川口能活
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| 川口 能活 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ヨシカツ、Yoshi | |
| カタカナ | カワグチ ヨシカツ | |
| ラテン文字 | Kawaguchi Yoshikatsu | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1975年8月15日(34歳) | |
| 出身地 | ||
| 身長 | 180cm | |
| 体重 | 77kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ジュビロ磐田 | |
| ポジション | GK | |
| 背番号 | 1 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1994-2001 2001-2003 2003-2004 2005- |
193 (-) 12 (-) 8 (-) 128 (-) |
|
| 代表歴2 | ||
| 1997-2008 | 116(0) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月30日現在。 2. 2008年11月19日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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川口 能活(かわぐち よしかつ、1975年8月15日 - )は、日本のプロサッカー選手。静岡県富士市出身。ポジションはゴールキーパー。Jリーグ・J1のジュビロ磐田所属。
闘志を全面に出し、味方を叱咤激励し、最後尾からチームを鼓舞する。「炎の守護神」、「魂のGK」ともよく表現される。長年に渡り日本代表に選出され、CAP数は井原正巳の122に次ぐ116を記録している。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] きっかけ
小学校3年生からサッカーをはじめる。サッカーをすることになったきっかけは、多くのサッカー選手の憧れであるキャプテン翼の影響や、兄の薦めなどで決定した。地元のサッカークラブ「天間サッカースポーツ少年団」(現在の鷹岡天間サッカースポーツ少年団)にも所属する。 ゴールキーパーのはじまりは、試合に上級生の正GKが休んだことで、当時様々なポジションを転々としていた川口が代役ゴールキーパーを務め、その試合で「はまっちゃった」といい、魅力によって本格的に位置に就いた。 1986年、地元のサッカークラブ・富士FCに所属。全日本サッカー静岡大会で優勝する。この頃から、各チームの選抜選手に選ばれ大きな公式大会を経験しはじめる。
[編集] 中学時代
1988年、小学校卒業後、よりサッカーに専念できる環境を望み、私立でサッカー名門の東海大学第一中学校(現在の東海大学付属翔洋高等学校中等部)に入学。入学早々、監督に見込まれ即練習に参加する。そして、1年生で正GKになり、その年の全国中学校大会で準優勝する。その後も数々の大会で優勝・好成績をもたらす。1990年、ジュニアユース代表に選出される。
[編集] 清水商業時代
名門清水商業高校に入学。1年生ながらレギュラーの座を獲得。 全国高等学校サッカー選手権大会には2度出場した。[1]
第70回選手権大会、望月重良・平野孝らと共に出場し、3回戦で前園真聖擁する鹿児島実業高校に敗退。
雪辱を掲げた第72回選手権大会、田中誠・小川雅巳・佐藤由紀彦・安永聡太郎・鈴木悟ら、後のJリーガーを多数擁したメンバーで挑み、チームをキャプテンとして率いた。 準決勝で城彰二を擁する第70回大会の因縁の相手、鹿児島実業高校をPK戦の末に下し、雪辱を果たした。 決勝では1992年度王者の長崎県立国見高等学校と対戦。中心選手である船越優蔵を押さえ込み、2-1で勝利し念願の選手権優勝を果たす。
高校卒業後、横浜マリノスに入団。
[編集] 横浜マリノス時代
高卒1年目の1994年は、Jリーグ出場なし。
マレーシア国際トーナメント(1994年2月2日、クアラルンプール)U-23マレーシア代表戦に、その後のアトランタ五輪日本代表として初出場を果たす。 その後は正GKとして定位置を確立。
