山田邦子

山田邦子の最新ニュースをまとめて検索!

やまだ くにこ
山田 邦子
本名 後藤 邦子
ごとう くにこ
別名 邦ちゃん
生年月日 1960年6月13日(49歳)
出生地 日本東京都板橋区
民族 日本人
血液型 B型
職業 タレント女優司会者
活動期間 1981年 -
配偶者 後藤史郎

山田 邦子(やまだ くにこ、本名:後藤 邦子(ごとう くにこ、旧姓:山田)、1960年6月13日 - )は、日本タレント、女優、司会者小説家、元お笑い芸人東京都板橋区出身。所属事務所太田プロダクション。愛称は「邦ちゃん」。

目次

[編集] 来歴

川村中学校、川村高等学校卒業。

1979年 川村短期大学に入学。落語家を目指して早稲田大学の寄席演芸研究会へ入部(このサークルで落語家に向いていないと悟り、漫談家への転向を決意したと後に語っている)。

会社員である父は芸能界に入る事を反対しており、芸能界に入るときに関口宏が懸命に父を説得し最終的に認められたという逸話がある。なお、芸能界デビュー前に関口が司会の『クイズ100人に聞きました』に家族で挑戦し、予選で敗退。関口とは『野々村病院物語』で共演している。

笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)火曜日のツービートが担当した人気コーナー「ブスコンテスト」に応募し、オーディションで目を付けられ、素人勝ち抜きコーナー「お笑い君こそスターだ!」に出場。ここでバスガイドのネタを披露しチャンピオンになった。いわゆる漫才ブームに付随する形で巻き起こったお笑いブームの潮流に乗り、若手有望株として大きな注目を集める。

1981年 ドラマ『野々村病院物語』(TBS)で女優デビュー。1980年代前半を中心に女優としての仕事もこなしたが、やがてお笑いタレントへの比重を移し、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)に歌モノマネなどで番組初期から末期まで出演。「ひょうきんベストテン」では主に薬師丸ひろ子 (後に天久美智子(現・あめくみちこ)に交代)や欧陽菲菲島倉千代子松任谷由実鈴木聖美などを演じ、「ひょうきん絵描き歌」は大ヒット企画になった。1981年の流行語ぶりっ子は山田がギャグに使ったことから、一般的な流行語になったと言われる[1][2][3]。『オレたちひょうきん族』と『8時だよ!全員集合』による土8戦争と呼ばれた視聴率競走で『ひょうきん族』が勝ったのも女性である彼女の貢献が大きかったという見方がある[4]

1985年2月には、ストレス等から円形脱毛症に悩んでいたため、女性でありながら頭を丸めて話題になった[5][6][7][8]。当時同じ芸能事務所だったビートたけしフライデー襲撃事件1986年)で逮捕され芸能活動を自粛していた時期も、たけしの代役として『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』などのテレビ番組の司会等を行うことが多かった。歌手活動と平行して、その後『クイズ!年の差なんて』や『MOGITATE!バナナ大使』などが人気番組になり、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』や『邦子がタッチ』など自身の名前が入った冠番組を持つようになり、1988年から1995年まで、NHK『好きなタレント調査』において8年連続1位を独占。好感度タレントの代名詞ともなった。

ゴールデンタイムでメインの番組を持った女性ピン芸人は現在まで山田以外皆無とする声もあり、芸能界あるいは放送業界では『女性で唯一天下を取ったお笑いタレント』と評する向きもある[9]1989年、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』から誕生した当時人気の女性デュオWinkのパロディーのユニット『やまだかつてないWink』でシングル「さよならだけどさよならじゃない」が大ヒット。1994年にはリカちゃん人形に関する著書『私のリカちゃん』を発表。更に同年にタカラから『リカちゃんのおともだちクニちゃん』と言う山田を模した人形も発売された。

しかし、1995年スタートしたTBS『山田邦子のしあわせにしてよ』は視聴率が取れず、これまでの好感度ナンバーワンだったことの反動としてバッシングが起こる。NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』(1995年)において、吉宗の生母浄円院を演じた。浄円院は農民の出という説もあるため、庶民的なタレントだった山田が選ばれたが、視聴者からは「違和感がある」という反応が多かったと言われ、典型的なミスキャストと評する向きもある。これがまずバッシングの発端となった[10][11]。一方、この配役について、吉宗役の西田敏行と山田が親子を演じることを異色として評価する声もあった[要出典]

