山口県立豊浦高等学校
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| 過去の名称 | 藩校敬業館 (旧制)豊浦中学校 (旧制)長府中学校 下関東高等学校 |
|---|---|
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 山口県 |
| 併合学校 | 長府女子高等学校 (のち長府高等学校として分離) |
| 校訓 | 校訓三綱 (至誠一貫、進取向上、自治協同) |
| 設立年月日 | 1792年 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制課程 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 学期 | 3学期制 |
| 高校コード | 35144A |
| 所在地 | 〒752-0984 |
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山口県下関市長府宮崎町1-1
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| 電話番号 | 083-245-2161 |
| FAX番号 | 083-245-2162 |
| 外部リンク | 公式サイト |
山口県立豊浦高等学校(やまぐちけんりつとよらこうとうがっこう)は、山口県下関市長府にある公立高等学校。読み方はとようらではなくとよらである。2003年までは全国的に珍しい公立の男子校であった。
目次 |
[編集] 沿革
- 1792年5月 - 長府藩毛利匡芳、長府侍町に藩校敬業館を設立
- 1880年6月 - 県立豊浦中学校と改める
- 1884年2月 - 山口中学校豊浦分校と改称
- 1901年5月 - 山口県立豊浦中学校と改称
- 1923年4月 - 山口県立長府中学校と改められる
- 1931年7月 - 山口県立豊浦中学校に校名が復旧する
- 1948年4月 - 新教育制度により山口県立豊浦高等学校となる
- 1949年4月 - 長府女子高等学校と統合し、山口県立下関東高等学校と改称
- 1951年4月 - 定時制王喜、東部分校を厚狭高、下関西高から本校に移管
- 1953年3月 - 定時制東部分校を廃止
- 1954年4月 - 下関東高等学校を解消、長府高等学校と分離し、山口県立豊浦高等学校と改称
- 1967年3月 - 王喜分校を廃止し、本校のみの学校となる
- 1999年10月 - 創立100周年記念事業
- 2003年4月 - 男女共学となる
- 2005年4月 - 新校舎完成
- 2005年12月 - 体操場・卓球練習場(第二体育館)が完成
[編集] 学科
[編集] 進学状況
- 毎年国公立大には60人前後が合格している。その内でも旧帝国大にも数人合格する。また私立大への進学者も多い。
[編集] 部活動
- 運動部
- 男子バスケットボール部・男子陸上部・男子体操部・男子レスリング部は国体指定校となっており、また野球部、サッカー部、バレーボール部などは県内では強豪校の一つとして知られている。
[編集] 行事
- 応援練習
- 1年生は入学式後の数日間は応援練習を行う。その時は応援団を主体として行われるため、応援練習中に過度な指導が行われても教師陣は見て見ぬふりをする。(近年ではその傾向は薄まってきている)
- 豊高祭
- 6月に行われる文化祭と位置付けられる行事である。前日祭と本祭の2日間にかけて行われる。前日祭はステージでの劇や映画などであり、毎年1年生男子は暗黙の了解で水着姿や女装をするような風潮がある。本祭には模擬店なども出ており、部長の歌などの出し物ではステージから落ちるパフォーマンス(下にはマットが敷いてある)が恒例となっている。またプログラムの間には余興として、指名を受けた生徒は一発芸などで場をつなぐ。
- クラスマッチ
- 各学期に行われる。3年生は卒業しているため3学期は不参加である。種目としてはバスケ・サッカー・テニスが主流であり、バスケは優勝チームと教員連合軍のドリームマッチが行われる。
- 野球応援
- 7月の全国高校野球選手権山口大会の野球応援は1年生は全試合参加となっており、4月の応援練習の成果を見せる機会である。また2年生は準々決勝から、3年生は決勝から絶対応援となっている。
