履正社高等学校
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| 過去の名称 | 大阪福島商業学校 履正社中学校(旧制) 摂津高等学校 大阪福島商業高等学校 |
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| 国公私立の別 | 私立学校 |
| 設置者 | 学校法人履正社 |
| 校訓 | 履正不畏 勤労愛好 報本反始 |
| 設立年月日 | 1922年3月31日 |
| 創立記念日 | 4月20日 |
| 共学・別学 | 男女共学(普通コースのみ男子校) |
| 中高一貫教育 | 6ヵ年特進コースのみ |
| 課程 | 全日制課程のみ |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 学科内専門コース | 6ヵ年特進コース 集約文理コース(I類・II類) 普通コース(III類・スポーツ) |
| 高校コード | 27509D |
| 所在地 | 〒561-0874 |
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大阪府豊中市長興寺南4丁目3-19
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| 電話番号 | 06-6864-0456 |
| FAX番号 | 06-6865-1508 |
| 外部リンク | 履正社高等学校 |
履正社高等学校(りせいしゃこうとうがっこう)は、大阪府豊中市にある私立の高等学校。80年以上の伝統を持つ学校である。全く同じ敷地内に中等部の履正社学園豊中中学校があり、さらに詳しい内容を知りたければそちらも参照。
目次 |
運営法人
歴史
- 1922年(大正11年)3月31日 - 大阪市北区上福島1丁目(旧・福島区海老江上二丁目)に大阪福島商業学校として仮校舎にて開校。
- 1923年(大正12年)3月 - 旧西淀川区浦江町に新校舎が竣工し、移転。
- 1923年(大正12年)4月 - 創立記念日を4月20日と制定。
- 1925年(大正14年) - 今でも当時でも珍しい自動車部ができる。第一回鮮満旅行実施。
- 1934年(昭和9年) - 旧東淀川区加島に校外運動場完成。
- 1940年(昭和15年)3月20日 - 西淀川区加島町(当時の番地・現在の淀川区加島)に履正社中学校(旧制)創設。
- 1944年(昭和19年) - 教育に関する戦時非常措置方策により、大阪府福島商業学校廃校。以後募集停止(これについては下の特徴の欄で説明)。
- 1945年(昭和20年)7月 - 大阪大空襲により校舎が炎上し焼失したために履正社中学校は滝川小学校、福島商業学校は神津小学校を仮校舎として使用。焼け跡に新校舎ができると元に戻った。
- 1948年(昭和23年)7月 - 学制改革により、履正社中学校と履正社高等学校となって、加島町の履正社中学校(旧制)跡に両校とも移転。
- 1949年(昭和24年)2月 - 摂津高等学校・摂津中学校に校名変更。
- 1951年(昭和26年) - 両校が統合され摂津高等学校に改称。
- 1952年(昭和27年)3月 - 十三西之町五丁目一(当時の番地・現在の淀川区十三本町3丁目4番地)に移転。
- 1955年(昭和30年)2月 - 大阪福島商業高等学校に改称。
- 1958年(昭和33年)4月 - 校外運動場を豊中市長興寺に設置。
- 1963年(昭和38年) - 服部校舎に2つの校舎完成。
- 1964年(昭和39年) - 服部校舎本館・講堂兼体育館完成。
- 1965年(昭和40年) - 現在地へ移転。
- 1966年(昭和41年) - 服部校舎にプール設置。
- 1967年(昭和42年) - 十三校舎を廃止し服部校舎を本校とする。
- 1972年(昭和47年) - 普通科設置。
- 1979年(昭和54年) - 進路指導部設立。
- 1982年(昭和57年) - 商業科募集停止。普通科・自動車コースのみとなる。
- 1983年(昭和58年) - 履正社高等学校に改称。
- 1989年(平成元年) - 自動車コース募集停止。
- 1994年(平成6年)3月 - 春の高校バレーにバレー部が全国大会初出場。
- 1997年(平成9年)3月 - バレー部が春の高校バレー出場。
- 1997年(平成9年)8月 - 夏の甲子園に初出場。
- 1998年(平成10年)3月 - バレー部が春の高校バレー出場。
- 2001年(平成13年)9月 体育館を廃止して図書館・音楽ホールを作り、学校南に総合体育館を竣工。
- 2001年(平成13年)11月 - 履正社茨木グラウンド竣工。
- 2006年(平成18年) - 春の甲子園に初出場。
- 2007年(平成19年) - 大学合格実績水増し問題発覚。
- 2008年(平成20年) - 春の甲子園2度目の出場を果たし、甲子園で初勝利を挙げるも、次戦の3回戦で敗退する。
校訓
- 履正不畏…正を履んで畏れずとよむ。自ら由とするところを、自由・公正に勇気と責任を持って力強く履み行う、本校の基本的信条
- 勤労愛好…勤労愛好は、勤勉で学問を愛することが若人の生きるしるしであり、それを正であるとして国家・社会と人間に役立つ教育をするということ
- 報本反始…本に報い始めに返るとよむ。初心に返り、今日あらしめている本源、すなわち両親・先生などの先人の恩に報いるような教育をするということ
学科
- 6ヵ年特進(中高一貫教育)
- 集約文理I類・II類
- III類(スポーツ特進コース・普通コース)
