山形県立米沢興譲館高等学校
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| 過去の名称 | 米沢藩学館 興譲館 私立米沢中学校 米沢尋常中学興譲館 山形県米沢中学校 山形県立米沢中学校 山形県立米沢興譲館中学校 山形県立米沢西高等学校 |
|---|---|
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 山形県 |
| 学区 | 山形県南 |
| 設立年月日 | 1697年6月15日(藩校) |
| 創立記念日 | 9月19日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 理数科 |
| 学期 | 3学期制 |
| 高校コード | 06127B |
| 所在地 | 〒992-1443 |
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山形県米沢市大字笹野1101番地
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| 電話番号 | 0238-38-4741 |
| FAX番号 | 0238-38-2531 |
| 外部リンク | 公式サイト |
山形県立米沢興譲館高等学校(やまがたけんりつよねざわこうじょうかんこうとうがっこう、英称:Yamagata Prefectural Yonezawa Kojyokan High School)は、山形県米沢市に所在する公立高等学校である。本校は置賜地区第一の進学校であると同時に、現存する日本の高校の中で最古の高校である。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 校名の由来
興譲館という校名は、「大学」の一節「一家仁一国興仁、一家譲一国興譲」から採られた。
興譲とは、譲を興すとよみ、「恭遜の道を繁昌さすること也」(細井平洲、建学大意)
[編集] 学科について
- 2006年度から、科ごとの募集を取り止め、一括募集としている。生徒は2年次から普通科・理数科を選択する。ただし推薦入試は科ごとに募集され、2年次から必ずその科に所属しなければならない。
- 上記の変化に合わせ、同じく2006年度入試からは定員が240人から200人に削減、1クラス減となった。
[編集] 沿革
- 1618年(元和4年7月) - 上杉景勝家老直江兼続が禅林寺(現法泉寺)に藩の学問所禅林文庫を創設。
- 1697年(元禄10年6月) - 米沢藩第4代藩主上杉綱憲が学問所を建立。 (11月)矢尾板三印に命じ、 聖堂を造営して『感麟殿』の扁額を与えられる。(藩校の始め)
- 1724年(享保9年)-聖堂の祭祀、『釈奠』が中止となる。
- 1771年(明和8年5月2日) - 第9代藩主上杉治憲(鷹山)が学問所を再興し、招聘した細井平洲(紀徳民)を馬場御殿の松桜館に迎え学生に講授。
- 1776年(安永5年5月19日) - 学館が落成し、藩校「興譲館」と細井平洲命名する。(9月12日) 平洲再び米沢に入る。このとき学則(先生施教弟子是則・・)を揮毫し、(9月19日)初めて学館に於いて書経を講じる。また『釈奠』が再興される。
- 1785年(天明5年)-聖堂の扁額を『先聖殿』に改称。
- 1793年(寛政5年) - 医学校好生堂を設立。
- 1796年(寛政8年9月6日) - 細井平洲が三たび米沢入り、上杉鷹山が関根の普門院まで出迎える。
- 1797年(寛政9年) - 通学生のために友于堂を建築。
- 1797年(寛政11年)-服部正相(豊山)が学科試験を開始
- 1871年(明治4年) - 洋学舎を創設し、英語教師3名および英国人教師を雇う。皇学、洋学、医学、筆学、数学の五科を設置。
- 1874年(明治7年) - 旧藩士協立の私立米沢中学校となる。
- 1886年(明治19年)9月19日 - 勅令15号中学校令により、修業年限を5ヶ年とし、校舎を北堀端町片町に新築。(この日を創立記念日とする。)
- 1895年(明治28年)5月2日 - 米沢尋常中学興譲館と改称。
- 1900年(明治33年)4月 - 県立に移管され、山形県米沢中学校と改称。
