川上のぼる
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川上 のぼる(かわかみ のぼる、1929年12月11日 - )は、京都市出身の腹話術師、声帯模写師。本名は川上 登。日本腹話術師協会名誉会長。京都学芸大学(現在の京都教育大学)卒業。
日本画家の川上拙以の次男。妻は元宝塚歌劇団の恒月まさみ、次男は弟子でもある川上じゅん。
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[編集] 芸風・人物
芸事好きの父が2代目渋谷天外や2代目桂春團治らと親交があったため、幼少時から芝居小屋や寄席の楽屋に出入りする。2代目渋谷天外からは「わしが養子で面倒見たる」とまで言われていた。
腹話術師エドガー・バーゲンの出演する映画に感激し、学校でぬいぐるみを用い見よう見まねで腹話術を披露したところ、敵国アメリカ批判などを取り入れたブラックユーモアたっぷりのネタが評判になり、余興に呼ばれるようになる。
戦後も学業の傍らアルバイトで活動し、1951年に民放の朝日放送が開局すると、大学生タレント第1号としてラジオで売り出され、『ハリスクイズ』、『ピアス歌のカクテルパーティー』の司会を担当。当時を振り返って同じ局の専属だった3代目桂米朝をして「あの頃一番儲けはった」と回顧している。 その後テレビでも『スチャラカ社員』、『てっちゃん劇場』、『道頓堀アワー』等で、相方の人形ハリス坊やの「♪ 一等賞~」の名フレーズと共に、お茶の間に人気者になる。トニー谷司会の人気番組『スターと飛び出せ歌合戦』(ytv制作・NTV系ネット)ディック・ミネと川上のぼるレギュラー審査員で出演活躍する。
舞台では千日劇場や旧うめだ花月などに出演。弟子らを率いて『川上のぼるとリズムボーンズ』(1963年より『川上のぼると大阪ヤローズ』と改称)を結成し、音楽、腹話術、声帯模写、コミカルなコント何でもありの、音楽ショウで賑やかした。
1996年に第25回上方お笑い大賞特別賞受賞、1997年に大阪市民表彰(文化功労)受賞。 現在でも「天満天神繁昌亭」に腹話術で定期的に出演している。
[編集] 物真似のレパートリー
※唄う声帯模写の第一人者である。
[編集] 出演番組・映画
ドラマ
- おにいちゃん(OTV、1958年10月 - 1959年5月)
- 人形といっしょに(朝日放送、1959年6月 - 1959年10月)
- ダイラケ二等兵(朝日放送、1960年2月 - 1961年7月)
- てっちゃん劇場(朝日放送、1960年5月 - 1963年4月)
- スチャラカ社員(朝日放送、1961年4月 - 1967年4月)
- 瓦版・忠臣蔵(毎日放送、1964年6月 - 1964年11月)
- 甘辛横丁名迷伝(朝日放送、1964年10月 - 1965年3月)
- 水戸黄門(TBS、1964年11月 - 1965年12月)
- 続 柔 やわら(日本テレビ、1965年10月 - 1966年4月)
- 道頓堀アワー(朝日放送、)
映画
[編集] 川上のぼるとリズムボーンズ(大阪ヤローズ)のメンバー、および弟子
- 寺下ジョージ - 後のタイヘイ原児。巨躯
- 堺すすむ - 東京に転出。「こんばんは、森進一です」の元祖とされる。1980年代以降『なんでか?フラメンコ』でも著名
- 大空テント - 後に上岡龍太郎門下
- 宮本きよし
- 千田やすし
- 岸わたる - 並木ひろしとタッグマッチのメンバーを経て、現在は作曲家[1]
- 安丸三一 - 現在は演歌歌手
- 森今日生
- 野田まもる
- 川上じゅん
- 藤本哲宏 - 後にピンアップトリオのメンバー。正式な弟子ではなかったがアコーディオンの演奏で参加。
他
[編集] 関連項目
- ハリス - 後のカネボウハリス → カネボウ食品 → ベルフーズ → カネボウフーズ → クラシエフーズ
- コリス
- 名犬リンチンチン
- ハリスの旋風
[編集] 外部リンク
- 川上じゅんHP
- NPO法人 日本腹話術師協会 - 名誉会長を務める
最終更新 2009年11月25日 (水) 07:03 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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