岩鬼正美
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| 東京スーパースターズ #5 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 神奈川県 |
| 生年月日 | 1977年4月1日(32歳) |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 三塁手 |
| プロ入り | 1994年 ドラフト1位 |
| 初出場 | 1995年4月1日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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岩鬼 正美(いわき まさみ)は、漫画『ドカベン』に登場する架空の人物。
目次 |
[編集] 人物
[編集] 全般
- 三塁手。右投右打。誕生日は4月1日(『プロ野球篇』以降の設定では1977年生まれ)。家族は父母と兄三人。
- 中学時代に出会った「ドカベン」こと山田太郎に影響を受け、柔道、やがては野球に目覚め、高校野球を経てプロ野球の選手となる。
- 非常に個性の強い容貌怪異な(特に登場初期)キャラクター。身長195cmの巨漢で、学生帽に葉っぱを咥えたひと昔前の番長漫画の悪役のような格好をしている。その実大変に裕福で厳格な家庭に生まれ育っており、このアンバランスさが岩鬼というキャラクターを大局で象徴していると言える。
- 神奈川出身にもかかわらず関西弁を話す。これは、幼少時に世話をしてもらった乳母「おつる」が関西出身で、その言葉使いが移ったためである。なお、初期はどもる喋りが特徴であったが、後に直ったようである。
- いつも葉っぱをくわえているが、これは赤ん坊の頃からおしゃぶりを嫌がり、葉っぱを咥えてていたためである。くわえている葉っぱは岩鬼の気分によって花が咲いたり枯れたりする。
- プロ野球編1巻で、自分の事を「甲子園と来れば誰もの頭の中にもはや固有名詞となっているミスター甲子園男・岩鬼」と語っている。
- サンマの丸焼きが好物(自分ではまずいと言っている)で、骨ごと平らげてしまう。好きになったきっかけは、サチ子から差し入れられた弁当に入っていたサンマによるものと思われる。
- 3人の兄達は、名前に『彦』が付けられており、本来なら『岩鬼正彦』と名付けられるはずだったが、産まれた時に女の子の様に可愛らしい顔だった為、『正美』と命名される。
- 父親は岩鬼建設(株)の社長で、いわゆる金持ちの御曹司だった。高校2年時の春の甲子園の決勝戦の日に会社が倒産した為、一気に貧乏生活に陥ってしまう。この際、岩鬼に大阪ガメッツへの入団を確約させるのと引き替えに援助の話が持ち込まれるが、息子の志望球団が東京メッツであることを案じた父親が断っている。当時、父親は一族の中で唯一岩鬼に期待を寄せていた。
- 野球のプレイスタイルと言動から直情径行型と断定されがちだが、実際にはかなり思慮深いところがある。「先発は渚」と主張するときはたいてい里中の肩の異常を見抜いている(単純に里中を目立たせたくないときは自分を指名する)。知略によって「ゼロの神話」を築いていた犬飼知三郎を、偽装スクイズ戦術で破っている。ジャーナリスト相手に交渉でニュースソースを白状させた事もある。またルールをプロでも失念していそうな細やかな点まで暗記している節も何度か見られる。
- 座右の銘は「花は桜木、男は岩鬼」。
- 作者の水島新司がドカベンの初回原稿の際に編集者に難色を示されたため、山田太郎とコンビを組む岩鬼正美を登場させた。岩鬼を見た編集者はすぐにGOサインを出したという(秋田文庫の『ドカベン』明訓編の最終巻、作者による解説)。
- 「ブラック・ジャック」の「人間鳥」、「ルパン三世 DEAD OR ALIVE」でゲスト出演している。「超こち亀」では、水島新司の描きおろしで両津勘吉と共演。また、「幽☆遊☆白書」のある1コマに、岩鬼らしきキャラがいる。
