島病院
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現在の島外科 |
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| 情報 | |
| 標榜診療科 | 内科、消化器科、外科、整形外科、脳神経外科 |
| 開設年月日 | 1933年8月 |
| 所在地 |
〒730-0051
広島県広島市中区大手町1-5-25
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| 位置 | 北緯34度23分41秒 東経132度27分17秒 |
| 電話 | 082-249-6161 |
| (PJ 医療機関) | |
島病院(しまびょういん)は、広島県広島市にかつて存在した病院である。
1933年に開業したが、1990年代に病棟を建て替えた際に病床数を減らし、病院から診療所となり、現在の病院名は島外科として開業当時の場所で外科を開業している。また開業当初から外科であった。
1945年に広島市に原子爆弾が投下された際、当院の上空で原子爆弾であるリトルボーイが炸裂した事が調査により判明したため[1]、同所が爆心地とされている。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 戦前
1933年8月に廣島市細工町29-2(現在の広島県広島市中区大手町1-5-25)に開業した。被爆前はレンガ造り2階建ての頑丈な造りの建物で、安価な治療代と手術の上手い病院として地元では評判であったと言われている[2]。
[編集] 原爆投下
1945年8月6日、B-29爆撃機エノラ・ゲイ号から投下された原子爆弾(リトルボーイ)は、当院の南西側の上空約600mで炸裂した[3]。原爆炸裂によって発生した、爆風と高熱によって病院は跡形も無く大破・炎上し、80人余の職員、入院患者は、ほぼ全員が即死した(院長の島薫と付添いの看護婦1名は、原爆投下前日の8月5日から県下世羅郡甲山町(現:世羅町)の病院に出張診療に出掛けていたため難を逃れた。)。1948年に木造モルタル2階建てで同所に再建された。
なお、当院の横を通る道路に爆心地であることを示すモニュメントが置かれている。(画像参照)
[編集] 注記
- ^ "The epicenters of the atomic bombs: 2", HH Hubbell, TD Jones, JS Cheka, 1969 邦訳は財団法人放射線影響研究所業績報告書『原子爆弾の炸裂点:2.入手した全物理学的資料の再評価および提案数値』,1969 http://www.rerf.or.jp/library/archives/tr1969.htm
- ^ 新日本出版社「しんぶん赤旗」中国四国総局著 『社史が語る原爆・ヒロシマ』
- ^ 以前は、当院の南東側の上空約580mで炸裂したとされていた。2002年9月の放射線影響研究所(放影研)調査により、爆心地が見直されている(詳細は[1]を参照)。
[編集] 関連項目
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