高卒2年目にしてJリーグ出場(4月26日・柏戦)を果たす。初出場で浮足立ったプレーもあったがゴールを守り、完封勝利で飾る。当時、日本代表の正GKであった松永成立から定位置を奪い、この年のセカンドステージは全試合出場。 優勝がかかったファーストステージ第25節の清水エスパルス戦で、1-2でリードされた後半ロスタイム、コーナーキックのチャンスでゴール前に上がりヘディングシュートをするものの惜しくもゴールポストに当たり得点にはならなかった(JリーグのGK初ゴールは田北雄気によるPK)。 チームはファーストステージを制し、迎えたチャンピオンシップでヴェルディ川崎を下し年間優勝。自身も初タイトルとなる、Jリーグ新人王を獲得。
Jリーグでは中河昌彦と代わりがわり出場した。 U-23日本代表としてアトランタ五輪予選、本大会に正GKとして出場。予選ではオリンピック出場が懸かった3月24日、サウジアラビア戦で好セーブを連発。サウジの怒涛の攻撃を1失点で凌ぎ切り2-1で勝利し、メキシコオリンピック以来、28年ぶりのオリンピック出場に大きく貢献。勝利が決まった瞬間川口は泣き崩れ、勝利を喜んだ。
7月22日、アトランタオリンピック1次リーグ。ロナウド、リバウド、ベベット、ジュニーニョ・パウリスタ、ロベルト・カルロス、アウダイール、ジーダら錚々たる面々を揃えたブラジルと対戦。下馬評で日本の圧倒的不利とされ、試合でも予想通りブラジルが怒涛の攻めを見せたが川口は神がかり的なセーブを連発。計28本のシュートを浴びながら失点を許さず、後半に伊東輝悦が挙げた1点を守りきりブラジルを破る大波乱の立役者として大きく賞賛される[2]。試合後、恩師のマリオに抱きつき喜びを爆発させた。(詳細はマイアミの奇跡を参照)
7月24日のナイジェリア戦では、攻撃陣も不発に終わり0-2で敗れる。 7月26日、ハンガリー戦、自身も叱咤激励し上村健一、前園真聖などの得点で逆転勝利するも、勝ち点で及びはしたが得失点差で及ばず予選敗退となった。
マリノスは年間8位でシーズンを終える。
2月13日、キングスカップスウェーデン戦で、念願の国際Aマッチ初出場を果たす。その後常にA代表に選ばれ、以後長期に渡り楢崎正剛と共に日本代表のゴールマウスに君臨する。フランスW杯・アジア最終予選の全試合に唯一出場し、日本のゴールに立ち続ける。特にアウェー戦での活躍が大きく、9月19日のアブダビでのUAEでは、劣勢の状況の中、好セーブ連発で0-0と相手を封じ込め貴重な勝ち点1をもたらした。日本のサッカーの歴史に深く刻まれる“ジョホールバルの歓喜”でも2失点はしたが、安定した守備を披露した。
マリノスはファーストステージは5位、セカンドステージは3位で年間3位でシーズンを終える。
フランスW杯本大会のメンバーにも選出され全試合に出場。初戦のアルゼンチン戦では相手の23本のシュートを1失点のみで抑え、敗れたものの善戦した。その後のクロアチア・ジャマイカ戦でも奮闘するが敗れ、自身初のW杯は一次リーグ敗退に終わった。
横浜は前半、後半ともに4位で年間4位。
[編集] 横浜F・マリノス時代
チームの名称は変更。自身、28試合に出場。チームは前半7位、後半3位、年間5位に終わる。A代表は、試合数の少なさもあって3試合に留まる。
Jリーグファーストステージで久々の優勝を果たすが、鹿島アントラーズとのチャンピオンシップは初戦こそ引き分けたものの第2戦では自身のファンブルを含め3失点を喫し敗れ、1995年以来の年間優勝は成らなかった。
日本代表ではフランス大会後に就任したフィリップ・トルシエ監督の下では徐々に楢崎にポジションを譲る機会が多くなったが、楢崎が負傷し、代わって10月14日からのAFCアジアカップ2000では全試合に出場。アジアカップ、負けなしという最高の結果をもたらす。10月29日のサウジアラビア戦では、積極的な守備と、終盤の劣勢に回る展開には神懸かり的なセーブで優勝に大きく貢献。活躍が報われ、その後のFIFAコンフェデレーションズカップ2001で正GKに復帰。
横浜はファーストステージを制し、セカンドステージ5位の年間2位と完全優勝をあと一歩のところで逃した。
イングランドへの海外移籍を決定。Jリーグは25試合出場。チームも前半15位、後半10位の年間13位とここ最近で最低の順位に終わる。
[編集] 国外移籍
- 2001年
イングランドのポーツマスFCへGKでは日本人で初の国外移籍を果たす。地元のファンやマスコミは日本からの大型助っ人と歓迎した。しかし、本人は英語も話せたが、試合中でのコーチング・瞬時のクリア指示など意思疎通の面で難を見せ、会長から疎まれていたこともあり出場もままならない苦悩の時期が続いた。
試合勘など、不満の残る状況が続きコンディションを落とし日韓W杯では2大会連続で代表に選ばれるも、出場の機会は叶わず、またしても苦悩する。
