岡田弘隆

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獲得メダル
日本
男子 柔道
オリンピック
1992 バルセロナ 86kg級
世界柔道選手権
1987 エッセン 78kg級
1991 バルセロナ 86kg級
アジア大会
1990 北京 86kg級
アジア柔道選手権
1993 マカオ 86kg級

岡田 弘隆(おかだ ひろたか、1967年2月22日 - )は、日本柔道家岐阜県揖斐郡大野町出身。得意技は小内刈り大内刈り大外刈り。身長170cm。

目次

[編集] 来歴

大野小5年から柔道を始めた。大野中学校、大垣日大高校と進み、高校3年時の1984年インターハイ個人戦軽重量級優勝。

筑波大学に進学。1986年嘉納治五郎杯(78kg級)、1987年に全日本選抜体重別選手権(78kg級)とエッセン世界選手権(78kg級)、1988年に全日本選抜体重別選手権(78kg級)で優勝し、同年ソウルオリンピック(78kg級)に出場。しかし、3回戦でフランスのパスカル・タイヨ(Pascal Tayot)に敗れる。

大学卒業後はマルナカに所属し、同時に1993年まで筑波大学大学院に在籍。1990年には全日本選抜体重別選手権(86kg級)、講道館杯(86kg級)、アジア大会(86kg級)、グッドウィルゲームズ(86kg級)と立て続けに優勝。翌1991年、全日本選抜体重別選手権(86kg級)で優勝し2連覇達成、バルセロナ世界選手権(86kg級)優勝。1992年、全日本選抜体重別選手権(86kg級)優勝(3連覇)と輝かしい実績を残す。しかしバルセロナオリンピックでは、頭を剃り上げ気合を入れて臨んだものの本来の力を発揮できず、86kg級で銅メダルに終わった。

その後、1992年講道館杯(86kg級)優勝、1995年ドイツ国際(86kg級)優勝。1995年12月に引退を表明し、筑波大職員、柔道部監督となった。1997年から1年間イギリスに留学。

現在は筑波大講師、筑波大柔道部監督、全日本柔道連盟強化コーチとして後進の指導にあたっている。

2000年シドニーオリンピック男子柔道100kg超級決勝・篠原信一ダビド・ドゥイエ戦がNHKでテレビ中継された時の解説をしていた。「これは誤審です」「明らかな誤審です」と怒りをあらわにした。

[編集] エピソード

  • 1994年の全日本体重別選手権86kg級で、若手のホープ中村佳央と対戦。試合中盤、中村に腕ひしぎ十字固めを極められ、その完璧な体勢、中村の圧倒的なパワーで勝負あったと思われたが、岡田は完全に極められた体勢のままでも決して「参った」の合図をしなかった。岡田は耐え抜き、ついに主審は「待て」を宣告。その結果、靭帯は切れ、脱臼、剥離骨折と左腕は完全に壊れてしまった。結果は岡田の優勢負けだった。後年、中村はこの試合を振り返り、「とにかく岡田さんの精神力に感服した。勝負に情けは禁物だが、折れるまで力を込めなかった自分も正解だと思っている」と述懐している。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年8月30日 (日) 04:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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