山本リンダ

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山本リンダ
基本情報
出生名 稲葉あつ子(旧姓:山本)
出生 1951年3月4日(58歳)
出身地 日本, 福岡県 小倉市
ジャンル 歌手
レーベル ミノルフォンレコード
公式サイト 山本リンダ公式ホームページ
  

山本 リンダ(やまもと リンダ、1951年3月4日 - )は、福岡県小倉市(現・北九州市)生まれの女性タレント歌手である。本名稲葉 あつ子(旧姓:山本)。身長168cm。実父はアメリカ軍の軍人であったが山本が1歳の頃に朝鮮戦争で戦死した。リンダという芸名は、父が生前山本に付けた愛称から。山本はその後、ソウル郊外にある父の所属師団が朝鮮戦争中に全滅した場所を取材で訪れている。

創価学会の会員[1]であり、かつては広告塔として知られていた。

目次

[編集] 来歴

[編集] 出生からデビューまで

幼少時代に父を亡くし女手一つで育て上げられたため、とても貧しい家庭に生まれ育った。4歳の時に神奈川県横浜市神奈川区に引っ越す。小学校時代は、ハーフという事で学校では男子にいじめられ、近所の大人たちからも白眼視されていた。

そんな中、母に楽をさせたいと思い、モデルのオーディションに応募する。1962年(昭和37年)に雑誌『装苑』のモデルオーディションをきっかけに、人気モデルとしての活動を経て、1966年(昭和41年)、15歳の時、ミノルフォンレコード(現徳間ジャパンコミュニケーションズ)より遠藤実作曲のシングル「こまっちゃうナ」でデビュー。同曲が大ヒットとなり第17回NHK紅白歌合戦へ初出場を果たし、国民的アイドルとして全国に知られるようになった。当時は舌っ足らずな口調を売りにした、いわゆる可愛い子ちゃん歌手だった。 しかし、デビュー曲が大ヒットした後、ヒットに恵まれず人気は低迷した。

[編集] 移籍、そして一世を風靡

1971年(昭和46年)、キャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)に移籍。 また同年7月から年内いっぱいまで、東映制作の『仮面ライダー』(毎日放送)に出演、話題となった(劇中に「困っちゃうナ」のセリフが出てくるシーンがある)。 同作の阿部プロデューサーは、「山本は事務所移籍前で、歌の仕事を控えていたため、すぐに出演OKをもらえた」と語っている。この『仮面ライダー』では、北海道ロケの際に、宿泊先のホテルの歓迎看板に「山本リンダ御一行様」と書かれていたことがあった。この時期の『仮面ライダー』はまだ一般的な知名度が低かったため、ホテル側が「リンダの名を出した方が宣伝になる」と考えた結果だったようであるが、当のリンダはこの道義を欠いた行為に「他のみなさん方に失礼です!」と激怒し、即座に看板を「仮面ライダー御一行様」に訂正させたというエピソードが残っている。番組は夏を迎えて大ヒットし、この高視聴率番組への出演で、子供達のみならずお茶の間での認知度も上がった。当時、山本は孤独感が強かったらしく、『仮面ライダー』での出演者やアクションチーム(大野剣友会)が「撮影の合間に鬼ごっことかかくれんぼをして遊んでくれたのが、とても楽しかった」と述懐している。

1972年(昭和47年)、キャニオンレコード移籍第二弾目のシングルレコードとして、当時の売れっ子作詞家作曲家であった阿久悠都倉俊一のコンビによる「どうにもとまらない」を発表。このセクシーな大人の歌手にイメージチェンジした曲が大ヒットとなり、再びヒット歌手として脚光を浴び、「アクション歌謡」の先駆けとなった。当時前例のなかったおへそを出して歌う大胆な衣装、情熱的で激しいダンス、扇情的な歌詞の内容などが話題になり、「こまっちゃうナ」の頃を上回る人気を獲得。へそだしルックの第一号となる。この年、第14回日本レコード大賞作曲賞、第3回日本歌謡大賞放送音楽賞、有線放送大賞夜の有線大賞を受賞。また第23回NHK紅白歌合戦にも5年ぶりにカムバックを決めた。

