幸田優
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| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | 東京都 |
| 生年月日 | 1938年11月2日 |
| 没年月日 | 1995年6月9日(満56歳没) |
| 身長 体重 |
182cm 73kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1957年 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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幸田 優(こうだ すぐる、1938年11月2日 - 1995年6月9日)は、大洋ホエールズに所属していた元プロ野球選手(投手)。右投右打。
目次 |
[編集] 来歴・人物
1957年に荏原高から大洋ホエールズに入団すると、2年目の1959年には7勝(防御率2.86)を挙げ先発陣の一角として名乗りを挙げる。翌1960年には、秋山登のアクシデントもあり開幕投手に抜擢されるが、3-4と惜敗。そのまま波に乗れなかったのか2勝にとどまる。1962年の春キャンプで頭部に打球を受けてしまい、同年引退している。また1959年には日本記録となる1イニング4奪三振も記録している。シュート、フォークが武器。1995年6月9日にC型肝炎で亡くなった。
[編集] エピソード
- 2年目の1959年7月5日対広島17回戦の2回の表に先頭の4番大和田を2ストライク0ボールと追い込んだ後、ショートバウンドの球を大和田が空振りし、捕手の土井が逸らし振り逃げとなる二盗も決められ無死2塁となるが、続く5番藤井、6番横溝から連続三振を奪う。しかし、続く7番上田にレフト前に運ばれ1点を奪われてしまうが、8番興津を三振にきってとり、史上初の1イニング4奪三振を記録した。現在では多くの選手が記録しているこの記録だが、1点を奪われたのは幸田だけである。
- 日本一となった1960年の開幕戦では秋山登が相手・中日ドラゴンズのコーチである牧野茂の手から離れたバットを頭部に受け、病院に搬送されたために、開幕投手の代役を勤めた。
[編集] 通算成績
- 83試合 10勝 16敗 防御率2.90
[編集] 背番号
- 44
[編集] 関連項目
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