF
1.5 青山病院前
exBHF
2.2 宮ノ前
exBHF
2.9 栗原
exBHF
3.7 尾道高校下
exBHF
三美園
exBHF
5.9 三成
exKDSTl exABZrf
exBHF
6.5 木梨口
exBHF
7.3 遊亀橋
exBHF
8.0 木頃本郷
exSTR
↑1964年廃止区間
exBHF
9.1 石畦
exSTR
↓1957年廃止区間
exTUNNEL1
exTUNNEL1
exBHF
西校上
exTUNNEL1
exTUNNEL1
exTUNNEL1
exTUNNEL1
exBHF
13.3 標高225m
exTUNNEL1
exTUNNEL1
exABZfg exKBHFr
15.0 諸原
exKBHFe
17.1

尾道鉄道(おのみちてつどう)は、かつて広島県尾道市御調郡御調町(現在の尾道市の一部)を結ぶ鉄道路線を有していた鉄道事業者である。

目次

[編集] 概要

当初は尾道 - 上下間の免許を得て、また現在の三次市に至る支線も計画していたが、不況等のため実現せず、尾道市近辺の区間を開業したのみにとどまった。

尾道市街地と山中の集落を結ぶ盲腸線であり、営業成績は運行当初から余り芳しいものとは言えず、モータリゼーションの進行に伴い1964年までに廃止され、路線バスの運行に切り替えられた。

会社自体はその後も社名を変更せずバス事業者として営業を続けたが、1970年にニコニコバスに吸収合併され解散。事業はニコニコバスから社名変更した中国バスに引き継がれた。

[編集] 路線データ

  • 路線距離(営業キロ):17.1km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:18駅(起終点駅、御所橋駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:全線電化(直流600V)
  • 閉塞方式
    • 尾道 - 三成間:タブレット閉塞
    • 三成 - 市間:票券閉塞

[編集] 運行

  • 運行回数
    • 第二次世界大戦前:16-17往復
    • 1954年(昭和24年)頃:14往復
    • 1959年(昭和29年)頃:21往復
    • 1962年(昭和37年)現在:尾道 - 石畦20往復、尾道 - 三成不定期1往復
  • 所要時間
    • 第二次世界大戦前:尾道 - 市55-56分
    • 戦後1950年頃まで:尾道 - 市60-70分
    • その後:尾道 - 市50-59分
    • 1962年(昭和37年)現在:尾道 - 石畦25-27分
  • 貨物列車
    • 1962年(昭和37年)現在:定期なし、臨時で尾道 - 西尾道に国鉄貨車を電動客車が牽引する

[編集] 歴史

  • 1913年(大正2年)8月15日 御調郡栗原村(西尾道)- 市村 - 甲奴郡上下町間軽便鉄道法免許
  • 1918年(大正7年)12月20日 尾道軽便鉄道会社設立
  • 1923年(大正12年)5月3日 尾道鉄道に社名変更届出
  • 1925年(大正14年)11月1日 西尾道 - 石畦 (5M38C) 直流600V動力で開業
  • 1926年(大正15年)4月28日 石畦 - 市 (4M77C) 開業
  • 1931年(昭和6年)9月12日 御所橋(仮)- 西尾道を開業
  • 1933年(昭和8年)3月28日 尾道 - 御所橋(仮)を開業。尾道 - 市 (17.1km) 全線開通。同時に国鉄との連絡運輸を開始
  • 1941年(昭和16年)9月 尾道自動車を合併。路線バス事業を兼営
  • 1946年(昭和21年)8月13日 市行き列車が畑駅付近で故障。勾配を逆走し、石畦駅北方のカーブで脱線転覆。死傷者多数
  • 1957年(昭和32年)2月1日 石畦 - 市を廃止
  • 1964年(昭和39年)8月1日 尾道 - 石畦を廃止し鉄道事業廃止。これ以後、社名を変更しないままバス専業となる
  • 1970年(昭和45年)2月 ニコニコバスに吸収合併され会社解散。同時にニコニコバスは社名を中国バスに改称

当初、終点の市駅を起点に連絡バスを走らせていたが、並行する国道184号の改良に伴い、次第に尾道駅からの運行に切り替わっていった。このため、自社の路線バスが鉄道部門のライバルとなるという事態となった。特に石畦以北ではバスの方が集落に近い場所を走り利便性に優れていたため、鉄道利用客を奪っていったと伝える。

[編集] 駅及び施設

※呼称は廃止時点のもの。御所橋は仮駅。

尾道 - 御所橋(仮) - 西尾道駅 - 地方事務所裏駅 - 青山病院前駅 - 宮ノ前駅 - 栗原駅 - 尾道高校下駅 - 三美園駅(さんびえん)- 三成駅(みなり)- 木梨口駅 - 遊亀橋駅(ゆうきばし)- 木頃本郷駅(きごろほんごう)- 石畦駅(いしぐろ)- 西校上駅(にしこううえ)- 畑駅 - 諸原駅 - 市駅(いち)

