山本省吾

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山本 省吾
オリックス・バファローズ #20
基本情報
国籍 日本
出身地 石川県七尾市
生年月日 1978年5月28日(31歳)
身長
体重
178cm
77kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 投手
プロ入り 2000年 ドラフト1位
初出場 2001年5月28日
年俸 5,000万円(2009年)
経歴(括弧内は在籍年)

山本 省吾(やまもと しょうご、1978年5月28日 - )はオリックス・バファローズに所属するプロ野球選手投手)。背番号20

目次

[編集] プレイスタイル

腕の位置が比較的低いスリー・クォーターで130km/h台中盤から後半の直球シンカー気味に落ちるフォークボール[1]に、2種類のスライダーシュートを投げて打者を左右に揺さ振る。得意球のフォークは決め球としてだけではなくストライクを取りに行く時にも投げ、ゲームの要所では多投することも多い。制球が良く、これらの球種を低めに集めて打たせて取る技巧派サウスポーである。内野ゴロを狙うその投球スタイルからゴロマニアと自称している。

直球は2007年にはスピードガンが左投手に比較的甘いとされるスカイマークスタジアムフルキャストスタジアム宮城で最速147km/hを記録した。これについて本人は、開幕後ウエスタン・リーグで21試合17回1/3を投げて自責点0の成績を残す中で「やっとボールに上手く力を伝えるコツを掴んだ」と語っている。

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

石川県七尾市出身。星稜中学校では1年時に第8回全日本少年軟式野球大会へ出場、2,3年時には2年連続で全国中学校軟式野球大会に出場し、3年時の第15回大会では優勝。星稜高校でも2年時にエースとして第77回全国高等学校野球選手権大会に出場し、3回戦で吉年滝徳を擁する関西高校を、準決勝で庄田隆弘を擁する智辯学園高校を破って石川県勢初の決勝進出を果たし準優勝した。高校卒業後は慶應義塾大学へ進学して全国優勝を経験。早慶戦に強いなど、大舞台で結果を残した。

2000年プロ野球ドラフト会議大阪近鉄バファローズ逆指名し、1位指名で入団。

[編集] 近鉄時代

2001年は7試合に登板したが打ち込まれ、シーズンのほとんどを二軍で過ごした。翌2002年はプロ初勝利を含む4勝を挙げ、56試合に登板して防御率2.52と左のリリーフとして台頭。2003年先発投手に転向するも、25試合に登板して防御率5.49で未勝利に終わった。

2004年は前年より少ない14試合の登板だったが3勝1敗、防御率2.78と結果を残した。9月15日の球団にとって最後の関東での試合となる千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)では、8回途中無失点で3勝目を挙げた。同年オフの球団合併に伴う選手分配ドラフトの結果、オリックスに入団。

[編集] オリックス時代

2005年は春先に先発を務めた時期もあったが、リリーフでの登板が多くなった。2006年は春先に打ち込まれて二軍に降格したものの、閉幕間際にプロ初セーブを含む2セーブを記録し、最終的には35試合に登板して防御率3.99だった。

2007年は7月下旬に一軍昇格すると、主にロングリリーフとして19試合に登板し、防御率1.62の好成績を収めた。9月17日の対ロッテ戦では延長12回裏1死満塁の場面で、三塁走者北川博敏代走として出場。2死になってから、木元邦之サヨナラ適時打でホームを踏み、プロ初得点を記録した。

2008年中継ぎとして開幕を迎えたが、4月1日西武戦で先発の光原逸裕が1死も奪えずKOされた後に登板して5回無失点に抑え、その間に味方打線が逆転して同年初勝利を挙げるなど、主にビハインドの場面で結果を残した。その後、先発陣の離脱が相次ぎ4月8日ソフトバンク戦から先発に転向。4月23日日本ハム戦ではプロ初完投・初完封となる勝利を挙げ、その後も好調を維持し、先発ローテーション唯一の左腕として活躍。8月中旬からは疲れもあってかやや成績を落としたが試合を壊した事はあまりなく、最終的に10勝6敗、防御率3.38の成績を挙げ、初の規定投球回到達と2桁勝利を達成。規定投球回に達した投手の中では杉内俊哉成瀬善久と並んでリーグ最少の38四死球と制球の良さを見せた。本拠地である京セラドーム大阪スカイマークスタジアムでは4勝ずつを挙げ、クライマックス・シリーズ進出を争った日本ハムから4勝、ロッテから3勝を挙げ、チームの9年ぶりとなるAクラス入りに貢献した。また、同年はプロ入り時の監督である梨田昌孝による監督推薦でオールスターゲームにも初出場し、2回を無安打無失点に抑えてベストピッチャー賞を受賞した。

2009年は唯一の先発左腕投手として、開幕から先発ローテーションをほぼ一年間守り通した。勝利投手の権利を保持して降板した後、リリーフ陣に白星を消される不運が6度もあった上に、9月1日に9勝目を挙げた後の5試合は30回30失点、防御率7.80とかなり打ち込まれて足踏みしたままシーズンを終えてしまい、惜しくも2年連続2桁勝利には及ばなかった。

[編集] 人物

妻は元モデル・レースクイーンで2002年にはチームジャビッツ21にも所属していた中村真由美。大学在学中には矢田亜希子との交際が報じられたことがある。

「ヤマショウ」ですと言って、浜田省吾の物まねをすることがある。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績








































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2001 近鉄 7 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 32 5.2 12 4 3 0 1 8 0 0 11 11 17.47 2.65
2002 56 0 0 0 0 4 1 0 -- .800 160 39.1 36 2 11 3 1 34 1 1 11 11 2.52 1.19
2003 25 4 0 0 0 0 1 0 -- .000 178 41.0 55 7 10 0 0 28 0 0 25 25 5.49 1.59
2004 14 4 0 0 0 3 1 0 -- .750 157 35.2 39 5 13 0 1 27 0 1 11 11 2.78 1.46
2005 オリックス 22 2 0 0 0 2 0 0 1 1.000 131 28.1 39 5 9 0 0 21 1 0 19 19 6.04 1.69
2006 35 0 0 0 0 0 0 2 2 ---- 128 29.1 36 4 9 2 1 18 1 0 13 13 3.99 1.53
2007 19 0 0 0 0 1 1 0 5 .500 111 27.2 27 0 6 1 1 20 2 1 6 5 1.63 1.19
2008 30 22 2 2 2 10 6 0 2 .625 645 154.2 166 11 30 0 8 90 1 1 60 58 3.38 1.27
2009 27 26 3 1 0 9 7 0 0 .563 685 159.2 176 18 47 0 4 110 1 0 84 75 4.23 1.40
通算:8年 235 58 5 3 2 29 17 2 10 .630 2227 521.1 586 56 138 6 17 356 7 4 240 228 3.94 1.39
  • 2009年度シーズン終了時

[編集] 記録

[編集] 投手成績

[編集] 打撃成績

[編集] 背番号

  • 18(2001年 - 2004年)
  • 20(2005年 - )

[編集] 登場曲

[編集] 脚注

  1. ^ 『週刊ベースボール』2008年9月15日号のインタビュー記事より。

[編集] 関連項目

[編集] 外部


最終更新 2009年10月27日 (火) 12:11 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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