山田風太郎
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| 山田 風太郎 | |
|---|---|
| 誕生 | 1922年1月4日 兵庫県養父郡関宮町 |
| 死没 | 2001年7月28日(満79歳没) |
| 職業 | 小説家 |
| 国籍 | |
| 主題 | 伝奇小説、ミステリ、時代小説 |
| 代表作 | 忍法帖シリーズ、明治もの |
| 主な受賞歴 | 探偵作家クラブ賞、菊池寛賞、日本ミステリー文学大賞 |
| 処女作 | 『達磨峠の事件』 |
山田 風太郎(やまだ ふうたろう、1922年(大正11年)1月4日 - 2001年(平成13年)7月28日)は、日本の小説家。本名は山田 誠也(せいや)。伝奇小説、推理小説、時代小説の三方で名を馳せた、戦後日本を代表する娯楽小説の大家。
忍法帖シリーズに代表される、奇想天外なアイデアを用いた大衆小説で知られている。『南総里見八犬伝』や『水滸伝』をはじめとした古典伝奇文学に造詣が深く、それらを咀嚼・再構成して独自の視点を加えた作品を多数執筆した。
学生であった戦時中から戦後しばらくにかけて書き記していた日記は記録文学の傑作との呼び声が高く、著者の再評価にもつながった。
目次 |
[編集] 筆名
筆名は、中学生時代に3人の友人らと互いに呼び合うのに用いた雷 / 雨 / 雲 / 風という符丁、そして受験雑誌への投稿時代にペンネームとして使用した「風」に由来する[1][2]。当初は「かぜたろう」と読ませたかったようである(国立国会図書館のデータベースにその名残が見られる)が、最終的に「ふうたろう」で定着した。なお、戦前・戦後の映画・芸能雑誌をコレクションしていた色川武大が、その雑誌の中から、たまたま学生時代の「風太郎」名義の投稿を発見し、その頁のコピーを山田に送ったこともある。
生前に戒名を「風々院風々風々居士」と自ら定め、八王子の上川霊園にある墓石には「風ノ墓」と刻まれている。
[編集] 経歴
[編集] 生い立ち
兵庫県養父郡関宮町(現・養父市)に父母ともに医者の家系の家にうまれる。5歳の時に父を、中学2年の時に母を亡くす。以後、叔父夫婦に養われて成長するが、互いに親子の情愛がわかなかった。
兵庫県立豊岡中学校(旧制中学)卒業後、1942年(昭和17年)、半ば家出状態で上京する。20歳の時に受けた徴兵検査では丙種合格とされ、徴兵は免れた(その頃はまだ甲種と乙種合格者しか徴兵されていない時期だった)。東京では東京医専(今の東京医科大学)受験の浪人生活の傍ら、沖電気の軍需工場で働く。1944年(昭和19年)、22歳の時に東京医専の入試に合格し、医学生となる。
虚無的な青年として、読書を心の支えに戦時下の生活を送る。が、敗戦の前日には異常な精神状態となり、友人と徹夜で議論し、「日本を救うためには不撓不屈の意思の力であと三年戦うしかない、無際限の殺戮にも耐え抜いたときのみにこそ日本人の誇りは守られる」と、戦争継続の運動を起こそうとするが挫折する。
1945年(昭和20年)8月15日の日記には「帝国ツイニ敵ニ屈ス。」とのみ記される。なお、疎開先の飯田で、沖電気時代の恩人、高須氏の夫人の連れ子にあたる佐藤啓子(当時13歳)と出会う。彼女とは、のち1953年に結婚し、終生を伴にすることになる。
山田風太郎作品にほぼ全て共通する、一歩引いた視点からの人間や歴史への視点は、幼少時の両親との死別、そして多感な青春時代に起こった大東亜戦争(太平洋戦争)により型作られた。特に徴兵検査で体格不適格で丙種合格となり、「列外の者」とされたことは、彼の内面に「社会から疎外された者」としての意識を形成することになったと自ら語っている。
