川又米利
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 東京都調布市 |
| 生年月日 | 1960年8月4日(49歳) |
| 身長 体重 |
179cm 79kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| 守備位置 | 内野手 外野手 |
| プロ入り | 1978年 ドラフト外 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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コーチ歴
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この表について
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川又 米利(かわまた よねとし、1960年8月4日 - )は、東京都調布市出身の元プロ野球選手(一塁手、外野手)。現在は中京テレビの野球解説者と中日スポーツの野球評論家。また、クラブチーム「NAGOYA23」の総監督を務めている。
目次 |
[編集] 経歴
早稲田実業学校で通算4回甲子園大会に出場。左の強打者ということから先輩の王貞治になぞらえ「王二世」と騒がれた。1979年にドラフト外で中日ドラゴンズに入団。
スクウェアに構え、体の中心がぶれずに回転する美しいバッティングフォームに定評があった。もとは一塁手であったが、1985年から1988年には右翼手のレギュラーを務めた。その後は中日の代打の切り札、準レギュラーとして活躍し、特に相性の良い読売ジャイアンツ戦には勝負強さを発揮した。町田公二郎に次ぐ代打本塁打16本(大島康徳に並ぶ)のセ・リーグ記録を持つ。ナゴヤドームが完成した1997年に引退。
1998年から東海ラジオ放送、中京テレビ、中日スポーツの野球解説者を務める。山田久志新監督が就任した2002年から中日の二軍打撃コーチに就任。2003年からは一軍コーチとなり、2004年まで務めた。2005年から再び東海ラジオ放送(2008年まで)、中京テレビ、中日スポーツの野球解説者。 マスターズリーグ名古屋80D'sersの選手としても活躍している。「間違いないですね」が口癖(東海ラジオのナイターオフ番組ガッツナイタープラスの2007年バージョンで、リスナーが考える「間違いないですね」にあった質問を募集し、質問の最後に川又本人の「間違いないですね」の肉声が使用される大喜利的要素を含む内容の不定期企画があった)。
2007年、名古屋市でクラブチーム「NAGOYA23」を結成し、総監督に就任。
[編集] 人物
充電中の長嶋茂雄が中日の臨時コーチに来たときに教本通りのフォームであることを褒め、「プック」というニックネームを授けた。
1990年のシーズンは星野仙一監督の鉄拳制裁が話題になっていた当時だったが、ある試合で川又がチャンスでタイムリーヒットを打った時に、(相手の守備にエラーなどあり十分に2塁に進めるチャンスがあった筈だったが)1塁ベース上で味方のランナーのホームインに見とれてしまい、その走塁の怠慢さに星野がベンチで猛激怒し、ベンチ内の扇風機を叩き壊してしまい、その光景を1塁ベース上で見た川又は喜びから顔面蒼白になった。というシーンがよく珍プレーで出てきた。
現役時代の川又の応援歌は、現在は中日のチャンステーマになっている(歌詞は一部変更されている)。因みに初期の頃は「ウルトラマン」の曲を原曲としたもので、爆風スランプのヒット曲「Runner」を原曲としたものもあった。
好打者ながらも鈍足なため、現役時代「足が速ければもっといい選手になれたのに」と言われ続けた。
守備が下手で川又の守備位置にフライが上がるとぞっとすることから「スリラー」と言う別名をもらっていた。そのため、パ・リーグからDHとして欲しがられ、度々トレードの申し込みがあった。 また鈍足で打球判断も悪いため、ギリギリのランニングキャッチやダイビングキャッチも度々で、“ファインプレー”を演出することも多かった。
星野と現役時代を共にしながら、第一次星野政権下で放出されなかった数少ない中日OBの一人である。
夫人はイラスト製作を趣味としており、雑誌「月刊ドラゴンズ」の誌上企画で川又がインタビューする中日選手の似顔絵を掲載している。
1997年に引退後(2002年~2004年までのコーチ時代を除く)中京テレビと東海ラジオ放送の解説を務めているが、川又は長嶋茂雄の大ファンで日本テレビの長嶋引退記念特別番組に観客の一人として出演していたほどである(引退した1974年当時中学生だった)。
その映像が引退後初のレギュラー番組ズームイン!!朝!で取り上げられると「う~ん、中日にも優勝してほしいが…長嶋さんのことを考えると巨人にも優勝してほしい…」と発言。コンビを組んでいた中京テレビの佐藤啓アナが慌てて「何言ってるんですか!!中日が優勝でしょ!!」と突っ込まれた。その後もMCの福澤朗から「長嶋さんに優勝させたいですね!?」て突っ込まれ「う~ん」と優柔不断になってしまうという(入団当時と引退当時の巨人監督は長嶋である)、このように長嶋ファンである。
その長嶋は、現役時代の川又の打撃を「少年野球をしている子供たちが見習うべきフォーム」と絶賛したこともある。
酒を飲むとすぐ赤くなるので、川又に酒を飲ますなと言われることがよくあったという。引退後もなべを囲んで酒を飲みながら対談をする収録などでは顔を真っ赤にしている。
自身の現役時代の応援歌は今もなお、中日のチャンステーマとして使用されている(原曲は川口オートレース場のテーマソング「ぶっちぎりの青春」)。昔は東京ドーム限定だったが、今は(神宮球場(太鼓が使えないため)を除き)どこの球場でも使われている。
井端弘和を研ナオコに紹介したのは、川又との事である(『榊原郁恵のおしゃべりパーク歌うリクエスト』最終回より)。
ロックミュージシャン忌野清志郎と親交が厚く、忌野が名古屋でライブを行う際には特別ゲストとして川又がステージに登場することが度々ある。この時、忌野は川又のことを歌った名古屋限定の曲を披露するパターンが多い。
大学時代に出場した神宮の試合で、石橋貴明から「オイ!川又」と野次られた経験がある(2009年11月19日放送・とんねるずのみなさんのおかげでした・「新・食わず嫌い王決定戦」より石橋談)。
[編集] 年度別打撃成績
| 年度 | チーム | 背 番 号 |
試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁打 | 打点 | 盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
