山田五十鈴

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やまだ いすず
山田 五十鈴
本名 山田 美津
生年月日 1917年2月5日(92歳)
出生地 日本大阪府大阪市中央区
民族 日本人
職業 女優
活動期間 1930年 - 2002年
主な作品
赤穂浪士
源義経
必殺仕事人』シリーズ

山田 五十鈴やまだ いすず1917年2月5日 - )は、日本女優大阪府大阪市中央区出身。本名山田 美津。ニックネームは「ベルさん」。戦前から戦後にかけて活躍した、昭和期を代表する日本の大女優の一人である。 なお、日本の女優として初めての文化勲章を受章した。

目次

[編集] 来歴・人物

新派劇俳優の山田九州男の娘として生を受け、幼少時から常磐津清元、(初世清元壽兵衛に習っていた)舞踊などを習っていた。1930年日活に入社し『剣を越えて』で大河内傳次郎の相手役としてデビュー。以降『国士無双』など多くの日活作品に出演する。1936年溝口健二監督の『浪華悲歌』、『祇園の姉妹』での好演により、第一線女優としての地位を確立する。 その後東宝へ移籍してからは、『鶴八鶴次郎』、『婦系図』、『蛇姫様』など、長谷川一夫との共演作に数多く出演した。

1952年、『現代人』、『箱根風雲録』の演技が評価され、ブルーリボン賞主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞を受賞する。1955年には『たけくらべ』でブルーリボン賞助演女優賞を受賞。また、翌1956年には、『母子像』などで2度目となるブルーリボン賞主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞、『流れる』等でキネマ旬報女優賞を受賞する。1957年、『蜘蛛巣城』、『どん底』、『下町』で2度目のキネマ旬報女優賞を受賞。名実ともに、映画界を代表する大女優となる。特に、黒澤明監督の作品に出演する際は、魔性を感じさせる悪女といった憎まれ役をこれでもかというくらいに演じきっている。

1963年東宝演劇部の専属となる。これ以降、NHK大河ドラマ赤穂浪士』(1964年)や、朝日放送必殺からくり人』(1976年)といったテレビ時代劇にも出演し、好評を博した。

また、1959年の新劇合同公演『関漢卿』への出演、歌舞伎役者の中村歌右衛門(6代目)尾上松緑(2代目)との共演を機に、舞台への出演も積極的に行っている。1963年、『香華』『丼池』『明智光秀』でテアトロン賞を受賞し、1974年、『たぬき』で芸術祭大賞、毎日芸術賞を受賞した。1977年に『愛染め高尾』、1983年には『太夫さん』で芸術祭大賞を受賞している。1993年文化功労者表彰、さらに2000年、女優としては初めての文化勲章を受章。

「安全が保障されている上、お手伝いさんもいらない」という理由から、後年は京都の自宅を引き払い、東京・帝国ホテルの一室で生活を送っていた。80歳をこえても舞台を中心に盛んに活躍していたが、2002年に数度に渡って体調を崩し、舞台の休演・降板が相次いだ。この年を最後に公の場には姿を見せていない。現在は都内の療養施設にて、余生を送っている。なお、最後のテレビ出演はNHKの「芸能花舞台」、の尾上松緑(2代目)「伝説の至芸」(2002年放送)であった。

私生活では、1950年加藤嘉と結婚したが3年で離婚。また、女優・瑳峨三智子は、俳優月田一郎との間の一人娘である。が、瑳峨は自分を棄てた山田を憎み、撮影所で会ったときも母のことを「山田さん」と呼んでいたとされる。そのわだかまりは、瑳峨が山田より先に死を迎えるその日までついに消えなかった。

[編集] 受賞・受章歴

  • 1955年:ブルーリボン賞・助演女優賞 『たけくらべ』
  • 1956年:ブルーリボン賞・主演女優賞 『母子像』
  • 1956年:毎日映画コンクール・主演女優賞 『母子像』
  • 1956年:キネマ旬報女優賞 『流れる』
  • 1957年:キネマ旬報女優賞 『どん底』『蜘蛛巣城』『下町』
  • 1963年:テアトロン賞 『香華』『丼池』『明智光秀』
  • 1974年:芸術祭大賞 『たぬき』
  • 1977年:芸術祭大賞 『愛染め高尾』
  • 1983年:芸術祭大賞 『太夫さん』
  • 1993年:文化功労者
  • 2000年:文化勲章

[編集] 出演作品

[編集] 映画

[編集] テレビドラマ

[編集] バラエティー・教養番組

[編集] 舞台

  • たぬき
  • 淀どの日記
  • 香華


[編集] CM

[編集] ディスコグラフィー

[編集] シングル

[編集] 関連書籍

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月12日 (木) 21:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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