岡野雅行 (サッカー選手)
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| 岡野 雅行 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | 野人 | |
| カタカナ | オカノ マサユキ | |
| ラテン文字 | OKANO Masayuki | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1972年7月25日(37歳) | |
| 出身地 | 神奈川県横浜市 | |
| 身長 | 175cm | |
| 体重 | 71kg | |
| 血液型 | B型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ガイナーレ鳥取 | |
| ポジション | FW | |
| 背番号 | 30 | |
| 利き足 | 右足 | |
| 代表歴 | ||
| 1995-1999 | 25 (2) | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
岡野 雅行(おかの まさゆき、1972年7月25日 - )は、神奈川県出身で元日本代表のサッカー選手。JFL・ガイナーレ鳥取所属。ポジションはフォワード。ニックネームは「野人」。祖父は、書家で文化功労者の手島右卿。
目次 |
[編集] 人物・プレースタイル
中学・高校では足は群を抜いて速い訳ではなかったが、日本大学時代の体育の授業で100m走10秒8のタイムを出し、自分が人より足が速いと初めて気付く。そのときはバスケットシューズで、一緒に走った陸上競技用スパイクを履いた陸上部部員に勝ったという。
0度から倒れ込みながらクロスを上げることを得意としている。技術はJリーガーの中でも下に位置するが、気持ちとスピードで勝負する選手である。
プロデビュー直後は快速ぶりを生かしたカウンター攻撃を得意とするFWとして売り出した。ベテランになってからはサイドを突破しての高速クロスを武器とするウイングプレーヤーとしてのプレーが増えている。全盛時と比べるとスピードには若干衰えが見られるが、技術面では著しく向上しており、スーパーサブとして欠かせない存在になっている。
[編集] 来歴
中学卒業後、ブラジルへのサッカー留学を熱望していたが、家族に反対され親戚の勧めにより、島根県松江市の松江日本大学高等学校(現:立正大学淞南高等学校)へ進学。新設されたサッカー部ではキャプテン兼監督で、高校からサッカーを始めた部員たちを束ね、最高で島根県3位になるまでのチームにした。現在同校は島根県のサッカー名門校になっており、岡野はその礎を築いたと言ってよい。
その後日本大学へ進学するが、中退して浦和レッドダイヤモンズ入り。日大在学中はサッカー部に所属しながら夜は居酒屋でアルバイトするなどの生活をしていた。1993年の天皇杯、関東大会の対筑波大学戦で当時、大岩剛(現鹿島アントラーズ)、望月重良(元横浜FCなど)、藤田俊哉(現ロアッソ熊本)を擁した当時の大学史上最強と言われた相手に五人抜きのゴールを含む2得点を挙げて各Jリーグチームから注目を浴びる事になった。この試合の前日岡野は、試合があるのを忘れて朝まで飲んでいたとのこと。また浦和レッズに入団の決め手になったのは「レッズのスカウト陣が一番熱心だったし、大学を辞めてでも来てくれという熱意に動かされたから」と語っている(同期入団の選手に山田暢久がいる)。
1997年、後に「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれるようになるフランスW杯アジア第3代表決定戦(対イラン代表)に延長前半から出場。GKと1対1など決定機を数度逃すもの決勝ゴールを決め、日本をワールドカップ初出場に導いた。なお、そのときのユニフォームをKYO(当時ソロ、現D'ERLANGER)のライブに貸し出している。
1998年、フランスW杯の日本代表に選出。グループリーグ第2戦・クロアチア戦の後半16分から途中出場した。
2001年のシーズン途中から2003年までヴィッセル神戸に移籍してチームを離れたものの、浦和レッズの浮沈を身をもって体験してきた数少ないベテランの1人。それ故に、試合出場数は減っても、陰で選手たちを盛り立てる役にもなり、精神的支柱になっている。
2007年元日の天皇杯決勝では、途中交代で出場し、終了間際にスピードを活かしパスを受け、ゴール前に勝負強くラストパス、永井雄一郎の決勝点をアシストし、スーパーサブとしての本領を発揮。浦和レッズの天皇杯連覇に貢献した。
2008年、10月26日のアルビレックス新潟戦で後半ロスタイムから出場し、史上34人目のJ1通算300試合を達成。しかしクラブが若返りの方針を打ち出したことから、共に長年浦和を支えてきた内舘秀樹と同じく11月26日に戦力外通告を受ける。その際に現役続行の意志が固かったことから、長年在籍した浦和を離れることとなった。
2009年2月、香港リーグ1部のTSWペガサスに移籍。2月7日の香港リーグデビュー戦で初ゴールを挙げた[1]。同年6月にリーグのシーズン終了をもってTSWペガサスを退団[2]。同年7月31日、JFLに所属するJリーグ準加盟クラブ、ガイナーレ鳥取に移籍することが同クラブから発表された[3]。
[編集] エピソード
- 野人の名はレッズ加入年のオーストラリアキャンプに向かう時、他のメンバーがスーツ姿でいる中、長髪に短パン・タンクトップ・リュックサックという出で立ちで現れた岡野を見た土田尚史が「何だそれ。お前。野人だな。」と何気なく言った一言に由来する。なお、長い髪はアルゼンチン代表だったクラウディオ・カニージャに憧れて伸ばしたとされている。「野犬と競走して勝った」「自分から自分にスルーパス」という逸話を持つ快足の持ち主で、現地メディアはその速さからF1とも評した。また『ジョホールバルの歓喜』後、メディアに注目された際、実家の前が異様に急な階段になっているため、それが快足を生んだ秘訣かと笑い話として語られた。
- 大学時代、練習後チームメイトらといた時にグランドに凶暴そうな野良犬が乱入してきたので皆と一斉に逃げたが、何故か野良犬は岡野だけに襲い掛かってきた。必死に逃げた岡野はついに野良犬を振り切る快足を見せ、「野犬よりも速いから“野人”」呼ばれるようになったというものである。競走馬のサクラバクシンオーのような快足が由来で「浦和のバクシンオー」と呼ばれた時代があった。
- 2008年以前は、普通のストレートな長髪(ジョホールバルの試合では、髪を結んでいた。)だったが、同年からパイナップルのような奇抜な髪型に変わった。さらに、9月にはトレードマークの長髪をバッサリ切って坊主頭となった。その後、浦和を退団してからは、その坊主頭が伸びて、ソフトモヒカンのような髪形になっている。