- 1901年(明治34年)4月 - 山形県立米沢中学校と改称。
- 1901年(明治34年)9月19日 - 校舎を関東町(現西大通)に新築移転。
- 1926年(大正15年)5月 - 私立米沢中学夜学校開校。
- 1929年(昭和4年)1月29日 - 山形県立米沢興譲館中学校と改称。
- 1948年(昭和23年)4月 - 山形県立米沢第一高等学校と改称(以降、新制高等学校、男女共学)。
- 1950年(昭和25年)4月 - 米沢第四高等学校と統合し、山形県立米沢高等学校と改称。
- 1952年(昭和27年)4月 - 山形県立米沢西高等学校と改称。(統合分離、米沢東高等学校を新設。)
- 1956年(昭和31年)4月 - 山形県立米沢興譲館高等学校と改称。
- 1968年(昭和43年)4月 - 理数科を設置。
- 1981年(昭和56年)3月1日 - 山形県立米沢興譲館高等学校定時制課程閉校式を挙行。
- 1987年(昭和62年)9月 - 笹野に新築移転。
- 2002年(平成14年)4月 - 文部科学省「スーパーサイエンスハイスクール」研究指定校。平成14年度 - 平成16年度末)
[編集] 特色
- いわゆる生徒会にあたる、自治会という組織が活動を行っている。オープンスクールなど様々な行事が生徒主導で進められている。
- 小論文の指導が全国的な視点から見ても充実している。3年生のほぼ全員が小論文の講習を受け、入試が近づいてくると国語以外の教職員も生徒を数人ずつ受け持ち、小論文の添削指導を行う。このため、国公立大入試の場合、たとえセンター試験の成績が悪くとも小論文の成績で逆転合格するという例が数多くある。
- 漢文音読という国語科の自主教材がある。
[編集] 授業
- 興譲館の授業は月曜日から金曜日まで、55分×6コマである。以前は65分×5コマであったが、コマ数の確保と総時間数の拡大(325分→330分)を目的に、変更された。
- 予習を重視しており、授業のたびに予習プリントの点検を行う職員も多い。授業はあくまで確認のためのものという位置づけである。
- 2年次からは朝学習がスタートする。これは興譲館の登校時刻である8時25分から、曜日ごとに決められた科目(主に古典や数学が中心)のプリントを解くというものである。朝学習が始まると、8時25分までに教室にいなければならない(8時25分の時点で校舎に入ったというだけではアウト)。
- 3年生になると放課後講習が始まり、実質7コマ授業になる。
- 体育の授業を重視している。本校は『学力のためにはまず体力を養うことが大切』というスタンスをとっている。また、成績評価の際には、運動能力ではなく「安全にスポーツができるか」や「適切な健康管理ができるか」を鑑みる。本校の体育の授業では選択授業を1年の内かなりの割合で実施するが、その際、班ごとに日誌を作らせ、自主的なスポーツ活動の運営を図らせている。
- 欠点(赤点)は35点以下である。学年末の成績が35点に満たない者は単位の追認試験を受けなければならない。
[編集] 学校施設
- グラウンドは比較的広く、サッカー部・ホッケー部・野球部・陸上部の活動が同時にできる。
- 思索の森という原っぱがあり、腰掛けもあるが、あまり利用されていない。
- セミナーハウスと呼ばれる宿泊施設があり、部活の合宿などに利用されている。
- 体育館は広いとは言えず、部活動の際にはバスケットボール・バレーボール・バドミントン・卓球・フェンシングなどの部がシェアしている。
- 2000年に藩学創設300年を記念した講堂が建てられた。合唱祭やコンサート、講演会の際に使用される。
- 校舎は3階建てで、職員室は2階にある。2年・3年生の教室は3階、1年生の教室は2階にある。3年生の教室にのみ、エアコンが設置された。
[編集] 学校行事
- 4月
- 宿泊研修(1年)
- 入学して間もない1年生が興譲館での学習スタイルを身につけたり、クラス内での交流を図ろうとするためのものである。興譲館敷地内のセミナーハウスや自然の家など、年により様々なところで行われている。
- 6月
- 登山(1年)
- ここ2,3年は吾妻山に登ることが多い。
- 体育祭
- クラスごとに、カラフルでユニークなTシャツが作られる。以前はこれとは別に「クラスマッチ」が行われていたが、この体育祭に統合された。
