川越街道
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川越街道(かわごえかいどう)とは東京都豊島区の池袋から埼玉県川越市に至る国道254号の街道名である。
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[編集] 起点・終点
池袋六ツ又交差点から日本橋方面は春日通り(引き続き国道254号)となっている。
[編集] 歴史
15世紀に江戸城と川越城を築いた太田道灌が部分的にあった古道をつないだものを、17世紀の江戸時代に川越藩の松平信綱によって、中山道の脇街道として整備されたのが川越街道である。この頃の川越街道は、板橋宿より中山道を分かれ、川越城大手門に至る13里半の道(注)であった(ほぼ現在の旧川越街道、埼玉県道109号新座和光線)。さらに川越からは、児玉街道が上野国藤岡に通じて中山道に合流しており、この2つの道を合わせて川越・児玉往還と呼ばれていた。中山道より行程距離が短かったため多くの通行者があり、物資の輸送を行う舟運と合わせ川越の重要交通路であった。
新座市の北の入間郡三芳町、ふじみ野市近辺では、現在も街道筋の松並木が残り、当時の風情を伝えている。
注)ここから、川越の特産品であるサツマイモを指して「九里(栗)より(四里)うまい十三里半」という言い回しが生まれ、江戸で宣伝文句として使われたという(ただし、由来については諸説あり)。
[編集] 宿駅の一覧
朝霞市「膝折(ひざおり)」はかつて村だったがこの地名の由来は、ある武士の馬がこの付近で足を骨折したためといわれている。また別に、江戸から徒歩で川越まで歩く行程でくたびれ、膝が痛くなり、さらに歩き鶴ヶ島市「脚折(すねおり)」では脚が折れるほどくたびれたことから、それぞれ膝折と脚折と呼ばれたとも言われこの二か所は対(つい)となっている。
明治期になると、川越街道に沿って東京から上州を結ぶ東上鉄道(現、東武東上線)が開通し、鉄道時代の幕開けとなった。
昭和初期になると、交通手段は徒歩から自動車となり、川越街道も東京都内において道路拡張工事がなされ、現在の川越街道の形になった。関越自動車道が開通するまでは交通情報の渋滞名所として名高かった上板橋の「五本けやき」は、川越街道の拡幅工事の際に上板橋村村長であった飯島氏が屋敷庭の木を残すことを条件に土地を提供したもので、現在も道路の中央に5本のけやきが残っている。
[編集] 通過する自治体
[編集] 現道
[編集] 沿線の主な施設
[編集] 東京都
- 豊島区
- 板橋区
- 練馬区
[編集] 埼玉県
- 和光市
- 和光消防署
- 和光市役所
- 陸上自衛隊朝霞駐屯地
- 朝霞市
- 新座市
- 三芳町
- 富士見市
- ふじみ野市
- 川越市
[編集] 関連道路
- 和光富士見道路
- 富士見川越有料道路
- 埼玉県道109号新座和光線(通称:旧川越街道)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 1967年頃の練馬区北町一丁目の街道風景 - 練馬区役所
最終更新 2009年11月9日 (月) 11:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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