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴
- 1988年 - 1990年 松江日本大学高等学校 (現:立正大学淞南高等学校)
- 1991年 - 1993年 日本大学 (3年で中退)
- プロ経歴
- 1994年 - 2001年8月
浦和レッドダイヤモンズ
- 2001年9月 - 2003年
ヴィッセル神戸
- 2004年 - 2008年
浦和レッドダイヤモンズ
- 2009年2月 - 同年6月
TSWペガサス
- 2009年8月 -
ガイナーレ鳥取
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1994 | 浦和 | - | J | 35 | 3 | 2 | 0 | 3 | 0 | 40 | 3 |
| 1995 | 浦和 | - | J | 44 | 5 | - | 3 | 0 | 47 | 5 | |
| 1996 | 浦和 | - | J | 30 | 11 | 13 | 2 | 3 | 2 | 46 | 15 |
| 1997 | 浦和 | 7 | J | 23 | 4 | 0 | 0 | 2 | 1 | 25 | 5 |
| 1998 | 浦和 | 7 | J | 34 | 7 | 0 | 0 | 2 | 1 | 36 | 8 |
| 1999 | 浦和 | 7 | J1 | 11 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 15 | 0 |
| 2000 | 浦和 | 7 | J2 | 26 | 6 | 2 | 0 | 4 | 1 | 32 | 7 |
| 2001 | 浦和 | 7 | J1 | 8 | 0 | 1 | 0 | - | 9 | 0 | |
| 神戸 | 29 | J1 | 11 | 3 | - | 2 | 0 | 13 | 3 | ||
| 2002 | 神戸 | 8 | J1 | 24 | 1 | 5 | 0 | 1 | 0 | 30 | 1 |
| 2003 | 神戸 | 8 | J1 | 23 | 0 | 6 | 1 | 2 | 0 | 31 | 1 |
| 2004 | 浦和 | 30 | J1 | 15 | 1 | 8 | 2 | 2 | 0 | 25 | 3 |
| 2005 | 浦和 | 30 | J1 | 20 | 1 | 7 | 0 | 4 | 0 | 31 | 1 |
| 2006 | 浦和 | 30 | J1 | 8 | 0 | 6 | 0 | 2 | 0 | 16 | 0 |
| 2007 | 浦和 | 30 | J1 | 11 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 13 | 0 |
| 2008 | 浦和 | 30 | J1 | 4 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 |
| 香港 | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2008-09 | TSW | 8 | 香港1部 | 9 | 1 | 1 | 0 | 4 | 0 | 14 | 1 |
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2009 | 鳥取 | 30 | JFL | - | |||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 301 | 36 | 56 | 5 | 27 | 4 | 384 | 45 | |
| 日本 | J2 | 26 | 6 | 2 | 0 | 4 | 1 | 32 | 7 | ||
| 日本 | JFL | - | |||||||||
| 香港 | 1部 | 9 | 1 | 1 | 0 | 4 | 0 | 14 | 1 | ||
| 総通算 | 336 | 43 | 59 | 5 | 35 | 5 | 430 | 53 | |||
| 国際大会個人成績 | FIFA | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
| 2007 | 浦和 | 30 | 6 | 0 | 1 | 0 |
| 通算 | AFC | 6 | 0 | 1 | 0 | |
[編集] 経歴
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会
- 1996年 AFCアジアカップ UAE大会(ベスト8)
- 1998年 FIFAワールドカップ フランス大会(グループリーグ敗退)
- 1999年 コパ・アメリカ パラグアイ大会(グループリーグ敗退)
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 25試合 2得点(1995-1999)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1995 | 3 | 0 |
| 1996 | 11 | 1 |
| 1997 | 5 | 1 |
| 1998 | 5 | 0 |
| 1999 | 1 | 0 |
| 通算 | 25 | 2 |
[編集] 関連項目
- 日本大学の人物一覧
- 浦和レッドダイヤモンズの選手一覧
- ヴィッセル神戸の選手一覧
- ガイナーレ鳥取の選手一覧
- サッカー日本代表出場選手
- ジョホールバルの歓喜(1997年 ワールドカップフランス大会アジア地区最終予選・プレーオフ)
- 1998 FIFAワールドカップ日本代表
[編集] 参考文献
- 浦和レッズ10年史(2002年、ベースボール・マガジン社発行)
[編集] 外部リンク
- 岡野雅行オフィシャルサイト - 野人.NET
- 野人は死なない!! - オフィシャルブログ
[編集] 参照
- ^ スポーツニッポン 「岡野が鮮烈デビュー!初出場初ゴール」 2009年2月8日掲載
- ^ 日刊スポーツ 「岡野が香港退団でJFL鳥取入り濃厚」 2009年7月29日掲載
- ^ 岡野雅行選手(TSWペガサス)移籍加入のお知らせ ガイナーレ鳥取オフィシャルホームページ 2009年7月31日付
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最終更新 2009年11月3日 (火) 15:11 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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