その後も1995年の夏から秋にかけて週刊誌のバッシング記事が続き[12][13][14][15][16][17]、12月には写真週刊誌FOCUS』でテレビ制作関係者との恋愛(不倫)が報道された[18]。この件で、芸能レポーターに追い回されることになった。容姿に恵まれず男性にモテないことが一つの売りだった山田にとって、こういった恋愛の噂は歓迎すべきことではなかった。さらに山田が芸能レポーターの井上公造からの質問に「お前もてないだろう」「バカじゃないの」と罵倒するシーンがワイドショーで放送された[19]

新番組の視聴率低迷に加え、こうした報道が相次いだことによってか1996年発表の1995年度の好感度調査では1位だったものの、1997年発表の1996年度の調査では6位、1997年度は14位と急落した。[20]

1995年頃から次第にテレビへの露出が減少し、1997年の『山田邦子のしあわせにしてよ』(TBS)、『邦子がタッチ』(テレビ朝日)の同時期の打ち切りにより、冠番組も無くなった。

1990年代からは小説家としても著作を多数出版し、特に女性読者から支持を得ている。

2000年 番組制作会社「ゴッズダイナミックワールド」社長の後藤史郎と結婚。

2006年 ウーマンリブ運動から生まれた団体「戦争への道を許さない女たちの連絡会」に入る。

2007年4月、『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』に出演した後、乳癌の自己検診の際に違和感を覚え、その後正式に乳癌が左右の胸にあることが発覚。聖路加国際病院の乳腺外科(ブレストセンター)にて2回の手術を経て癌を全て摘出した。実際にがんであったとことは後日、同番組で明らかにされた。

この乳癌罹患をきっかけにして、タレント活動の傍らがんに関わる活動に積極的に参加するようになり、2008年4月にはがんに対する知識と理解を呼びかけるチャリティー団体「スター混声合唱団」を鳥越俊太郎らと結成。2009年3月、作詞・作曲したNPO法人「キャンサーリボンズ」のシンボルソング「あなたが大切だから」を発表した。

トリビアとしては、BOØWYを無名時代から高評価していたことでも有名で、『いきなり!フライデーナイト』のゲストに何度か彼らを呼んでいる。『おまかせ!山田商会』の番組内企画を通して、宇都宮に「餃子像」を建立することを提案した。また、「パイズリ」という言葉を発明した人物でもある。2008年からは、厚生労働省「がんに関する普及啓発懇談会」委員を務める。

[編集] 出演している番組

[編集] テレビ番組

レギュラー
不定期出演
特別番組

[編集] 過去の出演していた番組

[編集] テレビ番組

[編集] ラジオ番組

[編集] 映画

山田は、主人公の通う高校の生徒指導教諭役で出演しているが、後に出た漫画の『わ~お!ケンちゃん』(竹村よしひこ・著、小学館コロコロコミックス)全6巻(1991年 - 1995年)でも主人公の「志村ケン太」が通う小学校の生徒指導教諭として登場している。名前は、「山々田クニ子」である。
おそらくこの映画での生徒指導教諭役としての山田がモチーフであると思われる。

  • 102 クルエラ・デ・ビル役 声(1997年 ディズニー)
  • 30 thirty(1997年 パル企画)
  • ぷりてぃ・ウーマン(2003年 シネカノン)

[編集] ドラマ

[編集] CM

ほか

[編集] 舞台

  • 夢番地一丁目 (2000年)
  • 夢みる女 (2002年)
  • 江戸っ子芸者 夢奴奮闘記! (2003年)
  • アニー ハニガン役 (2008年版)