- 体育大会
- 9月初頭に行われる。他校と違い、午前は陸上の部として陸上競技を行い、午後は水泳の部として主に競泳を行っている。またすべての競技の記録が行われ、記録更新が行われるとその名前が長年語り継がれることになる。また一般公開は行っていない。
- 宿泊研修
- 1年生は9月頃に福岡県の英彦山で宿泊研修を行う。英彦山登山(野武士コース)を2日目には行うようになっている。
- 強歩大会
- 全学年を対象に下関市内を歩く強歩大会を10月に行う。距離は30キロ前後としており、約6時間で歩くようになっている。運動部所属の生徒は走って、お昼過ぎに帰ってくる者も多い。
[編集] 出身者
太字は故人
[編集] 政治
- 乃木希典(元帥、陸軍大将)
- 阿部宗孝(教育者)
- 坂本実(衆議院議員)
- 湯浅倉平(宮内大臣、会計検査院長、内務次官)
- 河本文一(枢密顧問官、会計検査院長)
- 藤井五一郎(公安調査庁長官(昭和27年)、大審院判事、東京地裁判事(血盟団事件))
- 江島淳(参議院議員、国鉄広島鉄道管理局長)
- 林義郎(厚生大臣、大蔵大臣、通産官僚出身)
[編集] 経済
- 八尋俊邦(中退)(三井物産会長)
- 川上康男(株式会社長府製作所代表取締役)
[編集] マスコミ
[編集] 芸能界
[編集] 映画・音楽
[編集] 教育界
- 堀田武彦([東京大学大学院・情報理工学系研究科 助教授)
[編集] スポーツ
- 石田光彦(プロ野球選手)
- 釜本勝義(プロ野球選手)
- 戸倉勝城(プロ野球選手)
- 中川和之 - プロバスケットボール選手(高松ファイブアローズ所属):2001年卒業
- 永見武司(パ・リーグ前審判部長)
- 花原勉(アマチュアレスリング選手、金メダリスト)
[編集] 甲子園出場
- 選抜(春)2回、選手権(夏)3回
[編集] エピソード
- 校歌 幻の1番
- 本校の校歌は3番まであるが、式典等の公の行事も含めて1番は飛ばして2番以降のみを歌うため、1番は"幻の1番"と言われている。
- 乃木将軍の~など個人名が含まれている上、歌詞の内容に戦前の色が濃いことが原因ではないかと言われているが、はっきりとした理由は不明。
- なお、書類上では1番は残っており、卒業アルバムなどの書面上では3番までの歌詞が記述されている。同窓会総会では1番から歌われる。
- 修学旅行
- 本校には修学旅行がない。修学旅行にあたる宿泊を伴うものは存在するが、訓練という趣旨で行われるため、娯楽の要素が非常に少ない。
- 修学旅行がない理由について、諸説がありながら明確な理由は明らかになっておらず、長く在校生及び市内学生の噂の元になっている。
- 無銘の碑
- 乃木希典は日露戦争後に帰関(下関)した際、学校側の要望を受けて本校で生徒に講話をしたが、その最後の言葉は、「今日、私が話した内容と日頃先生がお話になられていることに違いがあれば、先生の話が正しいのでそれに従うように」というものであった。
- 講話後、本校を後にする際も、学校側が用意した記念の石碑に言葉を寄せることなく、謙虚に退出された。その何も記されていない石碑が「無銘の碑」として校庭に現存している。
- 行事
- 本校は元男子校であったため、今でも男子校ならではの体力的行事が多い。現在女子と男子の比率は1:3であるが、卒業する頃になると女子の大半もこれらの体力行事を難なくこなせるようになっている。
- 体育の授業
- 本校には「豊高体操」という伝統的体操があり、その体操の最後には筋トレ(腕立て・腹筋・背筋・スクワットジャンプ)が含まれている。
- 本校のプールには3メートルの高飛び込み台が設置されており、体育大会などの水泳の部では各クラス体表による飛び込みの競技も行われている。また水泳の授業ではこの高飛び込み台から飛ぶことが2学期の単位取得条件となっており、飛べないものは放課後に補習がある。1年生は足からでも良しよされているが、2・3年生は原則として頭から飛び込むことになっている。
[編集] 関連項目
[編集] リンク
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最終更新 2009年11月25日 (水) 20:29 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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