路線中の最高所は畑駅。諸原駅は高低差があるためスイッチバックであった。車庫および変電所は三成に設けていた。また、旧栗原駅の北側には1988年山陽新幹線新尾道駅が設けられている。

[編集] 接続路線

事業者名は廃止時点のもの

[編集] 車両

※廃止時点で在籍した車両

[編集] 電車

尾道鉄道では、電動車に「デキ」(ンドウャクシャの略)、制御車付随車に「キ」の記号を使用した。

デキ15・16
1953年自社工場製
デキ21
1925年梅鉢鉄工所製のデキ1を改造したもの。開業時から使用されており、もとは2軸車であったが、1957年に車体延長を行いボギー車となり、デキ21に改番
デキ25
1948年広瀬車輌製の水間鉄道モハ55を譲り受けたもの
デキ31・32
1959年自社工場製。尾道鉄道最後の新製車両で窓枠がアルミサッシとなっていたが、台車は流用品であった。製造からわずか5年で廃線により他車とともに廃車
デキ45
1926年日本車輌製の名古屋鉄道モ458を1947年に譲り受けたもの。もとは各務原鉄道KB1形8
キ51
1947年日本鉄道自動車製の近江鉄道クハ21を1961年に譲り受けたもの。譲受時に運転台は撤去
キ61
1929年日本車輌製の近江鉄道カハ100を1947年に譲り受けたもの。もとは芸備鉄道(現・芸備線)のガソリンカーのキハ2として製造された後、八日市鉄道に譲渡され、さらに同社が近江鉄道に合併されたのち、客車に改造、後に尾道鉄道に入線

[編集] 貨車

ト152・153(ト151形)
1925年梅鉢鉄工所製の無蓋車。当初は151-155の5両があったが、廃止時には上記2両のみであった。

[編集] 現況

尾道鉄道線は尾道駅の北側から発着していた。駅跡は現在駐輪場等に使用されている。西尾道駅跡には、ホテルが建てられたが、現在は解体されておりマンションが建てられる計画。市街地においては、僅かに橋桁等が残っている。石畦 - 畑間の盛土区間については、しばらく放置されていたが、改良工事の上、1986年に国道184号バイパスとして開通した。一部のトンネルが歩行者用として再利用されたほか、国道のルートから外れたトンネルが、現在でも煉瓦造りの姿をそのままに残している。現在、当該区間には、かつての電車線の終点である市へ、また市より別の起業家が鉄道敷設を目指した府中方面へのバスが数本走っている。三成にあった車庫は現在中国バスの尾道営業所、市駅跡は市出張所となっている。

山陽本線とは離れた位置に建設された、山陽新幹線新尾道駅付近を走行していた。尾道鉄道が実際に敷設されたルートは現在の国道184号線に沿っており、石見銀山で産出された銀を、海上輸送のため尾道まで運搬した、石見銀山街道と平行、または近接している(ただし木梨口 - 畑間付近の木ノ庄地区において鉄道・国道は西側、街道は東側を経由する違いがある)。また終点として計画された上下は街道の宿場町として栄えた場所であるが、鉄道の輸送ルートとしては、結果的に使用されることなく、上下・三次には福山から現在の福塩線が伸び、福山市と鉄道で結ばれることになった。吉舎 - 上下 - 府中 - 神辺と至るこの経路もまた、尾道へ至るルートから別れ、笠岡に向かった銀山街道を追っている[1]

廃線跡は、地上から確認するのは困難であるが、航空写真等で上空から見ると旧宮ノ前駅~終点の尾道駅までは住宅が廃線跡の上に沿うように、長細く連なっているのが確認できる。

現在市街地で遺構を確認できるものは、宮ノ前~栗原間の栗原の本通りと交差する部分にあった踏み切りの台座と、その先にある川にある橋台位である。

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 中国新聞・銀の道物語国土交通省・中国地方の歴史街道を参考に構成した。

[編集] 参考文献

  • 鉄道省 『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』 鉄道省(覆刻:鉄道史資料保存会)、東京(覆刻:大阪)、1937年(1986年覆刻)、p. 417。ISBN 4-88540-048-1
  • 前田六二(編) 『消えた鉄路尾道鉄道』 前田六二、尾道、1992年。
  • 宮松丈夫 (1963). “消えゆく路線をたずねて 続・尾道鉄道”. 鉄道ファン No. 25 (1963年7月).
  • 和久田康雄 (1963). “尾道鉄道”. 鉄道ピクトリアル No. 145 (1963年5月号臨時増刊:私鉄車両めぐり4): pp. 80-85, 96.(再録:『私鉄車両めぐり特輯』1、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。
  • 和久田康雄 (1962). “尾道鉄道(私鉄車両めぐり第4分冊補遺)”. 鉄道ピクトリアル (1964年7月号臨時増刊:私鉄車両めぐり5): p. 88.(再録:『私鉄車両めぐり特輯』1、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。
  • 和久田康雄 「昭和52年5月1日現在における補遺」『私鉄車両めぐり特輯』1、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年、補遺8頁。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年10月4日 (日) 04:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【尾道鉄道】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!