山下典子

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山下 典子(やました のりこ、1939年4月5日 - )は日本のエッセイスト、アドバイザー、コメンテイター。ミス日本コンテスト関東大会委員長、山下塾主宰者。脚本家・ジェームス三木の元妻。俳優・山下規介の母。公認候補者として所属した自由連合では政策審議会審議委員を務めた。

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[編集] 来歴・人物

本名、山下憲子。満州三江省で生まれる。1955年岩手県立盛岡商業高等学校入学。上京後、文化服装学院在学中に三木と知り合い、1960年3月1日に結婚。ジェームス三木事務所を設立、20年間にわたって三木の秘書を務める。三木との間に二男一女を生む。1962年6月19日、長男・規介誕生。

1988年秋、ごま書房から『女房学入門』を出版。この本の中で、三木の浮気相手が押しかけてきても慌てず騒がず、三木への電話の取次ぎまでした体験を語る。

1989年に新会社「株式会社クリエイト・トゥルー・オフィス」を設立し、TVCM演劇コンサートレコード、講演、映画の企画制作やタレントの養成、企業の新企画プロデュース、アドバイザーなどを手がける。NHK教育テレビ『妻と夫の実年時代』にて、相川浩アナウンサーのパートナーとして約2年間司会を担当。

1990年3月15日東京都港区南青山のジェームス三木事務所に怪文書が投函される。典子が暴力団関係者と不倫の関係にあり、三木の財産を勝手に使っているという内容の手紙だった。この怪文書を真に受けた三木が典子を責め立てたため、1991年5月から離婚協議に入る。

1992年8月24日に出版した『仮面夫婦』の中で三木の醜聞を暴露し、話題を呼んだ。同書の出版により、1992年9月22日、三木から祥伝社と共に名誉毀損で刑事告訴を受ける。1993年1月22日、三木から名誉毀損による損害賠償を求められ民事提訴を受けると共に家庭裁判所へ離婚調停の申し立てを受ける。民事については、1994年、典子側が500万円の和解金を支払うことで解決。しかし離婚については金銭面で折り合いが付かず、2000年2月にようやく離婚成立となった[1]

この間、1995年第17回参議院議員通常選挙さわやか新党から立候補するも落選。2001年、参議院選挙に自由連合比例代表として立候補したがやはり落選した。

[編集] 著書

  • 歌集『朝は良妻にして』(ながらみ出版)山下憲子名義
  • 『女房学入門』(ごま書房)山下憲子名義
  • 『仮面夫婦』(祥伝社
  • 『夫婦戦争』(現代書林)

[編集] 脚注

  1. ^ 福田ますみ「ジェームス三木・山下典子 『仮面夫婦』の『春の歩み』壮絶バトル」(『新潮452006年9月号、p.67)

[編集] 外部リンク

最終更新 2008年11月3日 (月) 06:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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