周りからは、あまりの不調に日本復帰した方がいいのでは等の声があったが、「海外で位置を確立し、成功するまで日本には帰らない」と語り、2003年、出場機会を求めてデンマークのFCノアシェランに移籍。しかしここでも出場には恵まれなかった。
だが2004年のアジア杯で全6試合に出場。大活躍を見せ久々に脚光を浴びる。イラン戦で好セーブを連発。完封勝利に貢献すると、ヨルダン戦でもファインセーブを連発。1-1のまま縺れ込んだPK戦では、入ったら負ける2本のシュート(3回終了時1-3)を止め、奇跡的な勝利を呼び込む。中国との決勝戦でも、アジア杯を締めくくるような活躍をして2大会連続優勝、3度目のアジア制覇に大いに貢献し、自身の地位も復活させた。アジアカップ2004 ベストイレブンのタイトルも獲得した。
2004年のシーズンオフ、日本復帰することが決まった。セレッソ大阪などが獲得に乗り出していたが、地元静岡のジュビロ磐田に移籍した。
[編集] ジュビロ磐田時代
背番号は自身、久しぶりの1を背負う。移籍初年は29試合に出場。チームは6位でシーズンを終える。
日本代表でも安定した守備で正GKとしてドイツW杯アジア最終予選突破に貢献。
自身3度目となるドイツW杯のメンバーに選ばれ2大会ぶりに正GKとして出場。初戦のオーストラリア戦。オーストラリアの再三の攻撃をファインセーブで凌ぐも、飛び出しのミスから同点にされ[3] 、終盤に3失点を喫する。負ければグループリーグ敗退が決定の、対クロアチア戦では、宮本恒靖が与えたスルナのPKをセーブし、ワールドカップにおいてPKを止めた史上20人目のGKになった。[4][5] ブラジル戦では計21本のシュート(ほとんど枠内)を浴び4失点を喫するも、ここでも好セーブを見せ、グループリーグ敗退に終わったチームの中から『1次リーグ敗退国ベストイレブン(FIFA発表)』控えGKに選定された(正GKはチェコのペトル・チェフ)。またワールドカップ2006スーパーセーブベスト10中6位に選ばれた。
その後の日本代表監督イビチャ・オシム就任以降は、不動の守護神、そしてキャプテンとして、日本代表を率引する。 背番号も、登録上の関係でAマッチの公式戦以外では、2002年以来の背番号1を与えられる。
磐田は5位でシーズンを終える。自身初のJリーグ ベストイレブンのタイトルを獲得。
自身3度目のAFCアジアカップ2007に正GKとして全試合出場。
7月21日のW杯の因縁の相手、オーストラリアとの準々決勝。1-1で延長戦でも決着が着かず、2004年のアジアカップと全く同じ環境でPK戦。1番手のハリー・キューエルを阻止。続く2番手ルーカス・ニールも阻止し、後続の日本が決め、1-1(PK4-3)で勝利し、3年前のヨルダン戦とまったく一緒のスコア、セーブで大車輪の活躍となった。[6]
磐田はJリーグ最低の9位でシーズンを終える。シーズンオフ、契約期間の満了に伴い、ガンバ大阪などが獲得に乗り出したが、磐田に残留。
3月26日の2010 FIFAワールドカップ・アジア地区予選(3次予選)、アウェーでのバーレーン戦で、相手のセンタリングのボールを捌ききれず痛恨の失点を喫した。この後、楢崎が定位置に就くようになった。
5月10日第12節、新潟戦(東北電力スタジアム)で史上32人目、GKとしては史上3人目のJ1通算300試合出場を達成する。[7]
7月20日第18節大分戦(九州石油ドーム)で、ウェズレイと交錯した際にスパイクが顔に直撃し、出血が止まらない大怪我に見舞われた。診断は口の内部を4針縫う裂傷。今でもその縫合の痕が顎部に見受けられる。 このことが試合でファウル判定されなかった為、後日川口がJリーグに対し、抗議文を提出した。[8]
3月7日第1節の山形戦で6失点、3月14日第2節のG大阪戦で4失点、2試合合計で10失点の屈辱を味わう。 3月19日には自身の不調とクラブの不振から、3月28日に行われる2010 FIFAワールドカップ・アジア最終予選バーレーン戦で4年4か月ぶりに怪我以外で代表落選してしまった。J126節の京都サンガ戦で相手FW金成勇と接触した際に右脛骨骨幹部骨折で全治5~6ヶ月と診断され、1998年以来4大会連続ワールドカップ出場に暗雲が立ち込めている
[編集] 特徴・スタイル
- ゴールキーパーとしては小柄な体格であるが、ゴール前での果敢な飛び出しと俊敏な反応が武器である。かつてマスコミは、積極的に飛び出す勇猛果敢な川口を「動」のGK、冷静沈着な楢崎を「静」のGKと表現していた。
- 積極的に前に出るイメージはあるが、ペナルティエリア外に出るようなプレーはそれほどない。ペナルティーエリア内でのプレーにおける一瞬の判断で、一般的なGKがゴール前で待ち構えるような場面で飛び出し、パスやクロスをカットするなどしてピンチを未然に防ぐことを得意としている。
