平岡ひろし

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本来の表記は「平岡凞」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。

平岡 凞(ひらおか ひろし、1856年(安政3年)8月5日 - 1934年(昭和9年)5月6日)は、日本鉄道技師、野球選手・指導者(監督)。

日本で最初の野球チーム創設者と言われているほか、日本初の民間鉄道車両メーカーである平岡工場の設立と経営に携わった。

目次

[編集] 人物

1871年(明治4年)アメリカへ自費留学、機関車・機械類製造技術のほかベースボールを修得し1876年(明治9年)に帰国した。日本の野球の祖。野球殿堂入り。日本で初めてカーブを投げた人物といわれている。平岡が投げるカーブは「魔球」と呼ばれ、学生野球の投手たちがその投げ方を教わるために彼の元を訪れたといわれている。

[編集] 新橋アスレチック倶楽部

アメリカから帰国後、平岡は工部省鉄道局技師となり新橋鉄道局に勤務、1878年(明治11年)新橋停車場構内に日本初の野球場「保健場」を作り(品川の八ツ山説もある)、アメリカ合衆国スポルディング社から用具の提供を受けたり、ユニフォームを作るなどして、日本初の本格的野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」を組織した。同チームではルールブックを毎年アメリカから取り寄せ当時の最新ルールを用いていたといわれ日本野球の発展に貢献したが、1888年(明治21年)平岡が鉄道局を退職したため解散となった。

[編集] 外部リンク

[編集] 関連書籍

  • 「ベースボールと陸蒸気―日本で初めてカーブを投げた男・平岡 凞」(小学館文庫 ISBN-10: 4094052410/ISBN-13:978-4094052411)

最終更新 2009年11月6日 (金) 12:04 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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