[編集] 初期・ミステリと時代小説
正式なデビュー以前、旧制中学時代に何度か雑誌に小説を投稿し、入賞している。伯父からの仕送りで医学生をしていた時代、生活のために『宝石』の短編懸賞に応募した『達磨峠の事件』が入選(1947年1月号に掲載)したことで作家デビュー。医師になることは、自ら不適と決める。 戦後の荒廃した世相を背景とした推理小説を中心に、多数の短編を発表。また、同期の作家である高木彬光と日本初の合作小説『悪霊の群』を執筆するなど活動を続け、山田、高木と、島田一男、香山滋、大坪砂男は「探偵小説界の戦後派五人男」と呼ばれた。長編『誰にも出来る殺人』、『棺の中の悦楽』等は、読み切り連載特有の制約を守りつつ、全体を意外な結末へ導く工夫を凝らしている。作者本人は、明治ものの一作である『明治断頭台』を自身のミステリ作品の最高傑作と述べている。
デビュー以来10年、日本ミステリ界の巨人であり、宝石の編集長を自ら務めた江戸川乱歩への恩もあってミステリ作品を中心に執筆した。ただ、時々雑誌のカテゴリーを無視して時代小説を寄稿している。「(ミステリは)自分には向いていなかった」と山田自身は語っているが、多数の傑作を残したことは事実であり、2000年には日本ミステリー文学大賞を受賞した。現代を舞台にしたミステリ作品は、1960年代半ばまで断続的に発表された。例外として『神曲崩壊』は1987年の作品である。
鼻の位置にペニスがあるという突拍子もない設定の『陰茎人』をはじめとするユーモア・ナンセンス作品、学年誌に発表した少年向け作品や、歴史を扱った小説も多数発表。『山屋敷秘図』に代表される切支丹もののように日本を舞台にするだけでなく、原稿料のかわりに貰った中国四大奇書のひとつ『金瓶梅』をミステリとして再構成した『妖異金瓶梅』があり、忍法帖を執筆するきっかけともなった。なお、時代小説は晩年に至るまで執筆している。
[編集] 忍法帖とブーム
『妖異金瓶梅』の後、同じく四大奇書である『水滸伝』を翻案しようと模索するが、108もの武術を考えるに至らず、かわりに忍法という奇想天外な術を用いて活躍する忍者たちの小説を構想する。
1958年(昭和33年)に発表した『甲賀忍法帖』を皮切りとする忍法帖もので流行作家となる。これは安土桃山時代から江戸時代を舞台として、想像の限りを尽くした忍法を駆使する忍者たちの死闘を描いた作品群である。1963年(昭和38年)から講談社より発売された『山田風太郎忍法全集』は全10巻の予定であったが、刊行途中で連載を終えた『柳生忍法帖』の上・中・下巻と短編集2冊を加えて全15巻となり、累計で300万部を売り上げるベストセラーとなった。
その後も掲載紙を問わずに多数の長編・短編が執筆された。その中には細部の設定を詰めずに連載を開始したものも多かった。特に柳生十兵衛三部作の第一作『柳生忍法帖』は当初は『尼寺五十万石』と題され十兵衛が登場する予定はなく、第二作『魔界転生』は、どんな忍法が登場しても大丈夫なように適当な題名「おぼろ忍法帖」をつけたものの、結局内容にそぐわなくなった。そのため『柳生忍法帖』は単行本化の際に、『魔界転生』は後述する1981年の映画化の際に改題された。
同時期に白土三平が貸本劇画『忍者武芸帳 影丸伝』を発表しているが、従来の「忍術」を「忍法」に変えたことが共通する程度で、作風的には、あまり類似性はない。山田は生前、白土の漫画のことを読んだことがない[3]と語っており、それぞれ、同時代に時代精神として並行して発生したものだと考えられる。
