島崎俊郎

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しまざき としろう
島崎俊郎
本名 島崎 俊郎
別名 アダモちゃん(キャラクターのひとつ)
生年月日 1955年3月18日(54歳)
出生地 日本 高知県高知市(育ちは京都府京都市左京区
血液型 A型
ジャンル リポータータレントお笑いタレント俳優
活動期間 1978年-
活動内容 1978年:デビュー
配偶者 妻 長男 次男

島崎 俊郎(しまざき としろう、本名同じ、1955年3月18日 - )はリポータータレントお笑いタレント俳優高知県高知市生まれ、京都府京都市左京区育ち。血液型A型。身長175cm、体重85kg。京都府立洛北高等学校卒業。お笑いトリオ「ヒップアップ」の元リーダー。所属事務所はケイダッシュステージ

現在はテレビレポーターのほか、舞台や映画でも活躍中。また、自らのバンド「新橋烏森口バンド」を結成し、アコースティックな構成で作詞作曲活動も行っている。芸能人サッカーチーム「ザ・ミイラ」のメンバーでもある。


目次

[編集] 来歴

  • 高知県で4人兄弟の末っ子として生まれ、小学4年生まで高知に住み、その後、父親の仕事の都合で京都へ引っ越す。
  • 京都市立洛北中学入学の際、野球部に入部するつもりでグランドに出ると野球部員が3,4人しかおらず、人だかりができているサッカー部に入部する。洛北高校1年のときに京都選抜チームに選ばれ、インターハイに出場している。
  • 1973年、(当時18歳)バッグ1つで京都を飛び出し、クレイジーキャッツが公演している新宿コマ劇場へ向かう。ハナ肇に志願し、クレイジーキャッツの付き人となる。
  • 1978年、クレイジーキャッツの付き人4人に川上泰生を加え、コントグループ「サンズンズ」を結成。
  • 1979年、川上泰生、小林すすむらとコントトリオ「ヒップアップ」を結成、お笑い芸人に。
  • 1980年、『笑ってる場合ですよ』『君こそスターだ』で勝ち抜き、人気が急上昇。
  • 1985年2月2日、『オレたちひょうきん族』「タケちゃんマン7」で、現在のアダモちゃんの基盤となるマネー島崎が登場。以降、「ペーイ」と叫びながら暴れ回る謎のアフリカ原住民「アダモちゃん」となり、人気に。
  • 1986年、ある番組の「闇夜のサンコンを探せ」という企画で将来、親友となるオスマン・サンコンと出会う。
  • 1990年、埼玉のデパートの営業で司会をやっていた女性と出会い、婚約。
  • 1991年2月23日、結婚。東京プリンスホテル 鳳凰の間にて披露宴が行われた。
  • 1993年、長男誕生、1996年次男誕生。
  • 1999年、吉幾三氏の舞台『喜劇・兄弟(あにおとうと)』に出演。
  • 2007年 - 2009年、南原清隆野村万蔵らと現代狂言に出演。
  • 2009年4月10日、自身の代表キャラクター・アダモちゃんの誕生25周年を記念してDVDが発売。
  • 2009年4月11日、DVD発売イベントを「LIVE PARK IN AKIBA」にて行い、その後秋葉原を練り歩いた。

