山崎忠昭
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山崎 忠昭(やまざき ただあき、1936年 - 1999年)は、日本の脚本家、放送作家。通称「ヤマチュー」。
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[編集] 人物
新潟県出身。新潟時代は、「新潟映研」で佐藤忠男の面識を得る。
早稲田大学文学部演劇学科卒業後、大学院に進むが中退。大学時代はワセダミステリクラブの創設に参加し、卒業論文のテーマは「1950年代のアメリカSF小説」で、当時はほとんど未訳であったハインライン、ブラッドベリ、ブラウン、スタージョン等の作品を論じた。
1960年から、フリーの立場で日活の無国籍アクションの脚本・企画にかかわるようになり、池田一朗に師事。『明日が私に微笑みかける』で脚本家デビューする。代表作に、鈴木清順監督の『野獣の青春』、岡本喜八監督の『殺人狂時代』(日活用に書いた脚本がボツとなり東宝で映画化された)と、日本映画史に残るカルト映画がある。
その後、テレビの世界に活躍の舞台を移し、黎明期のテレビアニメの世界で『ハリスの旋風』『巨人の星』『ムーミン』『ルパン三世』などの脚本にかかわる。多くの作品でその第一話を担当した。
奇妙なギャグを考える才能が有名で[1]『九ちゃん!』などのバラエティに参加。『ウィークエンダー』などのワイドショーの台本も担当した。
ワイドショーの仕事に参加している間に、親しく仕事をしていたアニメのプロデューサーが世代交代し、晩年は脚本の仕事がなく、宗教雑誌の編集を手伝ってなんとかしのいでいたという。独身で身寄りがなかったため、葬儀は福祉事務所により行われた[2]。
[編集] 脚本
[編集] 映画
- 明日が私に微笑みかける(松岡清治と共同) 山内亮一監督 1961
- 黒いダイス(池田一朗と共同) 牛原陽一監督 1962
- 危いことなら銭になる(池田一朗と共同) 中平康監督 1962
- 野獣の青春(池田一朗と共同) 鈴木清順監督 1962
- 黒い賭博師 悪魔の左手(小川英と共同) 中平康監督 1966
- 殺人狂時代(小川英と共同) 岡本喜八監督 1967
- 主婦の体験レポート 続おんなの四畳半(松岡清治と共同)武田一成監督 1975
- トルコ風呂(秘)外伝 尼僧極楽(松岡清治と共同) 白鳥信一監督 1975
- 長靴をはいた猫 80日間世界一周(城悠輔と共同) 設楽博監督 1976
[編集] テレビドラマ
- ママと四人のボーイフレンド 1964
- あなたはタバコがやめられる 1964
- 男ごころ 1965
- 光速エスパー 1967
- フラワーアクション009ノ1 1969
- おれは透明人間 1970
- スーパースター8 逃げろ! 1972
- 恐怖劇場アンバランス 1973
- 第5話「死骸を呼ぶ女」 神代辰巳監督
- あなたの町(少年ドラマシリーズ) 1973
[編集] テレビアニメ・人形劇
- ハリスの旋風 1966
- ドンキッコ 1967
- 巨人の星 1968
- アニマル1 1968
- あかねちゃん 1968
- 夕やけ番長 1968
- ひみつのアッコちゃん 1969
- もーれつア太郎 1969
- 男一匹ガキ大将 1969
- ムーミン 1969
- あしたのジョー 1970
- ネコジャラ市の11人 1970
- 赤き血のイレブン 1970
- 男ドアホウ!甲子園 1970
- 魔法のマコちゃん 1970
- アンデルセン物語 1971
- さすらいの太陽 1971
- さるとびエッちゃん 1971
- ルパン三世 1971
- 新ムーミン 1972
- デビルマン 1972
- ドロロンえん魔くん 1973
- 一休さん 1975
- 恐竜探険隊ボーンフリー 1976
- 新ルパン三世 1979
- 闇の帝王 吸血鬼ドラキュラ 1980
- あさりちゃん 1982
- ベムベムハンターこてんぐテン丸 1983
- 聖闘士星矢 1986
- キテレツ大百科 1988
- 桃太郎伝説 PEACHBOY LEGEND 1989
- おばけの… ホーリー 1991
[編集] 著書
- 悪魔がねらっている 朝日ソノラマ, 1971
- 日活アクション無頼帖 高崎俊夫編 ワイズ出版, 2007.9
[編集] エピソード
- 大学の演劇科の同級生には、伊知智啓(のち映画プロデューサー、団巌(のち俳優)、本間三郎(のちスペイン舞踏家)、峰岸透(のちNHK幼児班)、山口和彦(のち映画監督)、松丸耕作(のち映像作家)等がいた。
- 脚本を共作している松岡清治とも大学時代からの友人で、松岡が創設した「稲門シナリオ研究会」(山崎はメンバーではなかったが)には後輩に、大和屋竺、田中陽三、山浦弘靖らがいた。
- 日活時代には、中平康、長谷部安春らと親交が厚かった。
- 60年代から70年代前半、長部日出雄の紹介により、大島渚、浦山桐郎、恩地日出夫、筑波常治、品田雄吉、黒木和雄、虫明亜呂無、佐藤重臣、種村季弘らがつどっていた、新宿の伝説の飲み屋「三角ユニオン(のち四角ユニオン)」の常連メンバーだった。
- ジュディ・オングとも親交が厚く、彼女の家族とも親交があった。
- 『ムーミン』『ルパン三世』『新ルパン三世』など、アニメの脚本では「シリーズの第一話」を任されることが多かった。ムーミンでは、スナフキン、スノークのキャラクターなど「原作にない独自の設定」を行ったため、原作者のトーベ・ヤンソンから長文の抗議の手紙がきた。
- アニメ脚本では雪室俊一と、コンビを多くした。その雪室によると「大学を出てすぐ脚本家となり、生涯独身であった」山崎は、「全身脚本家」とでも呼ぶべき人物だったという。
- 仕事への拘りが強く、意見があわない仕事仲間と衝突するのはしばしばだった。『あしたのジョー』では、脚本を勝手に変えるチーフ・ディレクターの出﨑統に苦々しい思いをしていたという。また、人形劇『ネコジャラ市の11人』では、共同脚本の井上ひさし、山元護久と意見があわず、途中降板している。
- 地下鉄サリン事件の際には、「『殺人狂時代』という異常な映画の脚本家」ということで、公安調査官が取材に来たという。
[編集] 参考文献
- 山崎忠昭『日活アクション無頼帖』ワイズ出版、2007年
[編集] 出典
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年10月5日 (月) 00:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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