島田守政

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島田守政
時代 江戸時代前期
生誕 寛永元年(1624年
死没 元禄12年7月12日1699年8月7日
改名 利木→守政→忠政
別名 仮名:助之進、久太郎
戒名 幽山(法名)
墓所 永源寺(埼玉県坂戸市
官位 従五位下 出雲守
主君 徳川家光徳川家綱徳川綱吉
氏族 島田氏
父母 父:島田利正、母:不明
兄弟 利世、利春(高林吉次養子)、女(山口直堅妻)、利香、守政、利直、利近、源五右衛門、女(島田重利妻)、女(加藤正之妻)、女(土屋利次妻)
喜連川頼氏の娘
特記
事項
島田利由、島田隆政、女(島田利廣室)、女(坂部廣近室)、女(小野高光室)、女(天野久重室)
  

島田 守政(しまだ もりまさ)は江戸時代初期の旗本。江戸町奉行(8代目北町奉行)を勤めた。名ははじめ「利木(としき)」。後に守政、忠政と改める。通称久太郎。法名幽山。従五位下出雲守。同じく江戸町奉行などを歴任した島田利正の四男。正室に喜連川頼氏の娘。子に島田利由ら。

[編集] 人物

寛永17年(1640年)に御小性組番士として出仕し、父利正の武蔵国入間郡の采地より一千石を分けられた後、明暦2年(1656年)には御徒頭、万治元年(1658年)には御目付にと順調に出世する。

寛文2年(1662年)から寛文6年(1666年)には長崎奉行。大火で消失した長崎の町を区割りや道路幅を改め、町全体を機能的な貿易都市へと再編するなど手腕を認められ、寛文7年(1667年)から延宝9年(1681年)に渡って江戸北町奉行に任ぜられた。伊達騒動での申次役など訴訟関連で多く名が見える。

元禄元年(1688年)、配流されていた松平光長再召還の際に不手際があり、勘気を被って閉門させられる騒動があった。翌年には赦され2年後には復帰している。

[編集] 永源寺 釈迦降誕祭

祖父島田重次の建立した埼玉県坂戸市の永源寺では毎年5月に「釈尊降誕祭」と呼ばれる祭が執り行われる。これは長崎奉行であった守政が、赴任地長崎で伝来物の降誕釈尊仏を入手。菩提寺である永源寺に寄進したことから始まると伝わっている。

最終更新 2009年11月10日 (火) 15:50 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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