山王神社 (長崎市)
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| 山王神社 | |
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| 所在地 | 長崎県長崎市坂本2-5-6 |
| 主祭神 | 天照大御神 豊受比賣神 大山咋神 |
| 社格等 | 県社 |
| 創建 | 1638年(寛永15年) |
| 例祭 | 浦上くんち(10月17日) |
山王神社(さんのうじんじゃ)は、長崎県長崎市坂本にある神社。山王日吉神社(さんのうひよしじんじゃ)、浦上皇大神宮(うらかみこうだいじんぐう)とも呼ばれる。長崎市への原子爆弾投下で片方の柱が吹き飛んだ一本柱鳥居(二の鳥居、片足鳥居)や、熱線により裸同然となりながらも、豊かな緑を取り戻した被爆クスノキで有名。
目次 |
[編集] 由緒
1638年(寛永15年)、島原の乱の鎮圧のため長崎に赴いた松平信綱が、浦上街道(長崎街道の脇道)沿いのこの地を通りがかった際、「景色が近江の比叡山に似ており、地名も坂本である。山王権現を観請してはどうか」と、長崎代官の末次平蔵に語ったことから、創建されたと伝わる。
[編集] 歴史
- 1638年(寛永15年) - 創建。山王権現社。
- 1652年(承應元年) - 現在地に移転。
- 1868年(明治元年) - 日吉神社に改称。
- 1868年(明治元年) - 浦上皇大神宮創立(現在の長崎市立山里小学校のあたり)。
- 1885年(明治17年) - 浦上皇大神宮と日吉神社が合併、県社に。
- 1945年(昭和20年) - 8月9日の原爆投下により社殿を焼失。由来書、宝物なども焼失。二の鳥居は半壊して片側の柱と笠石だけになったが、一の鳥居は倒壊せず、原型のまま残る。
- 1962年(昭和37年) - 一の鳥居が交通事故により倒壊。撤去される。
- 1996年(平成8年) - 環境庁選定の「日本の音風景100選」に選ばれる。
- 2006年(平成18年) - 台風13号によりクスノキの枝が折れる。樹木医による復旧作業中に幹の中に新たな空洞が見つかり、洞内から被爆当時のものと見られる表面が焼けた石や瓦礫などがみつかる。
[編集] 祭神
天照大御神、豊受比賣神、大山咋神、大物主人、伊邪那岐神、高皇産霊神、御代御代皇御孫神、他5神。
[編集] 一本柱鳥居
爆心地から約800mにある被爆建造物である。原爆投下後、周辺は焼け野原になったが、4つあった鳥居のうち一の鳥居は無傷で、二の鳥居は爆心に近い方の柱などが倒壊し、片方の柱と半分の笠石を残して立っていた。この際、笠石は爆風によりねじれて角度がわずかに変わっている。その後の調査などにより、一の鳥居、二の鳥居は爆風の向きと平行して建っていたため、全壊を免れたといわれている。しかし、1962年に一の鳥居は交通事故により倒壊。当時は被爆遺構に対する関心が低かったため、撤去されたという。跡地には案内板が設置されている。
現在、二の鳥居は鳥居としての役割を果たすとともに被爆遺構の意味も果たしている。公式的には「一本柱鳥居」が正しい名称であるが、地元では「片足鳥居」という名称の方が浸透している。三の鳥居は倒壊した柱の一部が地元自治会により「坂本町民原子爆弾殉難之碑」として残され、毎年8月9日早朝に慰霊祭が行われる。二の鳥居の倒壊部分は参道に現存する。
[編集] 被爆クスノキ
山王神社の境内参道に、向かい合うようにして立つ2本のクスノキ。「山王神社の大クス」として長崎市指定天然記念物に指定されている。神社ではその生命力をたたえ、「大くす守」と称する御守を出している。
参道左にあるクスノキの幹の周りは8m、右は6mで、樹齢はそれぞれ500~600年とみられる。幹周りと比べ、高さが10m未満と低いが、爆風により上部が欠損した名残である。原爆投下後、写真家の林重男や米軍の戦略爆撃調査団が撮影した写真(ともに現在は長崎原爆資料館が所蔵)では立ち枯れているが、やがて樹勢を盛り返し、今日でも豊かな緑をたたえている。境内を通る風で起こる葉音は、1996年に環境省の「日本の音風景100選」にも選ばれた。
長崎原爆資料館、学生サークル、市民団体、地元小学校などが、被爆クスノキの種子から育てた「被爆クスノキ2世」を平和のシンボルとして国内外に贈る活動をそれぞれ行っている。
[編集] 交通アクセス
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月10日 (火) 13:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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