[編集] 著書

  • あっかんベーゼ(1990年 太田出版)
  • 結婚式(1991年 太田出版)
  • セミダブル(1992年 太田出版)
  • 一家ランラン(1993年 太田出版)
  • 同窓会(1994年 太田出版)
  • 私のリカちゃん(1994年 集英社)
  • 結婚物語(1995年 太田出版)
  • 好き嫌い(1996年 太田出版)
  • ヘアメイク神井結の芸能界ミステリー案内(1997年 太田出版)
  • 邦子のリサイクル大好き!(1998年 日本放送出版協会)
  • フェイス(1998年 太田出版)
  • こんなはずじゃなかった(1999年 毎日新聞社)
  • レシート(1999年 太田出版)
  • 成田空港物語(1999年 太田出版)
  • マリッジ・ブルー(2000年 太田出版)
  • オバサン・レディ(2001年 太田出版)
  • 邦子の「しあわせ」哲学(2003年 海竜社)
  • 大丈夫だよ、がんばろう!―私も、乳がんと闘っています(2008年 主婦と生活社)

[編集] 代表曲

  1. 邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド編)(1981年12月)
  2. つっぱりハイティーン・ガール(1982年)
  3. 邦子のアンアン小唄(1982年)
  4. 哲学しよう(1983年)
  5. ひょうきん絵書き歌
  6. “T”intersection ~あなたには戻れない~(1990年7月21日)
    やまだかつてないWinkとして。
  7. どうするの赤坂(1990年12月5日)
    高嶋政伸とのデュエット。名義は「山田邦子,高嶋政伸」
  8. さよならだけどさよならじゃない(1991年2月21日)
    やまだかつてないwinkとして。
  9. 涙の贈り物(1993年)
    桜庭亮平とのデュエット。名義は「KUNY AND RYO」

※これらに上げられていないが、全盛期はラブソングを歌い、アーティストとして大会場でコンサートが出来るほどの歌を歌っている。

[編集] 脚注

  1. ^ 米川明彦『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』三省堂、2002年、p236
  2. ^ 加藤迪男編著『20世紀のことばの年表』東京堂出版、2001年、p217
  3. ^ 木村傳兵衛、谷川由布子『新語・流行語大全 1945-2005 ことばの戦後史』自由国民社、2005年、p191
  4. ^カノッサの屈辱』より
  5. ^ 「山田邦子がいま円形脱毛症と格闘中」『女性セブン』1985年2月21日号、小学館、p226
  6. ^ 「オーモーレツ山田邦子がなんと丸坊主になった!」『女性セブン』1985年2月28日号、小学館、p46
  7. ^ 「円形脱毛症に悩んでいたの」『週刊女性』1985年3月5日号、主婦と生活社、p42
  8. ^瀬戸内晴美も真っ青?頭も真っ青」『女性自身光文社、1985年3月5日号
  9. ^ ただし女優がゴールデンタイムでメインを張った例としては、古くは草笛光子の『光子の窓』などの例がある
  10. ^ ナンシー関「それでも山田邦子好感度1位の謎」『週刊文春』1996年2月1日号、文藝春秋社
  11. ^ 「山田邦子 新番組惨敗、吉宗不評 落ち目女帝の八ツ当たり」『アサヒ芸能』1995年5月11日号、徳間書店、p206-p207
  12. ^ 「山田邦子 大借金と人気凋落で寒すぎる夏」『週刊現代』1995年7月29日号、講談社
  13. ^ 「嫌なやつとは思ってたけど…やっぱりカンにさわる女!! 山田邦子マンネリどこが好感度No.1なの?」『週刊女性』1995年10月10日号、主婦と生活社
  14. ^ 「この10人なぜ女に嫌われる!? 山田邦子お騒がせ熱愛宣言グセ」『女性自身』1995年9月19日号
  15. ^ 「結婚宣言も落ち目の話題作り 山田邦子はテレビ界一の「悪女」」『週刊現代』1995年7月8日号、講談社
  16. ^ 「なぜかムカつくこの女たち 山田邦子」『女性セブン』1995年10月26日号、小学館
  17. ^ 「女に嫌われる女上位20人のなぜ? 山田邦子 あの顔で面食い、ただの浮かれ女」『女性自身』1995年11月14日号、光文社
  18. ^ 「山田邦子が惚れた男 自宅に泊らせる44歳TVプロデューサーとの深い仲」『FOCUS』1995年12月13日号
  19. ^ ナンシー関『何を今さら』角川文庫、1998年、p79.
  20. ^ ナンシー関「山田邦子は終わった。やるべきことは、もうない」『噂の眞相』1999年3月号、噂の真相社

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月19日 (木) 04:42 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【山田邦子】変更履歴

ご利用上の注意