忍法帖シリーズの執筆は1960年代の終わりまで続くが、1970年代に入ると幕末を舞台とした時代小説を中心に手掛けるようになる。忍法帖の様式に当てはまる最後の作品は、明治初期を舞台とした『開化の忍者』(1974年(昭和49年))である。
[編集] 空白の幕末期
幕末を舞台とした短編は1970年代を中心にいくつか書かれているが、長編としては天狗党の乱を描いた『魔群の通過』と、明治元年に薩摩兵が惨殺されたことに対する報復による元幕臣の悲劇を描く『修羅維新牢』、国定忠治の息子が侠客修行の旅を続けるうちに維新の騒乱に身を投じる『旅人国定龍次』などがある(『修羅維新牢』は幕末の動乱が収まっていない時期であるため明治もののカテゴリーからは外れる)。
いずれも、維新のいわゆるヒーローのような人物がほとんど関わらない出来事を取り上げているのが特徴である。『旅人国定龍次』については後半、維新の志士や新撰組、坂本龍馬などが登場し物語に大きく関わりはするが、維新の部外者である侠客の目を通して、一定の距離を置いた幕末の動乱が描かれている。
[編集] 明治もの・史実の交差
幕末の作品が橋渡しをする形で、1973年(昭和48年)に、明治時代を舞台とした最初の作品『警視庁草紙』の連載がオール讀物で始まる。“明治もの”と呼ばれる作品群は、明治時代6年から8年を舞台とした『警視庁草紙』から、基本的に作を進めるごとに時代が下ってゆく。『明治断頭台』は例外的に遡って、1869年(明治2年)から1871年(明治4年)の最初期を舞台にしている。
日本人に馴染みの深い、あるいは名前を知っている歴史上の人物や事件を交差させる手法が特徴である。史実と史実の間を独創的なエピソードによってつなぐこの手法は、人物や事件を可能性の中から模索して結びつけることに成功している。ほとんどの作品は破綻を見せずに完成させているが、意図的に史実を無視した部分も存在する。これは他の時代を扱った作品においても同様である。これら明治ものは、構成力の緻密さが遺憾なく発揮されており、作者本人も、『地の果ての獄』を除くほぼ全ての作品において、ABC評価でAを付けている[要出典]。
1986年(昭和61年)発表の『明治十手架』を最後に、明治ものは終了する。
[編集] 室町と晩年
1989年(平成元年)、足利義政を主人公とした『室町少年倶楽部』を皮切りに、資料面の不足などから当時敬遠されていた室町時代を舞台にした“室町もの”と呼ばれる作品群を発表した。この中には、以下のような作品がある。
- 『婆沙羅』 - 南北朝時代に、ばさら大名と呼ばれた佐々木道誉の奔放な人生。
- 『室町お伽草紙』 - 少年時代の豊臣秀吉を中心に、京に集った若き日の織田信長・武田信玄・上杉謙信の物語。
- 十兵衛 三部作の完結編『柳生十兵衛死す』(1991年(平成3年)発表)
『柳生十兵衛死す』は「小説を書くとその分命を縮める」と考えていた山田が書いた最後の小説でもあるが、実際は白内障や糖尿病、パーキンソン病を次々患ったことで執筆活動そのものが困難になっていたようである。そのためか晩年には、アイデアはあると語っていたが、小説にすることはなかった。室町時代を舞台に蓮如を狂言回しとして、八犬伝の犬士たちが活躍する室町ものの構想もそのひとつであるが、もし執筆されれば室町ものと忍法帖とのあいだの年表上の空白を補い、「忍法八犬伝」、「八犬傳」とあわせて八犬伝三部作ともいえる作品になったはずであった。なお、室町・戦国・江戸・明治・戦後初期と、それぞれ舞台とした小説の空白期間である、大正期・戦前期についての作品を書いて、風太郎サーガとして「時代の流れをすべて続ける」構想もあったようだ。