[編集] 対人関係
- インテリで出来の良い兄達に対しコンプレックスを持っていた。そのため兄達と対面するときには関西弁は使えず常に敬語で、自身の衣服の乱れなども自らてきぱきと直す。兄達も岩鬼のことを蔑ろにしている。しかし、結局兄弟の中で一番出世している(高給取りである)のは正美である。兄たちはサラリーマンである。
- 兄達はインテリではあるが、やはり正美の血縁か長身でがっしりした体つきをしていて、顔もどちらかというと強面である。しかし身長190cmを越す正美にとっては「ひょろい」らしい。
- 母親にも蔑ろにされていたが、正美自身は母親に対し、思慕と尊敬の感情を持っており、母親が病で倒れた時、取るものもとりあえず、まっさきに病室に駆けつけるなど(母親は命の危険もある状態だったが、他の兄弟は仕事を優先し、正美が知らせを聞いた明訓高校よりも距離的に近かったのに、作中では結局駆けつけなかった)、情の厚い性格が伺える。現在は母親も正美に期待を寄せるようになっており、関係は改善されている。
- 父親だけは早くから正美に期待を寄せていた。岩鬼建設の後を継ぐ事しか考えていなかった他の兄弟のことを「あいつらは、一人じゃなんにもできん」と言い、正美にだけは「一人でやっていける男だ」と言っている。
- 他人を自分で決め付けた名前で呼ぶことが多い(山田を「や~まだ」、殿馬を「とんま」、不知火を「フチカ」、土井垣を「どえがき」など)が、そのうち一部は本当に間違えて言っているらしい。
- 基本的に他人を褒めることはほとんどないが、武蔵坊数馬と中西球道に対してはある種の尊敬の念を抱いている。また、山田に対しても「ワイと山田のバットで勝ってきた明訓」と胸中を見せる場面があり、ある程度認めている。里中と微笑がプロから3位ながら指名されたとき、岩鬼は「プロは甘い」と言い、殿馬について「高校止まり」と言いながら、山田については「弱小球団が似合うとる」と言って、少なくともプロの素質までは認めている。
- 影丸隼人とは縁戚関係であり(影丸の姉と岩鬼の兄が夫婦)、中学の柔道時代から因縁のあるライバルでもある。
- 普段チームメイトを罵倒するようなことを言っているが、仲間を思う気持ちは人一倍強く、相手チームの危険行為に対しては逆上し、真っ先に飛び出していく。一方で、普段温厚と知られているもののその実激情しやすい里中をからかい混じりにいさめる場面も少なくない。
[編集] 恋愛関係
- 中学時代から通して、夏川夏子という女性と恋仲にあった。共に明訓に進学したが、岩鬼は野球部の合宿で寝泊りしていることが多く、その為中学・高校編においては積極的な交際の場面は描かれていない。
- 外見はお世辞にも美人とは言えないが、悪球打ち(下記参照)の影響で岩鬼には絶世の美人に見えている。また、先述の「おつる」と似ているという事も関係している。一方で気立てのいい“性格美人”ではある。
- しかし、そんな夏子も別の高校の男子生徒に、大学生とだまされて浮気したことがある。それを知った岩鬼は失恋のショックのあまり放心状態となり、出場こそしたものの試合をこなせる状態ではなかった(この為、岩鬼のいるレフト方向への打撃を抑制しなければならない里中は球種が限られ苦戦する)。この男は南海権左のいる吉良高校の生徒で、デート中に現れた南海によって正体を暴露され逃げていった。だまされていたことに気がついた夏子はあわてて試合中の球場に行き、一度は別れを決意してジェスチャーで「さようなら」を告げた。しかし岩鬼はこれを「あいしてる」と勘違いし、岩鬼は復活。以降2人の仲は磐石のものとなった。
- プロ野球編では、1995年のシーズン開幕前、岩鬼の1年目の活躍を期待しての「願掛け」として、1年間会わない約束をした。1996年に入り、今度は「2年目のジンクス」を破るため、願掛けによる会わない約束をもう1年延ばした。この間、夏子は倒産の危機にあった父の会社を救うため、政略結婚に応じていた。しかし高校時代の浮気とは異なり、夏子の気持ちは岩鬼にあった。会わない理由を付けたのは、それを知らせて岩鬼を傷つけないための方便だった。
