山岸穣
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| 埼玉西武ライオンズ #36 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 福井県鯖江市 |
| 生年月日 | 1982年8月17日(27歳) |
| 身長 体重 |
176cm 77kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2004年 ドラフト4巡目 |
| 初出場 | 2005年5月19日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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山岸 穣(やまぎし みのる、1982年8月17日 - )は、プロ野球・埼玉西武ライオンズの投手である。背番号は36番。
目次 |
[編集] プレースタイル
直球は140キロ前後と凄みはないものの、現代の右投手には珍しいカーブやチェンジアップを武器とする投球スタイルが特徴である。そのキレもあって奪三振が非常に多い。縦に落ちる変化球を軸に三振を狙う組み立てである。
[編集] 経歴
福井県鯖江市出身。片上小学校3年生の時に野球を始め、福井商高時代には2年春・3年夏の2回、ともにエースとして甲子園に出場した。特に、3年夏は県大会決勝で内海哲也や李景一らを擁する敦賀気比高と延長10回の末、3-2で勝利し甲子園出場を決めた。しかし甲子園では初戦で敗退した。ちなみに、この時のチームメイトには1学年下に天谷宗一郎がいた。
青山学院大学時代、石川雅規の後を継いで2年生からエースとして活躍。大学通算72試合登板し32勝21敗、防御率1.97、388奪三振。3年生秋には最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインを受賞。通算30勝以上は青学大では史上初、東都大学野球リーグ全体でも1987年の新井富夫以来17年ぶりで戦後9人目の快挙であった。2004年に台湾で開かれた世界大学野球選手権に日本代表として選出され、3試合に登板した。同年のドラフト4巡目で西武ライオンズに入団。
[編集] プロ入り後
2005年、開幕一軍こそ逃したものの5月に昇格。横浜戦に先発したが結果を残せず、リリーフで数試合登板したあと二軍落ちした。しかし夏場に再昇格し、9月18日の対ロッテ戦(千葉マリン)で、宮越徹の負傷降板を受けて緊急登板しプロ初勝利を挙げた(この試合は被安打0だった)。後半から安定した投球を披露し、防御率2.83の好成績を残した。
2006年、この年も引き続き期待されたが、開幕前の故障により開幕一軍の座は逃した。故障の快癒後もしばらくは精彩を欠き一軍と二軍の往復を繰り返したが、夏場に昇格した後は制球・キレが戻り、右の中継ぎの切り札として活躍。特に優勝を争う9月頃には13試合連続無失点救援を続け、中継ぎ不足に悩むチームの大きな戦力となった。自己最多の31試合に登板し、主に中継ぎとしてながら10.30という高い奪三振率を誇った。
2007年、オープン戦で打球が直撃し骨折するアクシデントで、二年続けて開幕に間に合わなかった。8月4日にやっと一軍登録されると、主にロングリリーフとして起用され、昇格後13イニング連続無失点と快投を見せた(防御率は20日間ずっと0.00のままだった)。8月25日に1試合だけ先発としても登板した。9月8日の日本ハム戦でプロ初セーブを記録。その後も右の中継ぎとしてチームを支え、自己最高の防御率2.73を記録した。プロ入りから3年続けてこの年も夏場以降に一軍で活躍を見せた。
2008年、このころから現在のような独特のフォームに変わった。岡本慎の加入・小野寺・大沼の成長もありほとんど出番がなかった。
2009年、開幕から中継ぎ陣を支えてきた星野・大沼などの抹消を受けシーズン終盤ようやく一軍に上がった。久しぶりの先発もあったが微妙な成績に終わった。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | 西武 | 14 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 142 | 35.0 | 23 | 5 | 11 | 0 | 6 | 28 | 0 | 0 | 15 | 11 | 2.83 | 0.97 |
| 2006 | 31 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 7 | 1.000 | 166 | 39.1 | 34 | 6 | 12 | 1 | 2 | 45 | 2 | 0 | 16 | 14 | 3.20 | 1.17 | |
| 2007 | 18 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 1 | 2 | .500 | 119 | 29.2 | 28 | 1 | 5 | 1 | 2 | 21 | 0 | 0 | 11 | 9 | 2.73 | 1.11 | |
| 2008 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 37 | 8.1 | 9 | 2 | 2 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 8 | 5 | 5.40 | 1.32 | |
| 2009 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 30 | 6.0 | 10 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 6 | 6 | 9.00 | 2.17 | |
| 通算:5年 | 71 | 3 | 0 | 0 | 0 | 6 | 4 | 1 | 9 | .600 | 494 | 118.1 | 104 | 14 | 33 | 2 | 12 | 101 | 3 | 0 | 56 | 45 | 3.42 | 1.16 | |
- 2009年度シーズン終了時
[編集] 背番号
- 36 (2005年 - )
[編集] 個人記録
- 初登板:2005年5月19日、対阪神タイガース3回戦(阪神甲子園球場)、7回裏に救援登板
- 初先発:2005年5月22日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、3 1/3回5失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、2回裏に那須野巧から
- 初勝利:2005年9月18日、対千葉ロッテマリーンズ20回戦(千葉マリンスタジアム)、2回裏に救援登板
- 初ホールド:2006年6月3日、対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)
- 初セーブ:2007年9月8日、対北海道日本ハムファイターズ21回戦(札幌ドーム)
[編集] 関連項目
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