90年代は随筆や対談、インタビュー集が出版されたが、その中でもパーキンソン病にかかった自分自身を見つめたエッセイ『あと千回の晩飯』は出色の出来である。
命日である7月28日は奇しくも師の江戸川乱歩の命日と同日である。晩年から死後にかけては「戦中派天才老人」などと呼ばれることが多い[要出典]。
[編集] 歴史・死生観
上に挙げたようなカテゴリーに当てはめられる作品群以外にも、優れた著作がある。その中でも、
- 太閤記にはじまる英雄としての豊臣秀吉を疑問視し、徹底的なエゴイストとして描き切った『妖説太閤記』
- 江戸時代の作家、曲亭馬琴の著作、南総里見八犬伝を再構成した上で、八犬伝の世界を“虚”、その作者である馬琴の世界を“実”として交互に綴るという構成の『八犬傳』は圧巻である。余談だが、山田は毎日の献立や出納などを全て日記に記録しており、同じことをしていた馬琴と共通するものがあったという。
上記以外の著作としては、
- 自身の昭和20年の日記である『戦中派不戦日記』
- 上記以外に太平洋戦争の開戦当日と終戦に至るまでの数日、日米双方で起きた出来事をピックアップして時系列順に並べた『同日同刻』
- 古今東西の著名な923人の臨終の様をまとめ、死亡年齢順に並べた『人間臨終図巻』
等が知られる。他に学生時代の書簡集や、自身の子供の成長を書き記し、後に嫁入り道具として娘に持たせたという『山田風太郎育児日記』がある。
[編集] 再評価・影響
[編集] 忍法帖シリーズ
1990年代に入ってから、忍法帖シリーズはリバイバルと言える状況が2つの要因により発生した。一つはオリジナルビデオ(Vシネマ)のブームの中で、『くノ一忍法帖』をタイトルに冠したシリーズが発表されたことである。これらはいわゆるエロ・グロ・ナンセンスが強調され、くノ一が全く存在しない作品であっても登場させ、お色気シーンを加えたりするというものがほとんどである。他では映像化されていない忍法帖作品(『秘戯書争奪』や『自来也忍法帖』)が原作として取り上げられた点は貴重であるが、Vシネマとしての忍法帖は『山田風太郎原作の作品』というよりは『くノ一忍法帖』というブランドとして扱われているのが現実である。
もう一つの要因は北上次郎が指摘しているが、脚本家から小説家に転じて時代伝奇小説の分野に一大センセーションを巻き起こした隆慶一郎が1989年に小説家活動僅か5年で急逝したことである。隆の作品から時代小説に入ったものの、その死によって読む物がなくなった読者層には、同傾向の過去作品を探し求めた結果として、忍法帖シリーズに辿りついた者が少なからずいたという[4]。
[編集] 忍法帖シリーズ以外の作品
山田が新作小説を発表しなくなってから、忍法帖シリーズに比べて正当に評価されていたとは言い難い作品群の再評価が始まった。
その先陣を切ったのは、『山田風太郎傑作大全』(廣済堂文庫、1996年〜)全24巻である。この中には入手困難だったミステリおよび時代小説の長・短編が数多く収められ、隠れた名作を手軽に読めるようになった。ただし、本の帯などでミステリ作品にあるまじき種明かしがされている(その後出版された光文社文庫版にはない)。現在でもこのシリーズでしか文庫化されていない作品が多く、1963年の長編『太陽黒点』が広く知られるきっかけともなった。最高傑作として、この『太陽黒点』を挙げるファンも多い[要出典]。
[編集] 明治ものの影響
山田が手をつけるまでは「明治時代は歴史・時代小説の鬼門」と言われた時代があったが、明治ものの成功以降、明治を舞台にした小説を書く作家が増えた。
