平沢貞通
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平沢 貞通(ひらさわ さだみち、1892年(明治25年)2月18日 - 1987年(昭和62年)5月10日)は、日本のテンペラ画家。北海道出身(東京都生まれ)。雅号は大暲(たいしょう)。
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[編集] 来歴・生涯
1911年(明治44年)、日本水彩画研究所に入所。1912年(明治45年)、旧制小樽中学校(現在の北海道小樽潮陵高等学校)卒業。1913年(大正2年)、日本水彩画会結成に石井柏亭・磯部忠一らとともに参画。1919年(大正8年)、第1回帝展に出品。1921年(大正10年)、第9回光風会展で今村奨励賞を受賞。1930年(昭和5年)、日本水彩画家会委員に就任。
実力派の画家としての地位を確立していたが、1948年(昭和23年)1月26日に帝国銀行椎名町支店で男が行員らに毒物を飲ませ12人を死亡させた事件(帝銀事件)の犯人として同年8月21日、突如警視庁に逮捕された。類似事件で使用された名刺を受け取っていたが持っていなかったこと(平沢は財布ごとスリにあったと主張)、過去に銀行相手の詐欺事件を4回起こしていたり、出所不明の現金を持っていたのが決め手ともいわれる。この現金については松本清張らが、当時画家として名が売れていた者としては不名誉な副業(春画作成など)で得たものと推理している。
平沢は取調べで自白をしたが、公判で無実を主張。しかし、裁判では1955年(昭和30年)に死刑が確定した。平沢は、虚言癖や記憶障害や判断力低下をもたらすコルサコフ症候群(狂犬病予防接種の副作用)にかかっており、過去の銀行詐欺事件や帝銀事件の自白もコルサコフ症候群による虚言ではないかと指摘する意見がある。
歴代の法務大臣が死刑執行命令書に署名しなかったため、平沢は執行されなかった。長年宮城刑務所に収監されていたが、その後高齢のため体調を崩し、1987年(昭和62年)5月10日に八王子医療刑務所で肺炎を患い獄中で病死した。享年95。確定死刑囚の収監期間37年は世界最長記録。
[編集] 著書
- 画集
- 「平沢貞通画集」(アオイコーポレーション)
- 「祈りの画集 獄中37年、生と死のはざまより」(ダイナミックセラーズ)
- 著書
- 「われ、死すとも瞑目せず 平沢貞通獄中記」(毎日新聞社)
- 「遺書 帝銀事件 わが亡きあとに人権は甦えれ」(現代史出版会)などがある。
[編集] 平沢貞通を演じた俳優
- 信欣三 - 映画『帝銀事件 死刑囚』(1964年)
- 仲谷昇 - 『帝銀事件』(テレビ朝日、1980年)
- 高橋昌也 - 映画『さらば、わが友 実録大物死刑囚たち』 (1980年)
- 榎木孝明 - テレビ朝日開局50周年記念『刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史』(2009年6月)
[編集] 関連項目
最終更新 2009年11月30日 (月) 15:46 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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