- 1996年シーズンの後半戦開始直前、ダイエー対阪神となった日本シリーズの夢を見る。そこで球場にいた夏子の姿に岩鬼はハッスルし、阪神の舩木聖士から、苦手なはずのストライクコースを2打席連続のホームランにとる。しかし2打席目の走塁中、夏子が体調を崩し、球場から運び出されるところを目撃したところで、夢から醒める。ところが現実でも高校時代から通して相性の悪いはずの不知火守から、ワイルドピッチでもないのに3打席連続ホームランを打ってしまう。正夢を疑った岩鬼は試合終了後、約束を破りタクシーで夏川邸に押しかける。このために夏子の結婚を知ってしまうことになる。
- しかし、夏子に事情を説明された岩鬼は、自らも同様の経験のあることから「わいが女だったら同じ選択をしている」と言い(実際、岩鬼は高校時代、融資の代わりにガメッツに入団しかけたことがある)、夏子を慰めた。そしてこの時、お互い一度は関係の終わりを確認し、岩鬼は気持ちを吹っ切った。
- しかし、夏子と夫とはうまくいかず、その後離婚。娘とともに岩鬼の住むマンションに引っ越してくる。2008年の開幕戦後にプロポーズし、結婚。
- それと前後して、腐れ縁である山田サチ子との関係が以前より親密になっていく。と言っても、お互い異性を意識したものではなかった。ここに里中を加えての三角関係となり、プロ野球編では、岩鬼、山田、里中の元明訓メンバーの人間関係の描写の、ひとつになっている。
- しかし読者の、里中のファンからはサチ子との関係を応援する意見が、一方で岩鬼のファンからは「やっぱり岩鬼は夏子さんが似合っている」という意見が多かった。結局、相思相愛であることに気づいた里中のプロポーズによって、岩鬼とサチ子の関係は自然解消となった。
- 他に岩鬼の熱心な追っかけとして、日本テレビアナウンサーの関谷亜矢子がいた。かなり熱を上げており、度々岩鬼にラブレターを書いたりしている。しかし、岩鬼の側が性格的に合わないといって取り合わず、また出会った当初はまだ夏子の結婚を知らなかったこともあって、相思の関係には発展しなかった。
- 前述の通り女性に対する美的感覚が一般と異なる岩鬼は、全国ネットで、有名な関谷のことを「どブス」と言ってしまい、チームメイトから失笑を買う。一方の関谷も、岩鬼を応援するにもかかわらずダイエー・西武戦でサチ子と共に西武側の応援席に入り、岩鬼に声援を送って周囲の顰蹙を買ったりした。
- なお、実在の人物がモデルであるが、実際の関谷は熱狂的な巨人ファンとして知られている。
[編集] 野球関連
- バッターボックスに立つ時でもヘルメットを被らず、いつも学生帽を被っている(もちろん本当はルール違反)。本人は「帽子は身体の一部」と語り、入浴時も着帽しそのまま洗髪するシーンもある。「ドカベン」の最終回で、帽子を取って上に投げる場面があるが、投げ飛ばされた帽子のみ描かれており、帽子を取った岩鬼自身の姿は描かれていない(なお作者自身、岩鬼が帽子を取った姿は全く考えていないという)。
- 「グワァラゴワガキーン!」という独特な打球音をしており、打球の威力や飛距離によって「ゴワ」の数や「ガキーン」の伸び具合が代わる。たまにまともな打球音(「カキーン」など)になる事もある。
- 豪快な打撃が目立つが、殿馬に引けをとらぬ守備の名手でもある。守備範囲は非常に広く、ファインプレーを連発し幾度となく投手を救う。しかし、普通のサードゴロ・フライのエラーや悪送球をすることも多い。
- 遠投150mの超強肩であり、星野仙一から「王監督はどうして岩鬼を投手にしないんだ」と言われたことがある(ちなみに岩鬼は実際に投手として登板しセーブを挙げたこともある)。長嶋茂雄によると、岩鬼の肩は「サードの肩」であり、美技から生まれる強肩と語っている。原作漫画では、鷹丘中学野球部3年時代の岩鬼が、現役時代の王と長嶋の目の前で剛速球を投げ、的当ての的を破っている。
