岡林信康
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| 岡林信康 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 別名 | フォークの神様 |
| 出生 | 1946年7月22日(63歳) |
| 血液型 | O型 |
| 学歴 | 同志社大学神学部中退 |
| 出身地 | 滋賀県近江八幡市 |
| ジャンル | フォークソング ロック |
| 職業 | 歌手 |
| 担当楽器 | ボーカル・ギター |
| 活動期間 | 1968年 - |
| レーベル | ビクターエンタテインメント ソニーミュージックエンタテインメント 日本コロムビア 東芝EMI 日本クラウン |
| 公式サイト | なし |
岡林 信康(おかばやし のぶやす、1946年7月22日 - )は、滋賀県近江八幡市生まれのフォーク歌手。フォークの神様の愛称で知られる。
実家は教会(メンタム製造メーカー近江兄弟社の創業者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズが創設した)。 現在は京都府亀岡市在住。
目次 |
[編集] 経歴
近江兄弟社中学、滋賀県立八日市高等学校を経て、1966年に同志社大学神学部入学。熱心なキリスト教信者であったが、実家の教会の不良少女の扱いに疑問を感じ「脱出」、その後社会運動に身を投じる中で、高石ともやに出会いギターを始める。
1968年京都で行われた第3回フォークキャンプに参加。同年9月、山谷に住む日雇い労働者を題材とした「山谷ブルース」でビクターよりレコードデビュー。翌年までに、「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」「くそくらえ節」「がいこつの歌」など、名作・問題作を発表。その内容から、多くの曲が放送禁止となる。一世を風靡し、「フォークの神様」と言われたが、労音との軋轢や周囲が押しつけてくるイメージと本人の志向のギャップ(同時期、岡林はすでに直接的なプロテストソングに行き詰まりを感じており、ロックへの転向を模索していた)などにより、翌年5月に一時蒸発。
1970年になると、ボブ・ディランに影響を受けたロックを、当時無名だったはっぴいえんどをバックに展開し始める。「それで自由になったのかい」「私たちの望むものは」「自由への長い旅」などの作品を発表するが、1971年の「自作自演コンサート 狂い咲き」及び、「第三回中津川フォークジャンボリー」を最後に、表舞台から再び姿を消す。
1973年にソニーへ移籍し、活動を再開。ロック路線のアルバム『金色のライオン』『誰ぞこの子に愛の手を』などを発表。ディラン風の暗喩を多用した「あの娘と遠くまで」「26番目の秋」などの曲は、一部で高い評価を得るものの、相変わらず「フォークの神様」を期待するファンは多かった。レコードこそ発表はしたが、数度のゲスト出演を除き人前に登場せず、結局、その意識は京都府丹波地方の農村生活の中で沈黙することへ向かっていた。
数年間の農村生活の中で演歌に開眼。「月の夜汽車」などの作品を美空ひばりに採用される。1975年には、岡林本人もコロムビアに移籍し、演歌路線のアルバム『うつし絵』をコロムビアより発表。久しぶりのワンマンコンサートも行う。コロムビアでは他に新録の2枚組ベストアルバム『岡林信康』、私小説的弾き語りの『ラブソングス』などを発表。
1978年になるとアルバム『セレナーデ』を皮切りに、パロディ色の強い、ニューミュージック路線を展開。古巣のビクターに再び移籍し、更に『街はステキなカーニバル』『ストーム』『グラフィティ』と路線を深めていく。「Good-bye My Darling」「君に捧げるラブ・ソング」「山辺に向いて」などがこの時代の代表曲。1980年、TVドラマ『服部半蔵・影の軍団』のエンディング・テーマである「Gの祈り」を発売。
1980年代中頃より、メジャーレーベルとの契約が切れたことなどもあり、往年のフォークスタイルであるギターとハーモニカによる弾き語りツアー「ベアナックルレビュー」を開始し、全国を巡る。また、この頃より、封印していた初期の曲の一部を再び歌うようになる。 さらに、同時期、日本民謡的なリズムに乗せた、独自のロック「エンヤトット」を思案。平野融らとともに模索を続ける中、韓国の打楽器集団サムルノリと出会い、開眼する。1987年、自主制作テープ『エンヤトットでDancing』を発表。その後、東芝や日本クラウンなどでアルバムを発表。
「古いファンからはあまり喜ばれなかった」と本人が語る「エンヤトット路線」ではあったが、2007年10月20日に36年ぶりの日比谷野音ライブ「狂い咲き2007」を行うまでに至る。また、前述の日比谷野音ライブに前後した時期から、10年以上「封印状態」にあった初期の音源のまとまったCD化。岡林を敬愛するサンボマスターとの競演や、ロック時代の曲を数十年ぶりに再演するミニライブの開催。数々のテレビ出演など。より積極的な活動を見せ始めている。
現在は「エンヤトット」を、自らの苗字とかけた「御歌囃子(おかばやし)」と新たに名づけ、全国でライブ活動を展開中。
[編集] その他
本人は気さくな性格で、コンサートで「友よ」の歌い出しを「ホモよー♪」と自ら歌うほどである。 サントリー「京番茶」のCMでは、出勤拒否を娘に諭される交番のおまわりさんを演じ、好評を得た。
部落差別をテーマにした「手紙」「チューリップのアップリケ」は、放送禁止歌の代表例といわれる(実は放送禁止になっている歌というものは存在しない。抗議などを恐れての自主規制・自粛である)。現在に続くエンヤトット(御歌囃子)の活動は、英国を訪れた際に会ったロバート・フリップに「欧米の真似ではなく日本独自のロックを見せろ」と言われた事をきっかけにしている。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] シングル
[編集] オリジナル・アルバム
- わたしを断罪せよ(1969年)
- 見るまえに跳べ(1970年)
- 俺らいちぬけた(1971年)
- 金色のライオン(1973年)
- 誰ぞこの子に愛の手を(1975年)
- うつし絵(1975年)
- ラブソングス(1977年)
- セレナーデ(1978年)
- 街はステキなカーニバル(1979年)
- ストーム(1980年)
- GRAFITI(1981年)
- ベア・ナックル・ミュージック(1990年)
- 信康(1991年)
- MADE IN JAPAN(1992年)
- 風詩(1998年)
[編集] ライヴ・アルバム
- 岡林信康リサイタル(1969年)
- 岡林信康コンサート(1970年)
- 岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き(1971年)
- 1973PM9:00→1974AM3:00(1975年)
- グッドイブニング(1980年)
- 岡蒸気(1993年)
[編集] 新録ベスト・アルバム
- 岡林信康(1976年)
- 歌祭り(2001年)
- 歌祭りセカンド(2003年)
- 歌祭りサード(2007年)
[編集] 関連ミュージシャン
[編集] URC時代
[編集] バックバンド
[編集] 影響
[編集] 曲提供
[編集] 関連項目
最終更新 2009年11月20日 (金) 15:10 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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