なお、明治ものの「実在の人物たちが、もしも、意外な場所で出あっていたら」という手法は、多くの作家に影響を与えた。関川夏央がやはり明治を舞台として、谷口ジローと合作した漫画『「坊っちゃん」の時代』シリーズはその典型だが、他にも類似の手法をとった作品は多い。
2001年に作者が死去した後も様々な形で企画が立ち、復刊、あるいは初単行本化が続いている。 澁澤龍彦・金井美恵子・小林信彦・馳星周・菊地秀行・京極夏彦・中島らも・関川夏央などプロの作家にもファンを公言するものは多い(うち何人かは作品的な影響も見て取れる[要出典])。
[編集] エピソード
- 徴兵検査に不合格であったのは、直前に大ファンであった高峰秀子の舞台を無理して見て、肋膜を壊したためである。また若い頃の啓子夫人は高峰秀子に似ていると評されていた。
- 好物は自身が考え出したメニュー「チーズの肉トロ」。とろけるチーズを牛肉でつつんで焼いたものに、ピーマン、トマト、キャベツなどを添えて生ニンニクをすって醤油をつけて、食べた。
- 中島らもが対談で山田邸を訪れた時は、あまりに大量の食事が用意されていたうえ、さらにそばまで出されそうになり、中島はかなり驚いていた。
- ペンネームは「プー太郎」をもじったものだとする説がある。子ども時代のあだ名(暗号)「風」から他の友達は「雷」などがあった。
- パンくずで庭に「バカ」と書いて、その形に雀が群れるのを見て楽しんでいた。
- かなりの子煩悩。長女が嫁ぐ時、育児の様子を綴った日記帳を嫁入り道具に持たせた。
- 酒豪であり、若い頃は原稿料が入った封筒を酔っぱらっては落としていた。
- 忍法帖執筆時、娘と入浴していて「おとうさんのおちんちん、とれるノ?」と言われたことをきっかけに、忍法を思いついたことがある。
- ミステリ作家時代は、自宅に編集者を呼んで麻雀に興じた。その際のメンバーに、当時編集者の色川武大がいたが、麻雀名人の色川は、山田たちのレベルにあわせて、手加減して麻雀を打っていた。
- 高木彬光とは年齢・境遇が近かったこともあって親しく、高木がアイディアを出して山田が執筆した合作『悪霊の群』がある。互いの死去時の葬儀委員長を約束していたが、高木の死去時には山田も大病を患っており、果たせなかった。
- 夏目漱石の『我輩は猫である』の最終回で「詐欺師の小説」が紹介されるが、これはミステリの古典的名作短編、ロバート・バーの『放心家組合』のことであると、1971年(昭和46年)2月号の文藝春秋に寄稿したエッセイ『漱石と「放心家組合」』で初めて指摘した。
- 作品の原稿は、出版社から返却されると「焚き火が大好きで」と悉く焼いたため、生原稿は殆ど残っていない(現在5編のみ確認されている)[5]。
[編集] 作品一覧
- 現代
- 悪霊の群 - 高木彬光との合作
- 十三角関係
- 誰にもできる殺人(誰にも出来る殺人)
- 青春探偵団
- 棺の中の悦楽
- 夜よりほかに聴くものもなし
- 太陽黒点
- 神曲崩壊
- 時代小説
- 妖異金瓶梅(下の『秘抄金瓶梅』を吸収合併)
- いだてん百里(原題『山刃夜叉』→『韋駄天百里』→『いだ天百里』)
- 妖説忠臣蔵
- ありんす国伝奇(原題『女人国伝奇』)
- 白波五人帖(『白浪五人帖』)
- 秘抄金瓶梅(上の『妖異金瓶梅』に吸収合併)
- おんな牢秘抄
- 妖説太閤記
- 武蔵野水滸伝
- 修羅維新牢(原題『侍よさらば』)
- 叛旗兵
- 御用侠
- 魔群の通過(副題- 天狗党叙事詩)
- 八犬傳(八犬伝)
- 旅人国定龍次