- 殿馬には劣るものの俊足であり、さらに三塁コーチが止めても暴走して本塁に突入し、キャッチャーに体当たりすることが多いため、ランニングホームランが非常に多い。反面本塁でタッチアウトになることも多い。
- 1998年のオールスターゲームのホームラン競争では、千葉マリンスタジアムの風で打球が押し戻され、ホームランを一本も打てなかった。そのことに対し岩鬼は「この球場こそファンの夢を奪うクソ球場や」と言っている。
- プロ野球選手になっても相手を侮辱するような言動をとっているが、イチローと長嶋茂雄にだけはそのような言動をとっていない。
- 犬飼小次郎は、明訓時代のライバルでありながら、チームメイトとして3年目のシーズンの対西武最終戦、岩鬼のホームラン王を決定するために山田を討ち取ったことから、岩鬼が陶酔する人間の1人になった。
- 1997年、ドラフトで希望するダイエーではなく西武に指名された犬飼知三郎が「浪人する」と言った時、岩鬼は「やーまだはへタクソやがそれなりに努力はする男」と言い、西武入団を後押ししている。
- 2007年の古巣・福岡ソフトバンクホークスとの開幕戦では、ホークス控え室に王貞治監督の復帰祝いにと大量の花束を送り、「これで王監督に遠慮する事無く打てる」と豪語している。
- ピッチャーゴロなどでは全力を出さないという持論を持っていたが、2007年終盤の公式戦ではキャッチャーゴロを打った後、「それでも走るさかい野球少年の鑑なんや」といいながら全力疾走し、捕手の悪送球をさそった。
- 何事も一番が良いという性格故に打順も一番にこだわる。ただし、中学時代は4番ピッチャーにこだわっており、高校時代も4番にまわされたとき「本来の位置に来た」といっていたこともある。しかし、プロ入り後はこだわりがいっそう強くなったのか、他の打順になると成績が振るわなくなってしまうようになった。
[編集] 悪球打ち
悪球打ちが岩鬼の代名詞である。これはリトルリーグで4番を打っていた際、相手チームから敬遠されたことがきっかけで始めた。場面にかかわらず全打席敬遠された為、岩鬼はボール球(悪球)を打てるようになろうと特訓をし、見事にそれを習得した(その代わり、ど真ん中は打てなくなった)。
その打撃時のボール角度とスイングの軌道から、ホームランであっても山なりの「アーチ」ではなく、スコアボードめがけて突き刺さるライナーであることが多い。
相手ピッチャーがストライクを投げる場合も、「度の強い眼鏡をかけてわざと見えにくくする」「逆立ちをして頭をクラクラさせてボールが分裂したように見えるようにする」「軽くて長いノック用バットを使う」など、様々な工夫でど真ん中を打つことが出来る。ただし、悪球に見える手法を用いた打席では、逆に悪球が打てなくなるという欠点がある。その為同じ手は二度続けて使えないケースが多い(もしくは「男の意地」で使わない)。
別々の試合で2度以上使われた悪球打ち戦術もあるが、そのうちの偽装スクイズによる失投を招く戦術で犬飼知三郎から2ランを放っている(このことが、犬飼が岩鬼を尊敬するようになったきっかけである)。この戦術は岩鬼が高1の神奈川県秋季大会決勝時に山田が当時の明訓監督だった徳川に提案して、対土門用に実行したものだが、この時室戸を率いていた当の徳川はすっかりそのことを失念していた(その上、性質上投手としてはモーションに入るまではそのスクイズが偽装であるかどうかはわからず、知っていても失点覚悟でない限り破りようがない)。
四球で出塁したのは中学時代の東郷学園との試合と、高校3年のときの光高校との試合だけである。とはいえボール球は全て打つわけではなく、プロに入ってからも松坂大輔のきわどいボール球を見逃したこともある。