- 集約文理クラス及び6ヵ年特進は部活をすることはできない。これは夜まで放課後進学講座(=勉強)をするためである。
歴代学校長
- 初代:釜谷善蔵(大正11年4月~大正14年4月)
- 2代:西岡純平(大正14年5月~昭和2年2月)
- 3代:釜谷善蔵(昭和2年3月~昭和15年4月)
- 4代:梅村武次郎(昭和16年4月~昭和24年3月)
- 5代:釜谷善蔵(昭和24年4月~昭和41年1月)
- 6代:釜谷行蔵(昭和41年2月~昭和48年3月)
- 7代:橘孝(昭和48年4月~昭和49年7月)
- 8代:江川登(昭和49年8月~昭和58年3月)
- 9代:井内嘉美(昭和58年4月~平成5年8月)
- 10代:釜谷行蔵(平成5年9月~平成6年3月)
- 11代:岸仲徹(平成6年4月~平成9年3月)
- 12代:前田恭幸(平成9年4月~平成17年3月)
- 13代:村瀬典弘(平成17年4月~平成20年3月)
- 14代:小森重喜(平成20年4月~)
特徴
- スポーツクラスは野球部やサッカー部など全国レベルである。
- 昭和初期は大阪の高校では珍しく満州国へ修学旅行で行っていた。これは大東亜戦争(太平洋戦争)が進むにつれて反日運動が激化したために打ち切られることになった。ルートとしては大阪から下関まで急行で行き、そこから船で釜山へ渡り、そこから朝鮮で朝鮮神宮・朝鮮総督府・南大門などの観光をして満州へ入り、満州国の観光をするといった経路である。これを当時は朝鮮・満州から鮮満旅行と呼んでいた。大正14年から昭和11年まで11回実施され771名の生徒が参加した。
- 1944年に大阪府福島商業学校が廃校になったのは、その当時、商業学校は工業学校に転換せよと政府から命令があったのにも関わらず創立者である釜谷理事長が強固に反対したためである。これは釜谷理事長は戦時中でも商業は必要であると考えていたからである。
- この学校には昔ブルートレインが合宿をするために校舎にあった。ブルトレの名前は正夢号。1987年にNHKや新聞でこの合宿のことが報道される。国鉄(現・JR)より1987年に1600万円で買い受けた。このブルトレは元は大阪・長野間を走っていた急行「ちくま」号の最後尾車両である。車掌室に畳をしき教師の宿泊室に、更に冷暖房、水洗トイレ、外に3台シャワー室を取り付けて使用した。中は3段ベッドで定員は48人、ちょうど一クラス分であった。
硬式野球部
硬式野球部に所属できるのはIII類の生徒のみである。
1997年、第79回全国高等学校野球選手権大会に初出場し、1回戦で専大北上に2-1で惜敗している。この時、最後はホームスチール失敗で試合終了。 2006年、春の甲子園に初出場し、1回戦で神奈川県代表の横浜高校と対戦し1-0で敗戦。 2008年の第80回選抜高等学校野球大会へ出場し、2回戦で山口県代表の下関商業高校に延長10回の末にサヨナラ勝ちをおさめ甲子園初勝利を達成した。次の3回戦では埼玉県代表の聖望学園高校と対戦で敗戦。
著名な出身者
- 益山性旭 - 元・プロ野球選手(阪神タイガース)(前身の大阪福島商業高校)
- 大原徹也- 元・プロ野球選手
- 鍋屋道夫- 元・プロ野球選手
- 岸田護 - プロ野球選手(オリックス)
- 岡田貴弘 - プロ野球選手(オリックス)
- 土井健大 - プロ野球選手(オリックス)
- 新村純平 - プロサッカー選手(東京ヴェルディ)
- 大原徹也 - 元・プロ野球選手(現・埼玉西武ライオンズなどに所属)(前身の大阪福島商業高校)
- おぼんこぼん - 漫才コンビ(前身の大阪福島商業高校)
- 塚本将士 - プロゴルファー(前身の大阪福島商業高校)
- 越田謙治郎 - 現川西市市議会議員、民主党川西支部企画メディア局長
- 久谷眞敬 - 現大阪府議会議員
- 久保昌三 - 上組社長・日本港運協会会長(前身の大阪福島商業高校)
合格実績水増し問題
- 進学実績は90年代後半より急激に数字の上ではよくなっている。ただしこれに関しては学校側が受験料を負担して合格実績を水増ししていたので信頼できるものかはわからないところがある。上記のことに関して、2007年7月23日付けの読売新聞に「経済的支援が必要な生徒への奨学金のようなもの。合格実績を上積みした認識はなく、今後も続ける」と学校側の説明が書いてある。これを見る限りでは、他の学校は受験料負担を自粛しているのにまだ受験料負担を続けるようである。
所在地
交通
- 最寄の駅は阪急宝塚線の曽根駅と北大阪急行電鉄の緑地公園駅で駅からそれぞれ徒歩18分、20分のところにある。
- 女子はスクールバスが緑地公園方面にのみ運行されている(これに関しては履正社学園豊中中学校の欄に詳しく載っている)
- また自転車で通学する生徒も多い。
- 自動車での送り迎えは原則禁止である。これに関しては病気など特殊な場合がある時のみ認められる。
- 学校に専用の駐車場はなく、参観などで来校する保護者は近くにある緑地公園の府営駐車場を利用する。学校のスクールバスの駐車場は学校前の郵便局横に2006年に設置された。
系列校
- 履正社学園豊中中学校
- 履正社学園コミュニティ・スポーツ専門学校
- 履正スイミングクラブ
関連項目
外部リンク
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最終更新 2009年9月15日 (火) 09:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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