常磐津文字太夫
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常磐津 文字太夫(ときわづ もじたゆう)は、常磐津節の太夫の名跡。
初代が常磐津節の創始者。当代は常磐津節17代目家元(文字太夫として9代目)。
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[編集] 初代
(宝永6年7月(1709年8月) - 天明元年1月21日(1781年2月23日))本名は駿河屋文右衛門。号は松根亭、松寿齋。
京都の人物。豊後節の宮古路豊後掾門下で右膳という。享保19(1734年)頃に江戸に下り、宮古路豊後掾の脇を勤めた。
元文4年(1739年)9月頃から江戸幕府によって豊後節が禁止された。その後も江戸に残り寛保3年(1743年)に江戸三座に復帰。延享4年(1747年)10月に関東文字太夫を名乗ろうとしたが差し止められ、さらに11月に中村座にて2代目市川團十郎、初代澤村宗十郎、初代瀬川菊之丞が揃った「三千両の顔見世」で常磐津文字太夫の看板を掲げた。宝暦3年(1753年)春、市村座での「鐘入妹背俤」の出語りで大当たり。壕越二三治との合作で「芥川紅葉柵」等を作曲。
[編集] 2代目
(享保16年(1731年) - 寛政11年7月8日(1799年8月8日))本名は越後屋佐六。通称「藤兵衛」。号は文中。弟が2代目兼太夫。
宝暦5年(1755年)に鐘太夫を名乗る。宝暦11年(1761年)5月に初舞台。その後初代常磐津兼太夫と改名、明和6年(1769年)11月に若太夫に志妻太夫とそれぞれ改名。安永3年(1774年)4月に立語りとなり、天明7年(1787年)2月に2代目文字太夫を襲名した。名手として誉れ高く多くの曲を語った。
[編集] 3代目
(寛政4年(1792年) - 文政2年12月1日(1820年1月16日))幼名は林之助。2代目の実子。
寛政11年(1799年)に2代目が死去し弟の2代目兼太夫との襲名争いで勝利し2代目兼太夫が破門され、まず2代目小文字太夫を襲名する。文化4年(1807年)に初舞台。同年11月市村座で初出勤。文政2年(1819年)7月に3代目文字太夫を襲名するがまもなく夭折。
[編集] 4代目
(文化元年(1804年) - 文久2年8月8日(1862年9月1日))
歌舞伎役者の4代目市川門之助が兼ねた。3代目小文字太夫から4代目文字太夫を襲名。晩年は初代常磐津豊後大掾。
[編集] 5代目
後の6代目常磐津兼太夫。
[編集] 6代目
(嘉永4年(1851年) - 昭和8年(1930年)2月15日)本名は常岡(真田)丑五郎助。
最初三味線方で3代目岸澤三蔵の門下となる。太夫に転進後、1888年に6代目小文字太夫の未亡人の養子となる。8代目小文字太夫を経て、1902年に6代目文字太夫を襲名。1926年に引退し2代目豊後大掾を名乗った。
妻の甥が7代目文字太夫。
[編集] 7代目
(明治30年(1897年)2月2日 - 昭和26年(1951年)5月4日)本名は常岡鉱之助。
父が常磐津小政太夫。養父が6代目文字太夫。東京の生まれ、4代目常磐津小文太夫から、1925年に9代目小文字太夫、1926年引退した6代目から相続し7代目文字太夫を襲名。
[編集] 8代目
(大正7年(1918年)8月17日 - 平成3年(1991年)3月19日)本名は常岡晃。
東京の生まれ、1948年に10代目小文字太夫、1951年に8代目文字太夫を襲名。常磐津協会会長、常磐津流保存会会長等歴任。受賞には1989年に勲四等瑞宝章。実子が9代目文字太夫。
[編集] 9代目
東京の生まれ、青山学院大学法学部卒業。6歳の頃から父8代目文字太夫の英才教育を受け、1959年に5代目小文太夫の名で初舞台。1976年に11代目小文字太夫を襲名。1991年に父が死去し17代目家元を継承。1994年に9代目常磐津文字太夫を襲名。現在は常磐津協会会長。
最終更新 2009年10月22日 (木) 11:28 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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