川口幹夫
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川口 幹夫(かわぐち みきお、1926年9月25日 - )は、日本放送協会(NHK)の第16代会長。鹿児島県川辺郡川辺町(現南九州市)出身。
[編集] 来歴・人物
旧制県立四中(現・県立川辺高校)、旧制七高を経て、東京大学文学部卒業後、1950年NHKにディレクターとして入局。初任地は福岡放送局。その後、演芸畑を歩む。
『NHK紅白歌合戦』を国民的番組に育て上げ、多くの音楽番組の演出・制作で活躍した。その後制作局ドラマ部担当部長、部長として『大河ドラマ』や当時新進気鋭のドラマ作家を起用し数々の番組作りに関わる。ドラマ部長時代には若手を抜擢したところ和田勉、深町幸男などのベテラン・ディレクターが奮起し、多くの名作を生んだ。ドラマ部内での数少ない佐々木昭一郎の理解者であった。専務理事・放送総局長まで昇進したが、自民党宏池会と深いつながりを持つ島桂次と会長の座を争い、敗れる。
理事退任後、NHK交響楽団理事長に就任。海老沢勝次との抗争で島会長が失脚した後、1991年NHK会長に就任、1997年に退任した。
在任中は島前会長の商業化路線を否定。「ラジオ深夜便」等の24時間放送やFM文字多重放送を推進した。一方で、FMローカル放送のブロック化を推進するといった地方局の合理化を進めたり、中波放送のステレオ化には消極的といった姿勢も見せたりした。
- 会長就任時に「番組制作は農業である」と発言し、長期的視野にたった番組作りを訴えた。また、あらゆるタブーへの挑戦を説いた。
- NHKスペシャル「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」のやらせが発覚した際には放送総局長・曾我健を委員長とする調査委員会を設け、徹底的に番組の問題点を洗い出し、調査報告にまとめ公表した。また、この問題でNHK経営委員会に進退伺いを提出したが、辞任する必要なしとの回答を得た。
[編集] 脚注
- ^ 保守派の評論家から「核の冬につながらない限定核戦争も可能で、こうした内容はソビエト連邦の脅威を薄め、それに対抗する西側の核戦略を否定的に見ている」といった批判(岡崎久彦・佐瀬昌盛・曽野明「NHK『核戦争後の地球』の荒唐無稽」」(座談会)『文藝春秋』1984年10月号、など)がなされ、それに乗じた議員の質問があった。
[編集] 関連項目
- 若さとリズム…職員時代に制作統括担当。
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最終更新 2009年10月16日 (金) 13:18 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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