- ハイボールの処理が欠点で、しばしばイージーミスから失点を許している。これは積極的に飛び出すプレースタイルが災いしていることもあるが、川口自身はピンチを未然に防ぐことが第一と考えており自身のスタイルを崩そうとはしない。
- 他のGKに比べ、腰を低くし、コンパクトに構えるのが特徴(本人曰く重心を低くする事によって相手の動きがゆっくり見えるらしい)。
- GKにとって最も難しいプレーのひとつともいえる“ゴール手前でワンバウンドするボール”の処理がうまい。一般的にはフィスティング(はじいて)で処理する、またははじいてしまうような低くて速いシュートもキャッチすることが多い。
- ニアサイド(ポストに近い側)のシュートをどちらかというと苦手としている。
- ペナルティーキックにかなりの自信を持ち、PKの阻止率は高い。実際にこれまでの重要な国際試合で神懸かり的な活躍を見せている。1995年のプロ入り以来、11回PK戦を経験しているが、1本でも止めた時は必ず勝利している。川口がPKを行うときの周りの雰囲気・キッカーの動きを予測するここ一番の集中力は奇跡と称される。(本人曰くPKを止めるコツがあるらしいが「企業秘密」を貫いている)。
- 自身からのリスタートはパントキックより、スローイングが多い。素早い攻めのために行う川口の攻めである。
- 以前はフィードの精度の高さに定評があった。
- 好不調の波が欠点として挙げらることもあるが大舞台に強く重要な国際試合で神懸かり的な活躍を見せてきた。
- 昔から「練習の虫」と言われるほど努力家で、練習量が多いことで有名。
- 豊富な経験を生かし、若手選手などに解りやすいアドバイスをしている。そのためクラブチーム、日本代表問わず尊敬している選手が多い。
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴
- 1987年 - 1990年 東海大学第一中学校(現:東海大学付属翔洋中学校・高等学校)
- 1991年 - 1993年 清水市立商業高等学校
- プロ経歴
- 1994年 - 2001年10月
横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)
- 2001年11月 - 2003年8月
ポーツマスFC
- 2003年8月 - 2004年
FCノアシェラン
- 2005年 -
ジュビロ磐田
[編集] 人物
[編集] 選手として
- かつては、自らがストイックなあまり周囲に厳しすぎるという一面もあり、チームメイトに対しての怒鳴るコーチング、叱責などは日常茶飯で、高校時代からのチームメート田中誠は、「彼は高校時代、いつ休んでるのかわからないくらい朝から晩まで練習していた、試合中は後ろ(=川口)がうるさくて、耳が痛くなるくらいだった」と語っていた。
- ファンをとても大切にしている。横浜時代に「100人いたら100人にサインする」と語っていたように、試合後の観客に対する感謝の態度もよい。
- ゴール前での相手選手との衝突により顎の肉が貫通する大怪我を負い、その1週間後の試合に顎を保護した姿のままゴールマウスに立っており、その試合で相手チームにゴールを許してしまい、ゴール横の水の入った容器を地面に投げつけ、蹴り、その後、地面に手をついて怒り泣き狂いながら「何回同じ事すりゃ気がすむんだよ!」「チキショー」など、自分に向かって罵声を飛ばした時もあった。(やべっちFC・GET SPORTSで放送された)
- 元日本代表監督のイビチャ・オシムについては、「今までの監督の中で一番自分の能力を引き出してくれる」「(同監督への批判的な意見に対して)あんな監督いないですよ、オシムさんが日本のサッカー界にいてくれていることに感謝しなきゃいけない」[9]と話している。
- 元デンマーク代表のピーター・シュマイケルを目標にしている。
- 2008年6月から、「原点に立ち返りたい」という理由でスパイクシューズを白色だったものから黒色に変えた。[10]黒色スパイクは清水商業在学以来で、日本代表では初。
[編集] その他
- Jリーグオールスターにおいて三浦知良と並び、最多となる9回の出場を果たしている。
- 選手としてのストイックな姿勢と裏腹に、普段は天然ボケを連発するキャラクターとして数々の逸話を残している。
- 第47回NHK紅白歌合戦の審査員を務めた。
- 1999年11月12日に行われた、「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」に参加した。
