川崎二郎
川崎二郎の最新ニュースをまとめて検索!
| 生年月日 | 1947年11月15日(62歳) |
|---|---|
| 出生地 | |
| 出身校 | 慶應義塾大学 |
| 学位・資格 | 商学士 |
| 前職 | 松下電器産業社員 |
| 所属委員会 |
総務委員会委員 |
| 世襲 | 三世 祖父・川崎克 父・川崎秀二 |
| 選出選挙区 | 比例東海ブロック |
| 当選回数 | 9回 |
| 所属党派 | 自由民主党(古賀派) |
| 党役職 | 政務調査会・電気通信調査会々 長三重県支部連合会顧問 三重県第一選挙区支部長 |
| 会館部屋番号 | 衆・第一議員会館702号室 |
| ウェブサイト | 川崎二郎のページ |
川崎 二郎(かわさき じろう、1947年11月15日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員。青山学院高等部及び慶應義塾大学商学部卒業。元衆議院議員の川崎秀二は父。
松下電器産業社員を経て、急死した父秀二の弔い選挙として1979年の第35回衆議院議員総選挙に出馬するも落選。1980年に父・秀二の地盤を引き継いで衆議院議員に初当選。1983年第37回衆議院議員総選挙で再度落選後、1986年第38回衆議院議員総選挙で復帰以後連続当選している。小渕内閣で運輸大臣として初入閣を果たし、続く小渕内閣第1次改造内閣では、運輸大臣と兼任で北海道開発庁長官を務めた。剛直な人柄で知られており、2000年に起こった加藤の乱では、加藤派の会長であった加藤紘一と行動を共にする。
選挙区の三重1区では、民主党の中井洽(元自由党)と毎回激しい選挙戦を展開している。現行制度導入後最初の1996年の第41回衆議院議員総選挙では中井に敗れるも、比例復活で再選。その後3回の選挙では小選挙区で勝利している。2009年の 第45回衆議院議員総選挙では小選挙区三重1区で落選するが 比例東海ブロックで当選する。
2005年の第3次小泉改造内閣では厚生労働大臣に就任した。父秀二と親子2代の厚生大臣になり、少子高齢化問題の解決が政策である。退任後も、「与党新型インフルエンザ対策P・T」「与党新雇用対策に関するP・T」座長として、「安心・安全」を旗印に数々の政策立案を行っている。
2009年には谷垣禎一総裁の下で国会対策委員長に就任。かねてより国対委員長の座を熱望していたとされ、念願のポストへの就任となった(産経新聞9月30日)。
[編集] 人物
- 鳥由来新型インフルエンザ対策座長
- 電気通信調査会会長
- サマータイム制度推進議員連盟幹事長
- 旧与党肝炎対策に関するP・T座長
- テニス愛好議員連盟幹事長
[編集] エピソード
「剛直な人柄である」とされるが、現場の判断を尊重し、即断即決を旨する。 川崎二郎の人柄を表す2つのエピソードがある。 運輸大臣在任中に、北朝鮮による「テポドンの発射」と「不侵船の侵入」という2つの事件が行った。 「テポドン発射」については、即時に「対禁輸措置」をとり、又「不侵船の侵入」については、しぶる幹部役人を押えつけ、46年ぶりに、海保巡視船の発砲を許可する等にその剛直さがあらわれる。 又、その反面厚生労働大臣時には、それまで、差別的な取り扱いを受けていた「ハンセン氏病看者」に対し、その差別的条項を即時撤廃、又大臣として謝罪に赴く等、やさしい一面も見せる。また、動物好きであると知られるが、中でも猫が好きで自身も飼っている。
川崎二郎からの発言:“I do not think that Japan should ever become a multi-ethnic society.”The New York Times, April 22, 2009.
[編集] 外部リンク
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 尾辻秀久 |
第6代:2005年 - 2006年 |
次代: 柳澤伯夫 |
| 先代: 藤井孝男 |
第74代:1998年 - 1999年 |
次代: 二階俊博 |
| 先代: 井上吉夫 |
第68代:1998年 - 1999年 |
次代: 二階俊博 |
| 党職 | ||
| 先代: 大島理森 |
自由民主党国会対策委員長 第50代 : 2009年 - |
次代: 現職 |
|
||||||||||||||||||||||
最終更新 2009年11月11日 (水) 04:48 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【川崎二郎】変更履歴