[編集] 人物

  • 高校生時代、初めてのデートで鴨川を歩いている時、突然「キスさせてくれませんか?」と聞いたものの、彼女に断られた。
  • サッカーに詳しく、プレイヤーとしても高校時代、京都選抜に選ばれている。サッカー元日本代表の前田秀樹は、国体京都選抜のチームメート。
  • 京都選抜時代、ヤンマーとの練習試合で、FWの釜本邦茂にDFとして付くことになった。そのときの様子を、「釜本さんはぬらりひょんの如くすっと消えてしまう。ハッと振り返るともう遠くのほうに背番号9が走っている。」と語っている。
  • 芸能人になるため、上京する際、新幹線は自分の意思をじっくり確認するために、「ひかり」ではなく、あえて4時間かかる「こだま」を選んだ。
  • クレージーキャッツの付き人となる際、以下のようなエピソードがあった。一人東京へ向かった島崎は、迷うことなく新宿コマ劇場へ向かう。公演終了後、客席からロビーへ出て、いかにも業界人という素振りをしながら、係員に「関係者のものですが楽屋はどこですか?」と尋ねると、すんなり「あっちですよ」と教えられる。楽屋口の前にたどり着いた島崎は、通りかかった松崎真(前「笑点」座布団運びで有名)に、「ハナ肇さんに会わせてください。弟子になりたいんです」と言うと、座長室へと案内された。ドアを開けた島崎の視線の先には、どっしりと腰を下ろしているハナがいた。ハナにじっと睨まれるが、「ここで目をそらしては負けだ」と島崎も睨み返す。二人の睨み合いがしばらく続いた後、ハナさんが「今のクレージーキャッツは、バラエティーから一歩ひいて、各々の活動をしている。もう、うちの弟子の中からなべおさみ小松政夫はでないぞ」といわれたが、島崎は引かず、4日間の研修期間を与えられることになる。その研修期間で熱意と真面目さが伝わり、晴れてクレイジーキャッツの付き人になった。
  • 植木等には、小説家の島崎藤村と同じ姓であることから「とうそん!」と呼ばれ、可愛がられていた。
  • 3年間の付き人生活を終えた後、付き人チーフの沼田が、付き人全員を集めて「俺たちもクレイジーキャッツみたいなグループになろうじゃないか!」と提案。付き人4人に、沼田と仲良かった井上堯之バンドのバンドボーイ・川上泰生を加えて、コントグループ「サンズンズ」を結成。「サンズンズ」時代に、池袋の寄席で売れない頃のツービートと共演している。
  • 3年B組金八先生』第8シリーズ(TBSテレビ)の第3話に、元Jリーガー出身のコーチ・関口役で出演。その際「武田鉄矢さんはほんとに芝居がうまい。本読み、立ち、リハ、何やっても金八先生。失敗しても金八先生、芝居がホントうまい。」と語っている。
  • 妻との交際を始めて1年が過ぎた頃、週刊誌フライデーのスタッフから「金曜日に秋祭りのデートの記事が出ますから」との電話を受ける。「全国に知れ渡る前に、保江さんのお母さんに挨拶をすべきだ」と、すぐに挨拶に向かい、雑誌が発売される前に結婚の許しをもらう事ができた。
  • 天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)では「日本初・芸能人バンジージャンプ」企画(オンエア時のタイトルは「島崎俊郎、借金苦で飛び降り!!」)で「お母ちゃーん」と叫びながら落下。視聴者の笑いを誘い、後のテレビバラエティにおける罰ゲーム企画などに影響を与えた。また「ワニプロレス」「トラのキスマークを奪う」「ライオンの尻尾で書初め」「シマヘビ2000匹のプール」「トラとキス」「十二支を舐める」「鶏とスカイダイビング」などの命がけ企画でも、その度胸とリアクション芸を遺憾なく発揮した。動物との共演が多く、共演していない主な動物は白熊とゴリラのみ。
  • 『元気が出るテレビ!!』で、過酷なロケをこなしてきたものの、自殺名所として知られる、福井県の東尋坊へのダイブで初めてギブアップした(なお、このダイブを初めて成功させたのは、当時若手芸人であったTIMゴルゴ松本)。『元気が出るテレビ!!』が放送終了となったときだけは「あぁ、やっと終わる。死ななくて済んだ」と正直ホッとした、と語っている。
  • リポーターへのこだわりが強い。リポータータレントの中で最も影響を受けたのは高田純次で、「高田さんのリポートは、面白いし、はずさないし、また人間的にも好きな人、元気が出るテレビ時代にとても刺激を受けた」と語っている。
  • 雲と波と少年と』(日本テレビ)にて、一家揃って鹿児島県屋久島へ移住する企画を担当していたが、番組打ち切りとともに東京に戻った。

[編集] 主な出演作品

[編集] バラエティ

[編集] ラジオ

  • DJ Tomoaki's Radio Show!(下北FM、2009年7月2日)

[編集] テレビドラマ

[編集] 映画

[編集] DVD

[編集] CD

[編集] 舞台

[編集]

  • パパイヤランド アダモちゃんの大冒険(オークラ出版、2000年8月1日)

[編集] 連載

  • サンケイスポーツモバイル「パーラーサンスポ」
  • 週刊実話「島崎俊郎のりのりシネマ」
  • デジタルTVガイド「報道アダモステーション」

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年10月24日 (土) 06:16 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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