中学・高校編と大甲子園においては、「岩鬼にとってストレートのど真ん中は悪球と同じ」という設定があったが、プロ野球編以降はその設定は出ていない。2005年のシーズン開幕前に悪球打ち克服の特訓をするが、結果的には実らなかった。しかし、オープン戦の対阪神戦では先発・藤川球児の初球ど真ん中ストレートと思われる球をホームランにしている。更に同年のプレーオフ第2ステージの対四国戦2試合目では3打席連続で先発土門からホームランを放っているが、そのうちの2本がど真ん中である(しかし同年シーズン、ど真ん中打率は.062)。
王監督は悪球打ちには限界があると感じており、1999年の対中日との日本シリーズにおいて、打てるようになるまでど真ん中の球を凝視するように指令される。結果影丸隼人からど真ん中を打つことに成功。勝ち越しのランニングホームランとなった。
また、今は亡き仰木彬が悪球打ちを理解していた数少ない1人であったという。そのエピソードに関してスーパースターズ編では岩鬼が「わいの悪球打ちを理解してくれた……その仰木はんが死んでしもうた…淋しい……」と涙ぐむ場面があった。
[編集] 経歴
[編集] 高校時代
鷹丘中から明訓高校に入学後、野球部に入部。ポジションは三塁手だが、投手、捕手、一塁手、二塁手、外野手の経験もある。
一年の頃から明訓高校不動の一番打者として活躍。二年の秋から主将になり、野球部を引っ張る。ただし、甲子園本大会での本塁打は意外に少なく、3年春までの本塁打数は、1年夏の決勝戦で放った逆転2ランの1本だけであった(実際には同じ試合で先頭打者本塁打を放ったが、三塁ベースを踏み忘れて取り消されている)。しかし3年夏の本大会ではそれまでの鬱憤を晴らすかのように6本塁打を量産した。これは同じ大会で山田太郎が記録した7本塁打に次ぐ記録である。
サードの守備ではファインプレーを連発、里中を打撃だけでなく守備でも助けた。意外にもサードでのエラーはほとんどない。
投手としての出場も多く、里中が投げられない試合の多くで岩鬼がマウンドに登っている。一年夏には土佐丸戦にリリーフ登板。三年夏の甲子園では準決勝の青田戦再試合で先発投手として登板した。青田戦ではMAX158キロを記録する(本人は「フォーム次第で170キロも軽い」と豪語)。ただし全くのノーコン。
一年の夏の甲子園出場の後、教師と乱闘事件を起こし、謹慎処分を受けた事がある。乱闘の理由は、岩鬼が勝手に放送室を占拠し、甲子園大会を振り返る(岩鬼の主観的な)放送を行ったことを教師が咎め、口論になったためである。不祥事は外部に漏れなかったものの、騒動を受け多くの部員が野球部を去ってしまい、一時、メンバーを9人揃えなくなってしまった事がある。高校時代に岩鬼が殴った相手は、他に山田と土門の計3人。なお、この放送は最初こそ批判もあったが、2年の春の大会以降は明訓高校の風物詩となり、校長が「これがないと甲子園大会が終わった気がしない」と言わしめる程になっている。
高校時代の握力は100キロ、遠投力は150メートルであった。
[編集] プロ時代
[編集] ダイエー時代
- プロ野球ドラフト会議で巨人・長嶋とダイエー・王のON監督(当時)から1位指名を受け、抽選の結果福岡ダイエーホークスに入団。このときのドラフトは、山田太郎が史上最多の10球団1位指名を受けたが、残り2球団が岩鬼を1位指名したものであった。その2球団の監督がONだったことを岩鬼は誇りにしていた。岩鬼在籍時のホークスは3回リーグ優勝し、2回日本一になっている。
- 当初はプロのコントロールの前に不振が続き、投手にとっては最も抑えやすい打者ともいえたが、やがてど真ん中をカットする技を覚え、焦った投手が乱れた所をしとめたり、相手投手を挑発して悪球を投げさせたりといろいろな方法でホームランを量産。恐怖の1番打者として、本塁打王争いの常連になった。
- ルーキーイヤーの西武との開幕戦(1995年4月1日)から一番三塁でスタメン起用される。プロ初打席では、渡辺久信から、初球の威嚇球を打ちホームラン。この記録は日本で記録されたことはなく、メジャーリーグでも松井稼頭央しか記録していない。プロ入り初打席ではない単なる開幕戦初回初球先頭打者ホームランでさえ現実のプロ野球では1962年に衆樹資宏が記録して以来長らく無く、2007年に高橋由伸が放ったものが45年ぶりという珍しい記録である。また、この日は岩鬼の誕生日でもあり、誕生日4月1日にプロ入り第1打席第1球1番打者が放ったプロ入り第1号という、メモリアルづくしのホームランとなった。