- 7月
- 甲子園予選応援
- 全校生ほぼ全員が試合会場に出向き応援をする。
- 9月
- 興譲祭
- マラソン大会
- 男子は10.9km、女子は6.7kmを走る。全員参加が原則で、参加できない場合も競技役員として配置される。もちろん個人戦であるが、クラスマッチとしての要素もある。南原に移転してから男子16kmだったが、数年前生徒が蜂に襲われたことをきっかけに、距離が短くなった。
- 11月
- 大学・施設見学会(2年)
- 本校には修学旅行がなく、その代わりとして(一応)位置づけられているものである。年によってだいぶ違うが、大学や研究所の視察、班別研修やホテルでのプレゼンテーション・ミーティングなどが中心である。
- 1月
- スキー授業(1・2年)
- 市内のスキー場に出向き、丸1日スキーを楽しむ。2~3回実施される。(ちなみに、スキー授業に三学期分の体育・保健のコマ数の大部分が集められているため、欠席は望ましくないとしている。)
[編集] 通学手段
- 本校には置賜地方一円から生徒が集まってくるため、通学手段にもさまざまなものがある。
- 徒歩
- 自転車(市内の生徒に多い)
- 自動車(保護者による送迎。冬期間は雪のため、生徒のほとんどが車通学になる。そのため、校舎前のロータリーは朝・夕方において非常に混雑する)
- 鉄道(南陽市・東置賜郡の生徒などに多い。興譲館の最寄駅はJR米坂線南米沢駅であるが、離れているためそこから徒歩・自転車で興譲館に通学する生徒が多い。また、冬期間など鉄道が運休になった場合でも授業は通常通り行われる。その際は鉄道で通学する生徒は公欠扱いになる。また、これで授業に参加できないことによる不利益を小さくするため、授業をあまり進めずに演習の時間にするなど配慮もなされる。
- バス(冬期間は興譲館行きのバスが増発される。)
- 下宿先からの通学(遠距離で自宅からの通学が困難な小国町・飯豊町の生徒に多い。)
[編集] 出身者
- 相田岩夫 (大蔵省銀行局長、預金部長官、日販社長 / 帝人事件では銀行検査官で訴追)
- 秋山武三郎(電気通信技術の専門家)
- 安部三十郎(現米沢市長)
- 池田成彬(大蔵大臣・日本銀行総裁)
- 遠藤武彦(衆議院議員・第45代農林水産大臣)
- 大熊信行(経済学者)
- 大塚勝夫(経済学者)
- 河上清(社会主義者・在米ジャーナリスト)
- 工藤俊作(海軍軍人)
- 雲井龍雄(幕末・明治維新の志士)
- 黒井悌次郎(海軍大将)
- 近藤鉄雄(元労働大臣)
- 下村正助(海軍中将)
- 高橋里美(哲学者)
- 富樫興一(阪神球団初代代表・セ・リーグ顧問・初代甲子園球場長)
- 南雲忠一(海軍大将)
- 浜田廣介(童話作家)
- 原田めぐみ(フェンシング選手)
- 針重敬喜(編集者)
- 平田東助(内務大臣・農商務大臣)
- 堀内素堂(江戸時代の医学者)
- 眞島秀和(俳優)
- ますむらひろし(漫画家)
- 皆川睦雄(元プロ野球選手)
- 山下源太郎(海軍大将)
- ラズウェル細木(漫画家)
- 我妻栄(民法学者・東京帝国大学教授)
[編集] 参考文献
- 松野良寅 編『興譲館世紀』(山形県立米沢興譲館高等学校創立百年記念事業実行委員会、1986年)
- 今泉亨吉『上杉鷹山公小伝』(御堀端史蹟保存会、1982年第7版)
- 米沢児童文化協会 編『郷土に光をかかげた人々』(米沢児童文化協会、1989年改訂2版)
- 松野良寅 編『興譲館小史 人あまたあと継ぎて』(米沢興譲館出版会、1988年)
[編集] 関連項目
- 山形県高等学校一覧
- 日本の理数系高等学校一覧
- 学校記事一覧
- 旧制中学校
- 日本の高等学校設立年表・・・禅林文庫創設を本校の歴史の始まりと捉えると、本校は現存する高校の中でもっとも歴史が長い高校ということになる。
- 興譲館
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月11日 (水) 20:31 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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