- 地元である富士市と、眼前にそびえる富士山に、深い思い入れがある。[11][12]
- 2005年1月に元スカンジナビア航空勤務の日本人客室乗務員と結婚。2007年3月25日、第1子(女の子)が誕生。
- 2005年の衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査のイメージキャラクターを加藤あいと共に務めた。
- 日産自動車のCMで、イチローと共演している。
- 親交ではテリー伊藤や武豊など多方面に多数の親交がある。テリー伊藤は川口が結婚した時などは大変喜んでいた。[13]
- 中村俊輔とは横浜時代から仲が良いことで知られ、信頼も厚い。やべっちFCで「能活さんと一緒に試合に出られたらいい」などと語っていた。
- 横浜マリノスに入団したての頃は、女性に人気があり、誕生日などには山のようなプレゼントが届けられたこともあり、ある雑誌の表紙の撮影の際も、カメラマンから「俳優になったほうがいい」と言われたほどである。しかしアトランタオリンピックで一次リーグに敗退したあと、チームやキャプテンの前園真聖を批判したことにより、本来のストイックなイメージが伝わるようになる
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1994 | 横浜M | - | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 1995 | 横浜M | - | J | 41 | 0 | - | 2 | 0 | 43 | 0 | |
| 1996 | 横浜M | - | J | 15 | 0 | 13 | 0 | 0 | 0 | 28 | 0 |
| 1997 | 横浜M | 1 | J | 22 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 24 | 0 |
| 1998 | 横浜M | 1 | J | 34 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 35 | 0 |
| 1999 | 横浜FM | 1 | J1 | 28 | 0 | 6 | 0 | 2 | 0 | 36 | 0 |
| 2000 | 横浜FM | 1 | J1 | 28 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 36 | 0 |
| 2001 | 横浜FM | 1 | J1 | 25 | 0 | 7 | 0 | - | 32 | 0 | |
| イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
| 2001-02 | ポーツマス | 27 | 1部 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 12 | 0 |
| 2002-03 | ポーツマス | 24 | 1部 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 2003-04 | ポーツマス | 24 | プレミア | 0 | 0 | ||||||
| デンマーク | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2003-04 | ノアシェラン | 30 | デンマークリーグ | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 |
| 2004-05 | ノアシェラン | 30 | デンマークリーグ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2005 | 磐田 | 1 | J1 | 29 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 33 | 0 |
| 2006 | 磐田 | 1 | J1 | 34 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 38 | 0 |
| 2007 | 磐田 | 1 | J1 | 32 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 36 | 0 |
| 2008 | 磐田 | 1 | J1 | 33 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 34 | 0 |