失 策 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1979年 | 中日 | 46 | 46 | 57 | 47 | 2 | 13 | 3 | 0 | 0 | 16 | 5 | 1 | 0 | 0 | 2 | 7 | 1 | 10 | 1 | 1 | .277 | .368 | .340 |
| 1980年 | 25 | 25 | 25 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | .120 | .120 | .240 | ||
| 1981年 | 11 | 14 | 13 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 1 | 0 | .231 | .286 | .231 | ||
| 1982年 | 24 | 26 | 26 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 1 | .154 | .154 | .231 | ||
| 1983年 | 23 | 32 | 57 | 49 | 8 | 16 | 1 | 0 | 6 | 35 | 14 | 0 | 1 | 0 | 2 | 6 | 0 | 12 | 1 | 1 | .327 | .386 | .714 | |
| 1984年 | 41 | 36 | 35 | 2 | 4 | 2 | 0 | 0 | 6 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 11 | 0 | 0 | .114 | .139 | .171 | ||
| 1985年 | 122 | 422 | 362 | 43 | 105 | 27 | 3 | 9 | 165 | 44 | 2 | 4 | 4 | 2 | 52 | 2 | 50 | 6 | 3 | .290 | .380 | .456 | ||
| 1986年 | 115 | 403 | 358 | 41 | 99 | 20 | 1 | 9 | 148 | 42 | 3 | 0 | 6 | 7 | 32 | 0 | 57 | 9 | 7 | .277 | .330 | .413 | ||
| 1987年 | 123 | 420 | 376 | 40 | 95 | 16 | 4 | 16 | 167 | 57 | 6 | 2 | 7 | 0 | 37 | 0 | 33 | 5 | 1 | .253 | .320 | .444 | ||
| 1988年 | 122 | 381 | 318 | 30 | 89 | 18 | 2 | 6 | 129 | 35 | 3 | 2 | 12 | 6 | 45 | 0 | 36 | 5 | 4 | .280 | .363 | .406 | ||
| 1989年 | 113 | 324 | 271 | 33 | 77 | 19 | 0 | 4 | 108 | 31 | 3 | 2 | 10 | 2 | 40 | 0 | 30 | 7 | 6 | .284 | .374 | .399 | ||
| 1990年 | 94 | 212 | 167 | 18 | 41 | 14 | 0 | 2 | 61 | 18 | 2 | 1 | 4 | 2 | 36 | 3 | 34 | 3 | 1 | .246 | .385 | .365 | ||
| 1991年 | 83 | 160 | 130 | 20 | 43 | 11 | 1 | 5 | 71 | 29 | 1 | 0 | 3 | 3 | 24 | 0 | 33 | 1 | 1 | .331 | .427 | .546 | ||
| 1992年 | 84 | 195 | 167 | 14 | 45 | 14 | 0 | 5 | 74 | 15 | 0 | 0 | 0 | 2 | 26 | 0 | 22 | 2 | 3 | .269 | .364 | .443 | ||
| 1993年 | 98 | 259 | 225 | 23 | 53 | 9 | 0 | 6 | 80 | 24 | 0 | 0 | 3 | 2 | 27 | 0 | 35 | 8 | 0 | .236 | .315 | .356 | ||
| 1994年 | 85 | 133 | 104 | 12 | 28 | 4 | 0 | 2 | 38 | 12 | 1 | 0 | 0 | 2 | 24 | 2 | 15 | 4 | 0 | .269 | .409 | .365 | ||
| 1995年 | 85 | 160 | 138 | 12 | 32 | 5 | 0 | 2 | 43 | 16 | 0 | 0 | 1 | 1 | 20 | 0 | 15 | 1 | 1 | .232 | .327 | .312 | ||
| 1996年 | 64 | 58 | 45 | 2 | 12 | 1 | 0 | 1 | 16 | 12 | 0 | 0 | 0 | 1 | 12 | 0 | 14 | 1 | 0 | .267 | .414 | .356 | ||
| 1997年 | 48 | 45 | 41 | 0 | 9 | 3 | 0 | 0 | 12 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 13 | 1 | 0 | .220 | .289 | .293 | ||
| 通算成績 | 1415 | 3387 | 2897 | 303 | 771 | 167 | 12 | 74 | 1184 | 364 | 23 | 13 | 50 | 34 | 394 | 8 | 433 | 57 | 30 | .266 | .352 | .409 | ||
[編集] 記録
- 通算1000試合出場 1992年7月5日(304人目)
[編集] 現在の出演番組
- PRIDE&SPIRIT 日本プロ野球(巨人-中日戦中継時に登場するほか、巨人-中日戦が東京ドームで開催される際、トップナイターの解説者として出演することがある。)
- SPORTS STADIUM
[編集] 過去の出演番組
- 東海ラジオ ガッツナイター※2008年まで出演。
- J SPORTS STADIUM(制作協力が東海テレビの場合のみ、「東海ラジオ解説者」として登場する)
[編集] 背番号
- 46(1979年 - 1982年)
- 23(1983年 - 1997年)
- 86(2002年 - 2004年)
[編集] 関連項目
- 東京都出身の人物一覧
- 中日ドラゴンズの選手一覧
- 中利夫
- 近藤貞雄
- 山内一弘
- 高木守道
- 山田久志
- 落合博満
- 和田明 - 早稲田実業在学時の野球部監督
- 和泉実 - 早稲田実業野球部での後輩
最終更新 2009年11月23日 (月) 12:18 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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