山本左近

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山本左近
基本情報
国籍 日本
出身地 愛知県豊橋市
生年月日 1982年7月9日(27歳)
F1での経歴
活動時期 2006 - 2007
過去の所属チーム '06~'07スーパーアグリ
'07スパイカー
'08ルノー(TD)
出走回数 14
優勝回数 0
通算獲得ポイント 12位 (0ポイント)
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 2006年ドイツグランプリ
初勝利 0
最終勝利 0
最終戦 2007年ブラジルグランプリ
タイトル 0

山本 左近(やまもと さこん 1982年7月9日 - )は、レーシングドライバー愛知県豊橋市出身。血液型:A型

豊橋市立青陵中学校、愛知県立豊橋南高等学校卒業。南山大学総合政策学部中退。

佐藤琢磨と同様に、「左近」「左近君」「左近ちゃん」と下の名前で呼ばれる事が多い。

目次

[編集] 経歴

[編集] 国内フォーミュラ

2005年シーズンはフォーミュラ・ニッポン近藤真彦率いるKONDO Racingから参戦したほか、SUPER GTでは片岡龍也とコンビを組み、GT500クラスにトムススープラ(スポンサーは当初ダイナシティだったが、シーズン途中でオープンインタフェースに交代)で参戦。SUPER GTの第4戦(スポーツランドSUGO)で初優勝を遂げた。

2005年10月のF1日本GPでは、金曜フリー走行においてジョーダン・トヨタのサードカーをドライブ。レギュラードライバーを上回るパフォーマンスを見せた。

その余勢をかって出場した直後のフォーミュラ・ニッポン第8戦(ツインリンクもてぎ)では、チャンピオンを決めた本山哲を最後まで追い詰めての2位で初表彰台を獲得した。

2006年シーズン当初は、フォーミュラ・ニッポンは引き続きKONDO Racingより参戦。SUPER GTに関してはNISMOに移籍。ミハエル・クルムとともに参戦した。

[編集] F1

[編集] 2005年

2005年10月のF1日本GPジョーダンのサードドライバーとして参戦し1日目午前のフリー走行1回目を走行し、レギュラードライバーよりも速いタイムをマークした。

[編集] 2006年

2006年6月のイギリスGPより急遽スーパーアグリF1チームのサードドライバーとして参戦し、ドイツGPからはフランク・モンタニーに代わってセカンドドライバーとして参戦。ドイツGPハンガリーGPイタリアGPではリタイアに終わるもラスト3戦(中国GP日本GPブラジルGP)では完走を果たす。なお、F1参戦に伴い、KONDO RacingとNISMOとの契約は解除された。

[編集] 2007年

2007年はBCN CompeticionからGP2にフル参戦すると共に、スーパーアグリに残留しテストドライバーも務めた。ただ、ジェームズ・ロシターが同チームのテストドライバーとして参加してからはテストでも走行機会が無く、GP2とスーパーアグリの広報活動に専念していた。

しかし、エティハド・アルダー・スパイカーF1チームのレギュラードライバーであったクリスチャン・アルバースが同チームを解雇された後、その後釜として白羽の矢が立ち、第11戦より最終戦までのレギュラードライバー契約を結んだ。そのため、スーパーアグリはテストドライバー契約の解除に応じた。

なお、スパイカーのシート獲得に関しては、ナレイン・カーティケヤンクリスチャン・クリエンなどの経験豊富なライバルを蹴落としての契約であった。

[編集] 2008年

2008年2月、ルノーF1とテストドライバー契約を結んだことが発表された。ルノーのテスト開発プログラムを担当するとともに、レースチームに全戦帯同している。ルノーはすでにルーカス・ディ・グラッシおよびロマン・グロージャンとテストドライバー契約を結んでおり、山本とのテストドライバー契約は3人目となる。なお、この契約の中には世界各地で行われるルノーロードショーと呼ばれるデモランイベントでのドライブも含まれていた。

2008年7月16日、GP2シリーズへの復帰が発表され、ARTグランプリより第6戦ドイツ・ホッケンハイムから出走している。第7戦ハンガリー・ハンガロリンクのレース2で4位に入りGP2シリーズ初入賞。シリーズランキングは23位。

[編集] 2009年

2008年10月1日、2008年-2009年のGP2アジアシリーズにメインシリーズで所属したARTグランプリよりフル参戦することが発表された。前年のチャンピオンチームから出走となり、エースカーであるカーナンバー1をドライブしていた。シリーズランキングは9位。

[編集] 評価

  • 2005年の日本GPでジョーダンのサードシートを得た際、いきなりレギュラードライバーを凌ぐタイムを記録したことや、その後、体制的に恵まれない状況が続きながらもそつなく走るなど、ドライバーとしての順応性の高さを評価する向きは多い。
  • 各カテゴリーにおいてチャンピオンを獲得するような圧倒的な速さなどは発揮していないものの、トントン拍子で上位カテゴリーへステップアップを遂げ、F1でも2005年から毎年しぶとくシートを獲得している。これについては、メーカーのサポートを受けている訳でもなく、主だった大きなパーソナルスポンサーを持っている訳でもないことから、マネージメント陣の能力の高さや自前での資金力による効果が大きいとの見方もある。

[編集] F1での年度別成績

所属チーム カーナンバー 獲得ポイント ランキング 決勝最高位・回数 表彰台回数 *予選最高位・回数
2006年
第12~18戦
スーパーアグリF1 23 0 19位 16位・2回 0回 19位・1回
2007年
第11~17戦
スパイカーF1 21 0 24位 12位・1回 0回 22位・7回

*予選順位はペナルティなどを反映した決勝グリッド

[編集] エピソード

  • 2008年6月には、セレブタレントとして知られるマリエと路上でキスしている写真が写真週刊誌フライデー』に掲載され話題となった[1]。元々マリエの父親が大手石油会社の国内代理店を経営しており、福田良など多くのドライバーの育成にも関わっていたところから知り合ったと言われている。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 脚注

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[編集] 外部リンク

最終更新 2009年9月25日 (金) 16:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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