嵐がくれたもの
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| 嵐がくれたもの | |
|---|---|
| ジャンル | テレビドラマ |
| 放送時間 | 月〜金曜 13:30 - 14:00(30分) |
| 放送期間 | 2009年8月31日 - 2009年10月 |
| 放送国 | |
| 制作局 | 東海テレビ放送 テレパック |
| 演出 | 藤尾隆(テレパック) 杉村六郎 |
| 脚本 | 清水曙美 いとう斗士八 青木江梨花 |
| プロデューサー | 市野直親(東海テレビ) 沼田通嗣(テレパック) |
| 出演者 | 岩崎ひろみ 宮本真希 永岡佑 沢田亜矢子 原田大二郎 他 |
| 音声 | ステレオ放送 |
| 字幕 | 文字多重放送 |
| データ放送 | 連動データ放送 |
| オープニング | THE ALFEE「夜明けを求めて」 |
| 外部リンク | 公式サイト |
| ドラマ | |
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| カテゴリ | |
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『嵐がくれたもの』(あらしがくれたもの)は、東海テレビが制作し、フジテレビ系列のテレビ局で2009年8月31日から10月末(予定)放送の昼ドラマである。制作プロダクションはテレパック。
キャッチコピーは「すべての終わりが、すべての始まりでした。」。
目次 |
[編集] 概要
東海テレビは2009年度から昼の帯ドラマの放送期間について、従来の3ヶ月1シリーズに加え、2ヶ月1シリーズも展開しているが、その第2弾になる。
この作品の中心となる出来事は、1959年に起きた伊勢湾台風。2009年がちょうど半世紀となることから選ばれた。この台風の被害で生き別れになってしまった母子の生き方について、制作局である東海テレビの報道資料映像も交えたドキュメンタリー要素も交えてのオリジナルヒューマンドラマに仕上げている。その50周年忌は、放送期間中におとずれる。
オープニングのタイトルバックでは、当時の伊勢湾台風の被災地の映像をバックに「昭和34年の伊勢湾台風で犠牲になった方々に、心から哀悼の思いを込め、再び、同じような災害が繰り返されないことを祈って、このドラマをお送りします。」というテロップが表記されている。
[編集] あらすじ
1945年の名古屋空襲で戦争孤児となってしまった節子は、代々警察官の家庭である神崎家に養子として育てられた。神崎家へのご恩返しのために警察官となった節子は、神崎家の一人息子である恭平と結婚。そして長女・順子を出産した。
しかし、1959年9月26日、伊勢湾台風が紀伊半島から中京地域を通過。神崎家のある地域一帯は台風による豪雨洪水で押し流され、父母が死亡。そんな中で避難所で順子に似た赤ちゃんと避難所で出会うが、周辺にその両親も、そして恭平と順子の姿を見つけることが出来なかった。
だが、この台風被害の影響で記憶喪失となってしまった恭平は、華道の家元・宇田川により、台風の犠牲にあった資産家とそっくり入れ替えられて、順子共々全くの別人として東京へ行かされてしまった。節子は愛する家族を一気に失い失望するが、そんな中でも、避難所で出会った赤ちゃんを順子と名付けて、新たなる親子の幸せのために生きることを決断したのである。
[編集] キャスト
- 神崎節子 - 岩崎ひろみ、(幼少時代)尾本侑樹奈
- 神埼(森)恭平 - 永岡佑、(幼少時代)坪井憧
- 神埼(森)順子 - 中村莉緒
- 神崎静子 - 角替和枝
- 神崎大吉 - 深水三章
- 宇田川宗助 - 原田大二郎
- 宇田川加代 - 沢田亜矢子
- 宇田川百合子 - 宮本真希
- 丹波肇 - 清水綋治
- 森龍太郎 - 宮川一朗太
- 森亜弓 - 立石美優
- 石原友子 - 中塚みの
- 石原啓之 - 斉藤陽一郎
- 近田ミツ - 服部妙子
- 植村春苗 - 山田キヌヲ
[編集] 主題歌
- THE ALFEE「夜明けを求めて」(EMIミュージック・ジャパン)
[編集] スタッフ
- 脚本:清水曙美、いとう斗士八、青木江梨花
- 音楽:富貴晴美
- プロデューサー:市野直親(東海テレビ放送)、沼田通嗣(テレパック)
- 演出:藤尾隆(テレパック)、杉村六郎
- 撮影協力:愛知県常滑市
- 広報:庄野俊哉、山本章子(以上東海テレビ放送)
- 庄野は元アナウンサー。東海テレビでは代々アナウンサーが配置転換で昼ドラの広報にあたっている。
- 収録スタジオ:緑山スタジオ・シティ
- 制作:東海テレビ放送・テレパック
[編集] マスメディアからみた時代背景
実は伊勢湾台風は、制作局・東海テレビを含む、中京広域3県の民放再編を加速させた。
前年(1958年)のクリスマスに開局した東海テレビは、伊勢湾台風当時、まだ開局して1年も経っていなかった。日本最古の民放で、同じ中日新聞社系列のCBC中部日本放送ですら、ラジオ放送を開始して10年に満たず、NHK名古屋放送局のテレビ放送もやっと5年を経過した状況であった。この年(1959年)の4月10日、当時の皇太子と正田美智子の「世紀のご成婚」があったことで、テレビジョン放送の全国ネットワークがようやく作られ始めたものの、白黒テレビはまだまだ高嶺の花で、殆どの家庭においてはラジオが大きな情報源であった。
そのラジオは当然のことながら中波放送であり、NHK名古屋は現在同様中京広域3県をエリアとしていた。民放は、CBCが名古屋に本社を置いて中京広域3県をエリアとしていたものの中継局は今と比べ少なく、東海テレビの兄弟会社である東海ラジオ放送に至っては、まだ岐阜県域のラジオ東海と三重県域の近畿東海放送とに分かれている状態であった。しかもNHK・民放ともども今日のように常時24時間放送を行っているわけではなかった。また、報道取材態勢についても、今日ほど充実したものではなかった。
受信機についても、今日当たり前のような電池で動く小型ラジオはまだ出始めたばかりで、大半の家庭のラジオは商用電源で動くものであったため、停電すると使えなくなるのは自明であった。
そうしたことから、災害時の情報伝達が十分には行われず、多くの被害をもたらした。災害対策基本法の原点も、この伊勢湾台風である。ドラマでも、当時子供であった被害者が出演しており、撮影の合間に、被害を語り継ぐ活動が行われている(外部リンクからスタッフブログを参照)。
ラジオ東海と近畿東海放送は台風以前から名古屋進出を計画し、合併を条件に認められたが、実は名古屋本局の予備免許が出た日の夜に伊勢湾台風が本土に上陸した。台風被害に遭い報道の強化を痛感した両社は合併準備を加速させ、この年の11月20日に新設(対等)合併し、今の東海ラジオとなった。ただ、岐阜県では、3県で唯一海に面しておらず、地域事情が異なるとして新たに中波ラジオ局を求める運動がおこり、今のぎふチャン開局に至った。
[編集] 外部リンク
| 東海テレビ制作 昼ドラマ | ||
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| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
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嵐がくれたもの
(2009.8.31 - 2009.10) |
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最終更新 2009年9月16日 (水) 04:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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