平和大橋 (広島市)
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| 平和大橋 | |
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欄干 橋全体 |
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| 所在地 | |
| 長さ | 85.56m |
| 幅 | 15m |
| 形式 | 4径間単純鈑桁橋 |
| 素材 | 上部工:鋼橋、下部工:RC構造、基礎工:? |
| 建設 | 1918年 木橋、1952年 鋼橋 |
| 橋の分類 | |
| 形式 - 国 | |
| 一覧 | |
| 橋の一覧 | |
平和大橋(へいわおおはし)は、広島県広島市の元安川にかかる道路橋。
ここより西にある西平和大橋と対になる関係にあり、ここでは一部内容を重複し記述する。
目次 |
[編集] 概要
広島平和記念公園南を通る平和大通りに掛かる橋。東に直進すると鶴見橋、上流側に元安橋、下流側に萬代橋が掛かる。
元々この地に架けられていた「新橋」という名の木橋が、1945年原爆被災の際に落橋、1952年に再架橋された。独特な形状をもつ高欄のデザインは、日系アメリカ人彫刻家のイサム・ノグチによるものである。
2002年から「平和大通りリニューアル事業」を市が推進、その一環として架け換えが検討されている。
[編集] 諸元
- 路線名:広島市道比治山庚午線(平和大通り)
- 橋長:85.56m
- 支間長:4@20.8m
- 幅員:15m
- 上部工:4径間単純鋼鈑桁橋(全溶接)
- 下部工:RC重力式橋台2基、RCラーメン橋脚3基
- 基礎工:橋台 - 杭基礎、橋脚 - 井筒基礎
- 設計:建設省中国四国地方建設局
- 施工:上部工 - 横河橋梁、下部工 - 松村組
- 備考:工事は建設省、所有および維持管理は広島市。高欄デザインはイサム・ノグチ。
[編集] デザイン
| 西平和大橋 | 平和記念公園 | 平和大橋 | |
| 命名 | Shinu(To Die) | Ikiru(To Live) | |
|---|---|---|---|
| ファイル:西平和大橋 01.JPG | ファイル:平和大橋 01.JPG | ||
| 備考 | 公園西に位置(本川) | 写真は公園内の平和資料館 手前の道路が平和大通り |
公園東に位置(元安川) |
それぞれにノグチによる命名がなされており、平和公園を基準に日が昇る東側は「生命」に、日が沈む西側は「死」にちなんだ名前となっており、人の生と死を暗示している。当初ノグチは、広島再建の理念を意味する「Tsukuru (To Build)」「Yuku (To Depart)」と命名していたが、現在のものに変更している。
モチーフについてはノグチ本人が詳細を明かさなかったこともあり、エジプトの死者を乗せる船や日本の古い船・太陽と月などと解釈されている。
ちなみに、傍に橋名が書かれた石碑があるがそこにはノグチの名は記されていない。また、平和資料館の真北にある原爆死没者慰霊碑も当初はノグチのデザインに内定していた経緯がある(詳細は当該リンク参照)。
[編集] 歴史
[編集] 戦前
1918年(大正7年)、現橋よりやや上流位置に天神町から対岸の大手町四丁目(当時の町名で現・同町二丁目内)に向かって「新橋」という名の木橋が架けられた。その後水害により一部が落橋・流出してしまったため、西にある「新大橋」(現在の西平和大橋)との導線を配慮し、1943年(昭和18年)からやや下流(現橋位置)に新しい木橋「(仮)新橋」に架け替えていた。
1945年(昭和20年)8月6日に被爆(爆心地から新橋:450m、仮新橋:470m)。壊れていた新橋および架橋途中の仮新橋ともに甚大な被害を受け新橋は完全に落橋、仮新橋は半分落橋し渡ることが出来なくなった。
[編集] 戦後
詳細は「戦災復興都市計画#広島の戦災復興計画」を参照
1949年(昭和24年)、広島平和記念都市建設法が公布・施行、対日援助見返資金により特別に国(建設省)の直轄事業で、新橋および新大橋の再架橋が決定した。建設省は橋の施工途中に、高欄デザインを平和記念公園をデザインした丹下健三に相談した。丹下はこの仕事をノグチに任せ、ノグチのスケッチから大谷幸夫が施工図を起こした。当初石造の予定だった欄干は予算不足でコンクリートに変更、高欄の高さ不足から誤って川に落ちる危険があると批判されたことにより当初のものより20cm嵩上げされた。
1952年(昭和27年)3月に開通。新しい橋の名称は一般公募で「平和大橋」「西平和大橋」に決められた。その斬新なデザインとノグチの国際的な名声の為に国内外からは非常に注目を集め、特に丹下は「私の設計した平和記念公園を引き立てる立派な橋だ」と絶賛した。一方で市民からは、高額な設計料を批判され平和大橋の両端の華奢な感じが「平和の脆さを象徴している」と皮肉られた。
その後平和大通りの交通量は増大し、この橋および西平和大橋共通して車道・歩道ともに幅員が狭く渋滞が多発するようになる。また竣工当時からの低い高欄も常に問題視され、毎年行われるひろしまフラワーフェスティバルでは、転落防止のため鉄パイプによる仮高欄が設けられ、川にはダイバーが待機している状況にまでなった。
[編集] 近年
1995年(平成7年)兵庫県南部地震発生をうけて耐震強度を計算したところ、阪神・淡路大震災クラスの地震で落橋の危険性があると判断された。
2002年(平成14年)、市は「平和大通りリニューアル事業」を推進、その一環としてこの橋と西平和大橋さらに西にある緑大橋の掛け換えが検討されるようになった。市は、現橋を将来的には車道専用橋にし、その代わりに両側に人道橋(歩道橋)を併設することを決定した。
まず、先に上流部分が整備、幅は6.5メートルでうち2メートルは自転車走行帯となる。平和大橋の上流15メートルの場所に少し離して架橋される。これは将来平和大橋が片側3車線の新橋に改築する予定があるため、その際の作業スペースを加えた空間確保のための措置である。完成後下流部分の歩道橋の架橋も検討される。
人道橋のデザインについては現況のノグチのデザインを配慮し、橋では国内初の国際デザインコンペを開催した。これに海外6カ国を含め29点が寄せられ、2009年(平成21年)3月に最終案を内定、北側は2014年(平成26年)完成を目指す。
[編集] 周辺
西詰ほとりに元安川の由来を書いた碑が、少し北へ行くと当時あった天神町の歴史および当時の新橋の写真などがある碑が建てられている。北側に平和記念公園が広がる。
東詰にはNHK広島放送局があり、広島電鉄宇品線が通る国道54号へと続く。最寄の駅は広電袋町駅で、その周辺に被爆建物である旧日本銀行広島支店もある。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- arch-hiroshima 広島の建築「平和大橋」
- Isamu Noguchi Garden Museum
- 広島原爆戦災誌 第二巻第二編(広島市、pdf)
- 歴史的鋼橋 G9-006平和大橋(土木学会)
- 平和大橋(広島市)
- 広島平和記念都市建設法の関連施設(同)
- 「平和大橋歩道橋の整備方針」の概要(同)
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最終更新 2009年4月30日 (木) 18:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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