山口俊一

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日本の旗衆議院議員 山口俊一
生年月日 1950年2月28日(59歳)
出身地 日本の旗 徳島県三好市池田町
出身校 青山学院大学
パリ大学(中退)
学位・資格 文学士
前職 徳島県議会議員
所属委員会
総務委員会筆頭理事
(2008年1月18日現在)
政治倫理の確立及び-
公職選挙法改正に関する特別委員会
(2008年1月18日現在)
世襲
選出選挙区 比例四国ブロック
当選回数 7回
所属党派 自由民主党(麻生派
党役職 徳島県衆議院支部長
会館部屋番号 衆議院第2議員会館304号室
  

山口俊一(やまぐち しゅんいち、1950年2月28日 )は、日本政治家自由民主党衆議院議員徳島県三好市(旧池田町)出身。弟は東進衛星予備校河合塾の講師を務める山口健一。

目次

[編集] 人物

徳島県立城南高等学校を経て、1974年青山学院大学文学部卒業。パリ大学第4学部留学中に政治を志して、同大学を中退後1975年4月に徳島県議会議員に初出馬、25歳で史上最年少当選し、以後連続4期務める。1990年第39回衆議院議員総選挙自由民主党公認・政策科学研究所新人として初出馬し初当選。以後6期連続当選。郵政政務次官・総務副大臣などを歴任。また衆議院では財務金融委員長や決算行政監視委員長、議院運営委員会筆頭理事等要職を歴任している。

1994年6月29日総理大臣指名選挙では自民党の党議として日本社会党委員長村山富市支持だったが、山口自身は旧連立与党が擁立した海部俊樹支持と造反。

2005年7月5日郵政国会では、民営化は地方切捨てに繋がると反対票を投じた。このため、2005年9月11日第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず、無所属での出馬。自民党公認の刺客七条明民主党公認の高井美穂等を破り当選した。当選後の特別国会では、再提出された郵政法案に対し賛成票を投じた。

2006年11月27日に、復党届と誓約書を提出。12月4日党紀委員会で復党が認められ、自民党に復党(郵政造反組復党問題)。当初は政科研に属したが近未来研究会と分裂した1998年12月に1期下浜田靖一、2期下桜井郁三と離脱し無派閥を通してきたが、親交の深い麻生太郎率いる為公会の発足メンバーとして派閥参加。現在は自由民主党政務調査会筆頭副会長、衆議院総務委員会筆頭理事として活動。

復党後、七条明と徳島2区の自民党公認候補を争っていたが、2008年2月に古賀誠自民党選対委員長が七条の処遇を後回しした上で、山口を徳島2区の自民党公認候補とすることが発表された。

2008年9月、麻生内閣に於いて内閣総理大臣補佐官に就任した。2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙では徳島2区で民主党前職、高井美穂に敗れるも比例で復活当選

[編集] 問題発言

[編集] 補正予算編成発言

2009年1月31日徳島県徳島市の会合にて、内閣総理大臣補佐官である山口が「麻生太郎首相5月にも平成21年度補正予算案の編成を検討している。景気が底抜けのときに(衆院)解散はできない。(21年度)補正予算を考えたい」[1]と発言した。しかし、2009年度本予算案の国会審議すら始まっていない時期だったため、与野党から批判が相次ぐ事態となった。

同年2月2日、衆議院予算委員長衛藤征士郎も「21年度本予算の審議に入っていない段階の発言で、極めて不見識だ」[1]と指摘し、衆議院予算委員会理事会は山口を理事会に呼び出し謝罪させることを決定した[1]

翌日、山口は衆議院予算委員会理事会に赴き、「(予算案の審議中という)大事な時期に大変不適切な発言をして申し訳ない」[2]と述べて謝罪した。その席上、予算委員長の衛藤は「補佐官は内閣の重鎮。緊張感を持って職務に精励されたい」[3]との注意が言い渡された。なお、野党側も山口の謝罪を受け入れ、同日審議が再開された[3]

[編集] 所属議員連盟

[編集] 脚注

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[編集] ウェブサイト

最終更新 2009年11月4日 (水) 10:15 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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