平山亨

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 ひらやま とおる
平山亨
別名 八手三郎、田中守
生年月日 1929年3月19日(80歳)
出生地 日本の旗日本
民族 日本人
ジャンル 映画監督、テレビプロデューサー
活動期間 1954年 -1990年

平山 亨(ひらやま とおる、1929年3月19日 - )は、株式会社レッド・エンタテインメント・デリヴァー取締役[1]東映の元社員で、助監督(映画)、映画監督、テレビプロデューサーを勤めた。東映在社中のペンネームは『八手三郎』。作詞家としては『田中守』のペンネームも使用している。中山昌一は義兄。

目次

[編集] 経歴

  • 1954年(昭和29年)3月 - 東京大学文学部美術史科を卒業。その後、東映株式会社入社。京都撮影所助監督に就任、松田定次監督に師事する。『笛吹童子』で初のテレビ時代劇助監督を務める。
  • 1963年(昭和38年) - 映画監督に昇任し、『銭形平次 捕物控』(主演里見浩太郎)で初監督。
  • 1965年(昭和40年)12月 - 京都から東京に異動して、東映本社のテレビ部プロデューサーとして就任。
  • 1966年(昭和41年)10月 - 就任後は、『悪魔くん』でテレビドラマ初プロデュース。
  • 1971年(昭和46年)4月 - 『仮面ライダー』が大ヒット、『仮面ライダー』の生みの親の一人として名を知らしめる。
  • 1979年(昭和54年) - テレビ企画営業第二部長兼プロデューサーに就任。
  • 1990年(平成2年) - 東映を定年退職。「八手三郎」は、彼が所属していた東映テレビ事業部(現在は機構改革により映像本部テレビプロデューサー集団)の共同ペンネームとなり、引き続き使われている。最後のプロデュース作品は『じゃあまん探偵団 魔隣組』となった。
  • その後しばらく神社で神職を務めていた。
  • 2006年(平成18年) - 株式会社レッド・エンタテインメント・デリヴァーに取締役として就任。

[編集] 人物

スターシステムで知られる東映京都時代のノウハウを活かし、単純明快な作風のヒーロー番組を多期に渡って輩出。70年代以降の東映特撮路線の基礎を築き上げた。

平山の人物像として、水木しげる藤岡弘野田昌宏をはじめ、彼の「温厚さ、人柄の良さ」を挙げる関係者は多い。

仮面ライダー』第9・10話の撮影中の事故で主演の藤岡弘が重傷を負い、出演続行が不可能と判明した時には、緊急企画会議で毎日放送側やスタッフが「本郷猛の死亡案」に傾くなか、平山は頑なにこれに反対し、「子供達のオールマイティーの夢を壊すわけにはいけない(議事録より)」としてこれをさせず、2号ライダーの起用と翌年の藤岡の番組復帰につなげた。藤岡自身が認めるように、彼にとって平山は恩人であり、また「ダブルライダー」としての後年に残るセールスを実現しえたのは、ひとえに平山の功績である。『がんばれ!!ロボコン』では、「ロボコンに100点を!」というファンレターが届きメインライターの上原正三までもが「たまには、100点でも良いのではないか?」と言ってきた時には「100点を出すと、視聴者が離れる」と思い、断り続けた。特撮作品で組んだ山田稔とは親交が深く、自身の著書によると、実現はしなかったがプロデューサーを務めた『ペットントン』のパイロット監督を山田に依頼したり、亡くなる直前の山田の病床を見舞っていたという。

著書に、『仮面ライダー名人列伝』、『東映ヒーロー名人列伝』などがある。ここでは、関わった作品毎に、プロデューサー・監督・俳優・スーツアクターなど、多くのスタッフ・キャストに触れて、「名人である」と評している。声優で「名人」と断じているのは山本圭子(『がんばれ!!ロボコン』のロボコン役)だけである(他に、名前の出ている声優は納谷六郎のみ。納谷の場合は、「藤岡弘の代役を務めた」という事実に触れるだけに留まっている)。

一戸建ての自宅が、『超人バロム・1』第22話の「平山眼科」など、よく作品中のロケに使われている。『仮面ライダーV3』第5・6話の遺影など、肖像写真も劇中で使われることが多い。近年はボランティア活動にも深い関心を示している。2007年には、不用品を収集して支援活動にあてるボランティアサークル「ゆうあい」の顧問に就任するなど、親と子が無理せず参加できる取り組みに着目している。

[編集] 作品リスト

[編集] 映画

[編集] 助監督

ほか、130本以上

[編集] 監督

[編集] プロデューサー

[編集] 特撮テレビドラマ

[編集] テレビドラマ(特撮以外)


[編集] その他

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以下は、クレジットされていないが、企画協力などを行った作品である(『東映ヒーロー名人列伝』による)。 クレジットされているかどうか分からない作品も、含まれている(Wikipediaに記事がない作品など)。

なんらかの関わりがある作品
  • スパイダーマン(1978年5月17日〜1979年3月14日 東京12チャンネル系)※DVD-BOXによると、平山亨もごく初期の段階で企画に関わり制作に入る前の時点で吉川進に交代。また渡辺宙明によると八手三郎の名で『スパイダーマン』のOPを作詞したとのことである。
  • スーパー戦隊シリーズ
    • バトルフィーバーJ(1979年2月3日〜1980年1月26日 テレビ朝日系)※ごく初期の段階で企画に関わり制作に入る前の時点で吉川進、折田至に交代。
    • 太陽戦隊サンバルカン(1981年2月7日~1982年1月29日 テレビ朝日系)※鈴木武幸プロデューサーによると平山の推薦で同作に参加したの事である。
  • 特捜エクシードラフト(1992年2月2日~1993年1月24日 ADK)※監督の鈴村展弘によると平山の推薦で同作に参加したの事である。
  • 月曜ドラマランド悪魔くん(1986年9月15日 フジテレビ系)※英語教師の役で、平山亨が出演
  • ボイスラッガー(1999年1月12日〜3月30日 テレビ東京系)※総監督、俳優としての出演もあり

[編集] よく起用されたスタッフ・キャスト

[編集] 著作

  • 仮面ライダー名人列伝 子供番組に奇蹟を生んだ男たち 風塵社, 1998.1
  • 私の愛したキャラクタ-たち 朝日ソノラマ 1998.5
  • 仮面ライダーZX オリジナルストーリー 風塵社, 1998.8
  • 東映ヒーロー名人列伝 風塵社, 1999.2

[編集] 脚注

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  1. ^ 読売新聞 2007年12月20日紙面より
    http://job.yomiuri.co.jp/interview/jo_in_07122501.cfm

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月22日 (日) 11:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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