- 山田がプロ初めて捕手の守りについた試合(岩鬼のクロスプレーで正捕手伊東勤が負傷したため途中出場)では、岩鬼の強い要望により、福岡ドームの屋根を開けたまま試合が行われるという、異例の展開がなされた(岩鬼曰く、場外ホームランを見せるため。当たり前だが場外弾は出なかった。実際にバックスクリーンを超える本塁打を打つためには、軽く200m以上はとばさなければならないらしい。ちなみにこの試合で最長の打球は、山田が放った特大の逆転満塁ホームランでの160m)。
- 1997年の西武との開幕戦で、イチローの真似をして左打席に立ち、ど真ん中の球を先頭打者本塁打したことがある。これを見て山田は「もしかして岩鬼は本当は左利きなんじゃないのか」と言っている。2000年にもイチローの真似をして左打席に立ったが、その打席はショートゴロに終わった。また、同年にはバント打法で首位打者を目指し、打率5割以上をキープしていたが、シーズン途中で挫折した(この年も開幕戦(ロッテ戦)で里中からサヨナラ満塁ホームランを打っている)。
- 1997年のオールスターで、仰木彬・全パ監督による守備位置交代で三塁手から捕手に代わり、里中智とバッテリーを組んだ。急造捕手(山田のミットとマスクを借り、プロテクターは着けなかった)であるにも関わらず、全セ・古田敦也も驚く巧みなリードで(実はこれは山田がリードしていたのだが)、里中のオールスターでの連続三振の記録更新(16)をアシストした。
- 1999年の日本シリーズMVPの時、山田の祖父に車(希望で軽トラに変えてもらっている)をプレゼントしている。
- 一時期、王監督の方針で4番に据えられるが、「一番じゃないとやる気が出ない」という無気力感から、極度の不振に陥る。1番という拘りには並々ならぬものを持っている(ただし、高校時代には4番を「当然」と言っていた事もある)。
[編集] 東京時代
- 2003年オフ、高校時代の先輩である土井垣将率いる新球団・東京スーパースターズに移籍。
- 2005年の札幌華生堂メッツとの日本シリーズでは、第一戦で岩田鉄五郎からサヨナラ本塁打を放つなど、7戦で7本塁打を放ってMVPを獲得。ちなみに7戦7ホーマーは作中では触れられていないが日本記録である(7戦での本塁打数1位は王貞治らの4本)。
- スーパースターズに入団してから、4年連続で開幕第1打席はホームランを記録した(更に、05年以外の3本はど真ん中である)。
- 2007年の日本シリーズ7戦目、故障の里中の代わりに土井垣監督が思いついた「1イニング1投手」案により、5回を任される。中西球道の持つ日本シリーズ最速記録である157km/hを越える158km/hの剛速球を投げるが、平田良介に逆転2ランを浴びた。
- 2008年の開幕戦終了後に夏子にプロポーズし、結婚。保土ヶ谷球場近くの一軒家に転居した。
[編集] 主な記録
- 本塁打王6回(1996~1998年,2001~2003年)
- 日本シリーズMVP2回(1999年,2005年)
- オールスターMVP(1997年)
- パ・リーグ特別表彰(1995年)
- 1試合4本塁打(2001年3月24日) - 4打席連続。プロ野球タイ記録。
- 公式戦初打席先頭打者本塁打(1995年4月1日、開幕戦・西武戦) - プレイボールアーチ。
この他、通算三振のプロ野球記録を更新中である。(2006年までの12年間では2399個の三振を喫している。)
[編集] 背番号
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最終更新 2009年9月8日 (火) 11:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【岩鬼正美】変更履歴

