広島県立広島観音高等学校

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広島県立広島観音高等学校(ひろしまけんりつ ひろしまかんおん こうとうがっこう)は、広島県広島市西区南観音町にある全日制総合学科の県立高校である(定時制課程も併設している)。広島二中以来の伝統を汲む学校である。

近くには平和大通り広島西飛行場がある。部活動も全般的に盛んであり、特にサッカー部は2005年全国高等学校サッカー選手権大会に出場し、上位進出、2006年度の全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会で初の全国制覇を果たした強豪校でもある。

なお、観音の発音は「かんのん」ではなく「かんおん」である。

目次

[編集] 沿革

[編集] 廣島二中排球部

畑喜美夫が就任して以降サッカー部の活躍が目覚しいが、観音高校は戦前、廣島二中時代にバレーボールの先達として極めて大きな足跡を残している。日本のバレーボールの草分け・神戸高等商業学校(現神戸大学)から昭和3年(1928年)、同校で黄金期を築いた高橋哲雄と鎔(いがた)米二が卒業後、廣島二中にコーチとして赴任。昭和24年(1949年)の学校改革までの約20年間に明治神宮体育大会国体の前身)、全日本中等学校選手権などの全国大会優勝だけで10回、準優勝3回と旧制中学最強チームを築いた。さらに同校のOB達が進学・赴任した早稲田大学[2]慶應義塾大学京都帝国大学、山口高商(現山口大学経済学部)などのバレーボール部を創部。また多くの名選手を生んだが、特に長崎重芳前田豊は戦後も長く日本バレーボール協会の中枢にいて全日本監督、強化委員長、協会要職などで男子バレー、女子バレーとも強化指導を続け、1960年代から1970年代にかけての日本バレーボール黄金時代に大きな足跡を残した。

1989年発刊された『廣島二中排球部史』に於いて松平康隆は「広島二中ほど近代日本バレーに大きく影響を与えた旧制中学のバレーボール部は他にはなかったと思います。日本バレー史の大きな部分を広島二中OBの方々がになわれたことはまぎれもない事実であります。オリンピックで金メダル3回、銀メダル3回、銅メダル2回という赫々たる戦果を収めた日本バレー界でありますが、それらを指揮した歴代の全日本監督諸兄も私を含めて広島二中のOBの方々のご指導や影響を少なからず受けた人達であります。(抜粋)」との言葉を寄せている。(出典:廣島二中排球部史、同校OB会発行、1989年ほか)

[編集] 最寄駅

JR西日本山陽本線 西広島駅広島電鉄市電江波線 舟入本町電停

[編集] 出身著名人

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ [1] また、この時の様子を記録したドキュメンタリー「」(いしぶみ)が1969年広島テレビによって制作された。同作は同年の芸術祭のテレビドラマ部門で優秀賞を受賞している。
  2. ^ 早稲田大学バレーボール部

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月2日 (月) 08:57 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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