| 2009 | 磐田 | 1 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 321 | 0 | 39 | 0 | 15 | 0 | 375 | 0 | |
| イングランド | プレミア | 0 | 0 | ||||||||
| イングランド | 1部 | 12 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 13 | 0 | ||
| デンマーク | デンマークリーグ | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | ||
| 総通算 | 341 | 0 | 39 | 0 | 15 | 0 | 397 | 0 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| UEFA | UEFA杯 | |||
| 2003-04 | ノアシェラン | 30 | 1 | 0 |
| AFC | ACL | |||
| 2005 | 磐田 | 1 | 1 | 0 |
| 通算 | UEFA | 1 | 0 | |
| 通算 | AFC | 1 | 0 | |
[編集] タイトル・表彰
- サッカー
- 1995年 - 新人王
- 1996年 - 日本年間最優秀選手賞
- 2001年 - FIFAコンフェデレーションズカップ2001 ベストイレブン
- 2001年 - AFC月間最優秀選手賞(6月)
- 2004年 - アジアカップ2004 ベストイレブン
- 2006年 - Jリーグベストイレブン
- 2008年 - Jリーグフェアプレー個人賞(ジュビロ磐田選手では初受賞)
- メディア
- 1995年 - ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー(著名人部門)
- 1996年 - 報知プロスポーツ大賞(Jリーグ部門)
- 1998年 - ベストドレッサー賞(スポーツ・芸能部門)
- 2002年 - 日本プロスポーツ大賞(2002 FIFAワールドカップ日本代表として)
[編集] 初出場
| 試合概要 | 開催年月日 | 対戦相手 | 勝敗 | 開催地 |
|---|---|---|---|---|
| オリンピックサッカー日本代表 | 1994年2月2日(マレーシア国際トーナメント) | ○1-0 | クアランプール | |
| Jリーグディビジョン1 | 1995年4月26日(第11節) | ○1-0 | 国立競技場 | |
| Jリーグオールスターサッカー | 1995年7月22日(J-Altairとして) | ●0-4 | 国立霞ヶ丘陸上競技場 | |
| サッカー日本代表国際Aマッチ | 1997年2月13日(キングスカップ) | ○4-0 | ナショナルスタジアム(バンコク) | |
| イングランド・ディヴィジョン1 | 2001年11月3日(第8節) | ○3-2 | ヒルズボロ・スタジアム | |
| デンマーク・スーパーリーグ | 2003年10月5日(第11節) | ●1-2 | アウェイ |
[編集] 代表歴
[編集] 主な出場大会
- 1996年 - アトランタオリンピック
- 1998年 - FIFAワールドカップ・フランス大会
- 2000年 - AFCアジアカップ2000 : 優勝
- 2001年 - FIFAコンフェデレーションズカップ2001
- 2002年 - FIFAワールドカップ・日韓大会
- 2004年 - AFCアジアカップ2004 : 優勝
- 2005年 - FIFAコンフェデレーションズカップ2005
- 2006年 - FIFAワールドカップ・ドイツ大会
- 2007年 - AFCアジアカップ2007 : 4位
[編集] 試合数
- 116試合 0得点(1997年 -)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1997 | 21 | 0 |
| 1998 | 9 | 0 |
| 1999 | 3 | 0 |
| 2000 | 8 | 0 |
| 2001 | 9 | 0 |
| 2002 | 2 | 0 |
| 2003 | 2 | 0 |
| 2004 | 11 | 0 |
| 2005 | 14 | 0 |
| 2006 | 19 | 0 |
| 2007 | 12 | 0 |
| 2008 | 6 | 0 |
| 通算 | 116 | 0 |
