山田雅人

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山田 雅人(やまだ まさと、1961年1月22日 - )は、大阪市大正区出身のタレント俳優大阪学院大学高等学校大阪学院大学商学部卒業

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[編集] 概要

20歳のときに若井はやとに弟子入りし松竹芸能の所属になる。朝日放送おはよう朝日です』でテレビ初レギュラー出演。同番組の当時の1コーナー「おーい、山田くん」にて、下駄にバンカラ姿で『おーい、山田くん』と書かれたのぼりを手に、街頭インタビューを行っていた。番組内では同コーナーのみの担当であったが、若者に好評で、知名度が向上する。

1988年よみうりテレビが当時他局で好評だった夕方の若者向けバラエティ番組の競争に参戦することになり、森脇健児と共に、当時松竹芸能の若手ホープであった山田は『ざまぁKANKAN!』で司会に抜擢される。この番組の成功により、全国区に進出する足がかりを掴む。

その後は、東京でも積極的に仕事をこなし全国区の知名度を得るが、諸事情により松竹芸能から独立したことで、東京では目立った仕事は減るようになる。

ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(以下『渡鬼』と略す)では、途中からレギュラー出演を果たす。ただ、一度「京都の実家の父が倒れた」という設定で、急に"おかくら"を飛び出したことがあり、一部で「『渡鬼』降板か!?」と騒がれた。『渡鬼』の過去の出演者の前例からみて、降板すれば復帰はまず不可能と思われたが、その後レギュラーに復帰した。経緯は不明で、様々な憶測が飛んだ。また、2006年3月27日放送『関口宏の東京フレンドパークII』のスペシャル版では、「渡鬼」メンバーとして出演し、「ビッグチャレンジ」でダーツをスペシャル特別商品の「満漢全席」の箇所に命中させた。

競馬が好きで、特にテンポイントの大ファンであり番組等で様々なエピソードを披露している。その甲斐あってか、現在東海テレビ制作の『ドリーム競馬』(中京競馬場開催分)の司会を務めている。また、競馬の架空実況を若い頃からの持ちネタとしており、『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演の際は架空実況を披露するのが恒例となっている。みどりのマキバオーでは競走馬のモーリアロー号役として声優出演している。本人はこのマキバオーのアニメ化決定の際に「観客役でもいいから出たい」と出演志願していたという。

2006年、TBSのオールスター春の感謝祭に出場。地道に得点を重ね総合優勝を果たした。尚、賞品である温泉旅行は『渡鬼』メンバー全員で訪れるとのこと。

2006年4月からテレビ東京ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!」の「芸能人こそ東大へ行け!」プロジェクトに出演し、東京大学合格を目指し、受験勉強に挑んでいる。

山田は横山一門にとても可愛がられており、特に同じ横山一門の上岡龍太郎は彼を重用し、「あんなあほなやつはおらん」と芸人として絶賛していた。

[編集] エピソード

  • 大の阪神タイガースファンで特に掛布雅之を崇拝し、「ヒーローは君だ」という名前の新聞のスクラップ帳(いわばノートの類)を作成。特に掛布がホームランを打った日の翌日の新聞記事は必ずスクラップしていた。掛布氏が引退した後にそのスクラップ帳を本人に見せたところ、後日掛布本人から現役時代の泥が着いたままのユニフォームを贈られた。
  • 1992年3月28日に、藤井寺球場での阪神タイガースと近鉄バファローズオープン戦始球式を務めたが、打席に立っていた高橋慶彦死球を与えてしまった。この年限りで高橋が引退したため、彼の古巣・広島カープのファンから「引退に追い込んだのは山田雅人」と恨まれた。高橋慶彦本人は、既に全盛の力が衰えていたこともあり、笑って許している。
  • 長渕剛の大ファンでもあり、自身のラジオ番組で長渕の曲を弾き語りをしていたほど。売れる前の長渕が小ホールでコンサートしていたころ、自分の飼い猫を連れてきて『僕の猫』という曲を弾いていたというエピソードを紹介するなどかなりのもの。
  • 2000年に金沢競馬の重賞レース・百万石賞で、地元のテレビ局(石川テレビ放送)にゲストで呼ばれ、レースを実況したことがある。
  • 自身のブログでは競馬に関するネタがよく取り上げられているが、たびたび間違った血統情報を書き込んだためコメント欄が荒れ、荒れたコメントの削除を繰り返したが結局コメント欄自体が封鎖された。

[編集] 出演

[編集] テレビ番組

[編集] ラジオ

[編集] その他

  • インターネットテレビ&掲示板連動型casTY「山田雅人のひかりバラエティ」

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年8月9日 (日) 12:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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