- 『山田風太郎ミステリー傑作選』(光文社文庫、2001年)全10巻、『山田風太郎コレクション』(出版芸術社)の第1巻「天狗岬殺人事件」と、第3巻「十三の階段」(様々な作家による連作集)、高木彬光との共著『悪霊の群』で、山田のミステリ・少年ものはほとんど読める。正式デビュー以前の作品群も、『山田風太郎ミステリー傑作選』に収録された。ただし、刊行後に発見された原稿や掲載誌、および未発見の作品もある。
- 他のカテゴリに当てはまらない時代小説について、『山田風太郎妖異小説コレクション』(徳間文庫、2003年)に纏める企画が立てられたが、最初の4巻で終了。とはいえ、その4冊と『山田風太郎傑作大全』(廣済堂文庫)や、2000年以降に小学館文庫で刊行された長編、その他講談社文庫などで大まかながら読める。
- 忍法帖
- 長編の忍法帖作品は基本的には連載終了後に単行本化された。1969年(昭和44年)から翌年にかけて週刊文春で連載された『忍法創世記』のみ、『山田風太郎コレクション』(出版芸術社、2001年)第2巻で単行本化され、2005年に小学館文庫に収められた。当時出版されなかった理由は、天皇と三種の神器、いわゆる皇室タブーを扱っていたためといわれている[要出典]。現代を舞台とした『忍法相伝73』は1960年代に単行本が刊行されたのち、2008年現在に至るまで絶版のままである。
- 1970年代後半より、角川文庫から佐伯俊男による官能的な表紙絵の山田風太郎作品が、忍法帖を中心に発売された。さらに1981年(昭和56年)、『魔界転生』の映画化がきっかけで再び忍法帖は脚光を浴びる。現在ではほぼ絶版だが、『忍法剣士伝』と『おんな牢秘抄』は2008年現在も販売中。また、2003年の『魔界転生』の再映画化に伴い寺田克也による表紙で『甲賀忍法帖』などが復刊した。なお、1990年代に講談社が忍法帖のほぼ全作品をノベルスで出版。1998年から翌年にかけて、一部が天野喜孝の表紙で全14巻で文庫化されるとノベルスは絶版となった。
- 『忍法帖短編全集』(ちくま文庫、2004年〜2005年)が全12巻で発売され、忍法帖の全短編の他、矢野徳の絵物語や、「忍者枯葉塔九郎」を水木しげるが漫画化した「大いなる幻術」などが付録に収められた。この完結と同時に、河出文庫で忍法帖の長編の出版計画が立てられたが、第一期の『信玄忍法帖』『外道忍法帖』『忍者月影抄』の3作品のみ刊行。
- 明治
- 警視庁草紙
- 幻燈辻馬車
- 地の果ての獄
- 明治断頭台
- 明治波濤歌
- エドの舞踏会
- ラスプーチンが来た
- 明治十手架
- 『山田風太郎明治小説全集』(ちくま文庫、1997年)全14巻で、『開化の忍者』以外の明治ものを全て読める。
- 室町(数が少ないため、中短編も含める)
- 婆沙羅
- 室町お伽草紙
- 柳生十兵衛死す
- 室町の大予言
- 室町少年倶楽部
- 『婆沙羅』(講談社文庫)と『柳生十兵衛死す』(小学館文庫)以外、2008年現在は絶版。出版が1990年代中盤から2000年頃までと比較的近い。
[編集] その他の著作
- 日記
- エッセイ
- 風眼抄
- 半身棺桶
- 死言状
- あと千回の晩飯
- わが推理小説零年 (山田風太郎エッセイ集成)
- 昭和前期の青春 (同上)
- 秀吉はいつ知ったか (同上)
- インタビュー、対談集
- 風来酔夢談
- コレデオシマイ。
- 風太郎の死ぬ話
- いまわの際に言うべき一大事はなし。
- ぜんぶ余禄
- 風々院風々風々居士
- ノンフィクション
- 同日同刻
- 人間臨終図巻
- 疾風迅雷書簡集
