市川猿之助 (3代目)
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| さんだいめ いちかわ えんのすけ 三代目 市川猿之助 |
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| 屋号 | 澤瀉屋 |
|---|---|
| 定紋 | 澤瀉 ![]() |
| 生年月日 | 1939年12月9日(69歳) |
| 本名 | 喜熨斗 政彦 |
| 襲名歴 | 1. 三代目市川團子 2. 三代目市川猿之助 |
| 父 | 三代目市川段四郎 |
| 母 | 高杉早苗 |
| 兄弟 | 四代目市川段四郎 市川靖子 |
| 妻 | 1. 浜木綿子 2. 藤間紫 |
| 子 | 香川照之 |
| 当たり役 | |
| 歌舞伎 『義経千本櫻』の狐忠信 『慙紅葉汗顔見勢』(伊達の十役)の十役早替り 『ヤマトタケル』のヤマトタケル 『オグリ』の小栗判官 |
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三代目 市川 猿之助(いちかわ えんのすけ、1939年12月9日- )は、歌舞伎役者、日本の俳優、演出家、京都造形芸術大学教授。本名は喜熨斗 政彦(きのし まさひこ)。屋号は澤瀉屋。定紋は澤瀉、替紋は三ツ猿。慶應義塾大学文学部国文学科卒業。
襲名後ほどなくして祖父・市川猿翁と父・三代目市川段四郎を相次いで亡くすという悲運に見舞われるが、祖父譲りの革新的な芸術志向をもって歌舞伎界を刷新。「春秋会」を率い、1968年『義経千本桜・四ノ切』で宙乗りを披露したのを皮切りに、ケレンの歌舞伎で一世を風靡した[1]。古劇の復活から古典の再創造、スーパー歌舞伎[2]の創造に至るまでの精力的な活動が舞台芸術にひとつの領域を切り開いた。
2003年11月に脳梗塞を発症して以降、舞台からは遠ざかっているが、スーパー歌舞伎や自身の手がけた復活演目の演出面でなおも活動を続けている。
目次 |
[編集] 年譜
- 1939年(昭和14年)12月9日 三代目市川段四郎の長男として東京に生まれる。
- 1947年(昭和22年)1月 東京劇場『二人三番叟』の附千歳で三代目市川團子を襲名して初舞台。
- 1963年(昭和38年)5月 歌舞伎座『義経千本桜・吉野山』の忠信、『黒塚』の鬼女などで三代目市川猿之助を襲名。
- 1965年(昭和40年) 女優の浜木綿子と結婚。同年12月に長男・香川照之誕生。
- 1968年(昭和43年) 離婚。長男は浜に引き取られる。
- 1988年(昭和63年) 古典芸能と化した近代歌舞伎に新風を吹き込むべく、スーパー歌舞伎を開始。梅原猛に脚本の執筆を依頼。演目『ヤマトタケル』を新橋演舞場で上演した。
- 2000年(平成12年)2月28日 女優の藤間紫と再婚。
- 2003年(平成15年) 脳梗塞を発症。以後現在まで舞台からは離れている。
[編集] 家族
母が映画女優高杉早苗。妹に女優の市川靖子、弟に四代目市川段四郎、甥に二代目市川亀治郎がいる。
[編集] 著書
- 『演者の目』(朝日新聞社、1976年)
- 『猿之助修羅舞台 - 未来は今日にあり』(大和山出版社、1984年) ※1994年に文庫化(PHP文庫)
- 『猿之助の歌舞伎講座』(新潮社とんぼの本、1984年)
- 『市川猿之助歌舞伎の時空』(PARCO出版局、1986年)
- 『夢みるちから スーパー歌舞伎という未来』(春秋社、2001年) ※横内謙介との共著
- 『スーパー歌舞伎 ものづくりノート』(集英社新書、2003年)
[編集] 受賞歴
[編集] 脚注
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最終更新 2009年11月3日 (火) 16:42 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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