1973年(昭和48年)、「狙いうち」が大ヒット。この年、第10回ゴールデン・アロー賞グラフ賞、キャニオンレコードヒット賞を受賞、第24回NHK紅白歌合戦出場。セクシーな激しい歌と踊りで人気を獲得した点で、後のピンク・レディーに先駆けていたと言える。この「狙いうち」は今でも高校野球の応援歌の定番であり、中日ドラゴンズの応援(得点のチャンスを迎えた時)でも使われている。翌1974年も「闇夜にドッキリ」で第25回NHK紅白歌合戦へ3年連続で出場を果たす。その他にも「狂わせたいの」「じんじんさせて」「燃えつきそう」「きりきり舞い」といった一連の作品もヒット曲となった。

1976年(昭和51年)2月10日に「およげ!たいやきくん」のアンサー・ソング「私の恋人、たいやきくん!」(作詞・中山大三郎、作曲・穂口雄右)を発売。この曲が契機となり、あるテレビのトーク番組子門真人と共演した。

しかし、1970年代後半から再び人気が低迷。母の浴室での事故死、所属事務所からの解雇など、再び不遇の時代をすごした。地方の小さなスナックなどでのドサまわり(地方営業)もこなしたが、当然スナックには歌手の控え室などなく、衣装は狭くて汚いトイレで着替えなくてはならず、さらに衣装を汚さないように細心の注意を払いながら着替えなくてはならなかったと本人は語っている。

[編集] 1980年代以降

1980年代後半に入り米米CLUBがリンダの楽曲をカバーしてライブで演奏していたことや、1990年(平成2年)にはテレビアニメちびまる子ちゃん』の主人公・まる子が番組内でモノマネをしたことなどから、リバイバルブームが沸き起こり、自身の曲をハウス調にセルフカバーしたアルバムや、REMIXアルバムが続々オリコンチャートにランクイン。翌1991年(平成3年)の第42回NHK紅白歌合戦にも久々に登場した(紅白歌合戦は通算5回目の出場)。

1993年(平成5年)、ヘアヌード写真集の出版で話題となったが、関西ローカル局ABCラジオラジオ番組誠のサイキック青年団』でパーソナリティの北野誠竹内義和が山本の写真集を辛辣にこき下ろしたところ、この放送を聞いたファンからの通告で番組内の発言内容を知った山本が激怒、名誉毀損として1億円の損害賠償を請求、山本同席で番組側の全面謝罪という形で示談が成立。記者会見にて北野竹内両氏が平身低頭で謝罪する姿が各メディアで全国的に大きく報じられた。

1997年(平成9年)、テレビアニメ『新・天地無用!』の主題歌「夢はどこへいった」を発売。約20年ぶりにシングルランキングでもオリコンチャートへの復帰を果たす。

2001年(平成13年)、7歳年上の大学教授稲葉光彦と5月3日に入籍結婚(初婚)。結婚が遅かったのは、自身が入信する創価学会の幹部を理想の男性像とするあまりに「他の男性が好きになれなかった」と週刊誌にてコメントしている。[要出典]

2005年(平成17年)、アサヒ飲料の缶コーヒーのCMに起用される。また、代表作「どうにもとまらない」の歌詞をアレンジした、「どうにもとまらない〜ノンストップ」が発売され(リメイクされた詞は阿久悠が“今の若い人達に夢や希望をたくさん送ってあげたい”という想いから新たに書いたもの)、テレビアニメ『レジェンズ〜甦る竜王伝説』のエンディングテーマに採用された。余談だが、これを記念してリンダ自身がゲストキャラとして1度だけ出演した。なお、「どうにもとまらない〜ノンストップ」には英語バージョンも存在し、こちらも同じく『レジェンズ〜甦る竜王伝説』の初期エンディングテーマとして流れていた。作詞はen:Gary Perlman、歌はen:Brenda Vaughnがそれぞれ担当。

2007年(平成19年)、宅配ピザチェーンのドミノ・ピザのTVCMで、「どうにもとまらない」の替え歌「ド〜ミノとまらない♪」として楽曲が起用される。このTVCMでは、タレントの劇団ひとりが演じるドミノ・ピザのイメージキャラクター「ドミノ★スター」が、多くのドミノ・ピザファンが取り囲むステージ上で同曲を熱唱している。