- 日記は、昭和21年以降に書かれたものが作者の死後に小学館から出版され、昭和17年から昭和27年までの日記を読める。さらに様々な雑誌に掲載されたエッセイを単行本に纏める企画が2007年より開始し、2008年9月の時点で筑摩書房からハードカバー版のシリーズが3冊刊行されている。
[編集] 翻案・二次創作等
いくつかの作品は映画・テレビドラマ、舞台劇等になり、根強い人気を証明している。
- 棺の中の悦楽 - 1965年、大島渚監督により『悦楽』として映画化。
- おんな牢秘抄 - 1972年、日本テレビ、ユニオン映画より、『姫君捕物控』としてTVドラマ化。
- 夜よりほかに聴くものもなし「黒幕」 - 1969年、『恐怖劇場アンバランス』第7話「夜が明けたら」としてTVドラマ化(放送は1973年)。
- 警視庁草紙 - 2001年に『山田風太郎 からくり事件帖-警視庁草紙より-』としてTVドラマ化。
- 伊賀忍法帖 - 1982年映画化。
- 魔界転生 - 1981年映画化(深作欣二監督)、2003年再映画化。1981年、2006年舞台劇化。
- 甲賀忍法帖 - 2005年に『忍-SHINOBI』として映画化。
- くノ一忍法帖 - 1991年オリジナルビデオ化。1998年まで8作品が制作。
- エドの舞踏会 - 『エドの舞踏会』(1986、2007)『夢に舞う女たち』(1993)、『妻たちの鹿鳴館』(2002)のタイトルで舞台劇化。
- 明治波濤歌 - 『風の中の蝶たち』(2004)のタイトルで舞台劇化。
[編集] マンガ
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- 魔界転生 (画:石川賢)
- 魔界転生 (画:鳥羽笙子)
- 柳生十兵衛死す (画:石川賢)
- バジリスク 〜甲賀忍法帖〜 (原作:甲賀忍法帖/画:せがわまさき) - 2005年にTVアニメ化。
- Y十M 〜柳生忍法帖〜 (原作:柳生忍法帖/画:せがわまさき)
- 甲賀忍法帖・改 (原作:甲賀忍法帖/画:浅田寅ヲ、「エース特濃→Comic新現実」)
- 花かんざし捕物帖 (画:島崎譲、「MiChao!」)
- アイゼンファウスト 天保忍者伝 (原作:忍者黒白草紙/画:長谷川哲也、「MiChao!」)
- NADESI〜いだてん百里(原作:いだてん百里/画:岩田やすてる、「リイド社SPコミックス」)
- 忍法剣士伝 (原作:忍法剣士伝/画:土山しげる、リイド社「コミック乱TWINS」)
- 大いなる幻術 (原作:忍者枯葉塔九郎/画:水木しげる、ちくま文庫 野ざらし忍法帖)(同カラー版、着彩:京極夏彦、「風太郎千年史」)
- 姦の忍法帖 (原作:姦の忍法帖/画:土山しげる、「漫画ボン」増刊 「妖剣2」)
- 伊賀忍法帖(脚本・呉屋真/漫画・草壁ひろあき、「コミックバンチ」)
[編集] 受賞歴
- 1949年 - 『眼中の悪魔』および『虚像淫楽』により第2回探偵作家クラブ賞(日本推理作家協会賞の前身)短編賞を受賞。
- 1997年 - 激動の時代の生の証をとどめる著作と大衆文芸に新たな面白さをもたらした功績により第45回菊池寛賞を受賞。
- 2000年 - 第4回日本ミステリー文学大賞を受賞。
[編集] 関連項目
[編集] メディア
- 「山田風太郎が見た日本」(NHK 2005年)
[編集] 出典
最終更新 2009年10月12日 (月) 17:20 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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