- 36試合 0得点(1994年-1996年)
| 五輪日本代表 | |||
|---|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 | |
| 1994 | 8 | 0 | |
| 1995 | 15 | 0 | |
| 1996 | 13 | 0 | |
| 通算 | 36 | 0 | |
[編集] 出版
[編集] 書籍
- ゴールはオレにまかせろ!「川口能活」―アトランタ若き守護神 (1996年7月発売、著・大貫哲義 主婦と生活社) ISBN 4391119129
- 川口能活〈PERSONAL BOOK〉YOSHIKATSU (1996年12月発売、小学館) ISBN 4091023266
- 魂のゴールキーパー 川口能活 (2006年3月発売、著・西川昭策 アールズ出版) ISBN 4862040128
- 川口能活 証 (2006年5月発売、著・山中忍 文藝春秋) ISBN 4163680101
[編集] ビデオ
- 川口能活 /横浜マリノス・オフィシャル・ビデオ (1996年11月21日発売、ポニーキャニオン)
[編集] 出演
[編集] 番組
- 東京フレンドパーク - TBS
- 情熱大陸[14] - TBS
- SmaSTATION[15] - テレビ朝日(SmaSTATION-3、香取慎吾と対談など)
- GET SPORTS(中西哲生とも対談) - テレビ朝日
- やべっちFC - テレビ朝日
- すぽると(試合後コメントなど) - フジテレビ
- 金子達仁のSports Press - ニッポン放送
[編集] CM
- 日産自動車(1998年)
- 大塚製薬 「エネルゲン」
- 参天製薬 「サンテエフエックス」
- 総務省「第44回衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査」投票啓発活動[16][17](加藤あいと共演、2005年)
- 東海漬物 「きゅうりのキューちゃん」(2006年)
- NEC 「VALUESTAR W」[18](2006年)(山本太郎、玉木宏が出演している)
[編集] イメージキャラクター
- セキュリティハウス・センター(契約会社)[19]
[編集] 関連項目
- マイアミの奇跡(1996年 アトランタオリンピック)
- ジョホールバルの歓喜(1997年 ワールドカップフランス大会最終予選)
- 1998 FIFAワールドカップ日本代表
- 2002 FIFAワールドカップ日本代表
- 2006 FIFAワールドカップ日本代表
- アシックス[20](契約メーカー)
[編集] 脚注
- ^ 高校サッカー選手権日本代表選手たちの「原点」 川口能活
- ^ 通信社揃って川口を「ヒーローだ」などと絶賛した。AP通信は、「打っては止め、打っては止め」という表現を何度もした。
- ^ クローズアップ川口能活「判断は間違っていなかった」 - gooスポーツ:NumberWeb
- ^ ワールドカップ 日本―クロアチア 奇跡を起こす男 川口能活:スポーツナビ
- ^ 川口、7.87で最高点:読売新聞、ニッポンのMVP~クロアチア戦
- ^ 日本 PK戦を制して3大会連続の準決勝進出 - APFBB
- ^ 磐田GK川口300試合「褒めて」チーム勝たす - サッカーニュース:日刊スポーツ
- ^ 磐田GKが顔面蹴られ負傷退場 - サッカーニュース:日刊スポーツ
- ^ ナンだ!?での発言。
- ^ 川口“原点”黒スパイクで鬼セーブ(サッカー) - スポーツニッポンSponichi Annexニュース
- ^ 富士市天馬出身プロサッカー選手川口能活さんインタビュー
- ^ TNC静岡ジモティーズ:川口能活(サッカー選手)
- ^ 日刊!テリー伊藤の痛快スポーツニュース
- ^ 情熱大陸:川口能活
- ^ SmaSTATION
- ^ 川口能活さん、加藤あいさんからのメッセージ:衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査
- ^ 選挙啓発イメージキャラクター
- ^ NEC新CMに川口能活がゲスト出演:デジタル家電総合情報サイト
- ^ 川口能活選手をキャラクターにセキュリティハウスが契約:防犯のセキュリティハウス
- ^ アシックス契約選手:川口能活
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月13日 (金) 03:06 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【川口能活】変更履歴