[編集] ディスコグラフィ

[編集] シングル

[編集] 1960年代

  • こまっちゃうナ - 1966年9月20日発売、デビューシングル
  • 夢見るわたし - 1966年11月25日
  • 涙がとまらない - 1967年3月1日
  • 世界の国からこんにちは - 1967年3月1日
  • ミニミニデート - 1967年7月10日
  • サンタが町にやってくる - 1967年10月10日
  • ボーイフレンド - 1967年10月1日
  • 帰らなくちゃ - 1968年3月10日
  • 白鳥の湖 - 1968年6月10日
  • フリ・フリ5 - 1968年6月20日
  • 砂に埋めた涙 - 1968年10月10日
  • チキチキバンバン - 1969年2月10日
  • 恋のバンバン - 1969年6月1日
  • ちょっとだけ - 1969年9月1日

[編集] 1970年代

  • トンボのメガネ - 1970年3月1日
  • 涙は紅く - 1970年9月1日
  • 水に流すわ - 1971年2月1日
  • 白い街に花が - 1971年10月25日
  • どうにもとまらない - 1972年6月5日 オリコン3位
  • 狂わせたいの - 1972年9月5日 オリコン6位
  • じんじんさせて - 1972年11月25日 オリコン10位
  • 狙いうち - 1973年2月25日 オリコン14位
  • 燃えつきそう - 1973年6月10日 オリコン15位
  • ぎらぎら燃えて - 1973年8月25日 オリコン31位
  • きりきり舞い - 1973年12月10日 オリコン28位
  • 真っ赤な鞄 - 1974年4月10日 オリコン66位
  • 奇蹟の歌 - 1974年7月10日
  • 闇夜にドッキリ - 1974年8月25日
  • 恋は熱烈 - 1975年2月10日
  • ウブウブ - 1975年6月25日
  • やけどしそう - 1975年10月25日
  • 私の恋人,たいやきくん! - 1976年2月10日 オリコン98位
  • 太陽の落し子 - 1976年6月25日
  • 限りなく透明に近いダンス - 1976年11月25日
  • 失恋蝙蝠男 - 1977年6月25日
  • 港のソウル - 1978年2月25日
  • エレガンス - 1978年9月21日

[編集] 1980年代

  • 写楽 - 1980年10月21日
  • ゆれてムーン・ライト - 1981年11月21日
  • フラッシュダンス - 1983年8月21日
  • 酒場で - 1984年11月21日

[編集] 1990年代

  • エルソル〜太陽の唄〜 - 1991年9月21日
  • 恋は呪文よ! アブラカタブラ - 1992年6月21日
  • 終わりのないラブ・ソング - 1996年
  • 夢はどこへいった - 1997年

[編集] 2000年代

  • リンダ - 2004年5月26日
  • どうにもとまらない〜ノンストップ - 2005年1月13日
  • 愛に生きて - 2005年5月25日
  • 真夜中のピエロ - 2007年2月7日
  • 15のBの指定席 - 2008年2月8日
  • 踊りましょッ! - 2009年4月8日

[編集] 出演作品、出版物

テレビ
映画
ラジオ
  • リンダ倶楽部(1993年10月〜1994年3月、毎週土曜日19:00〜19:30)
先述のヘアヌード写真集でのトラブルのお詫びとして、ABCラジオがレギュラー番組を放送。
日本語吹替
CM
  • 酒田米菓(オランダせんべい)1967年
書籍
  • 歌に愛を込めて 実業之日本社[実日新書] 1975年
  • ガラスの靴 潮出版社 1983年
  • WANJINA-ワンジーナ(写真集) 竹書房 1993年5月(※公式プロフィールには、この写真集の記述は無し)
  • 素顔のヴィーナス 東京新聞出版局 1992年
  • リンダスタイル 元気のヒミツ Debut 35th years anniversary 河出書房新社 2001年
  • どうにもとまらない私 潮出版社 2004年

[編集] 受賞

[編集] 脚注

  1. ^ シナノ企画「すばらしき わが人生」より

[編集] 外部リンク

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最終更新 2009年11月14日 (土) 13:48 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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