広瀬豊作

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広瀬 豊作(ひろせ とよさく、1891年11月17日1964年4月12日)は、大正昭和期の大蔵官僚鈴木貫太郎内閣大蔵大臣石川県金沢市出身。

加賀藩士広瀬嘉次馬の5男として生まれる。金沢一中第一高等学校を経て、1916年東京帝国大学独法科を卒業する。同年7月大蔵省に入省して主に理財畑を歩み、1929年預金部運営課長及び国債課長、1932年大臣官房文書課長を歴任、この間に寺内内閣清浦内閣の大蔵大臣を務めた勝田主計の娘を妻とする。

1936年3月に理財局長、5月に主計局長に任ぜられ、1937年には初代預金部資金局長となる。馬場鍈一結城豊太郎両大蔵大臣の片腕として活躍し、1940年第2次近衛内閣成立後は大蔵次官を務めた。

1941年に退官して弁護士を開業するが、太平洋戦争が開戦すると陸軍の要請を受けて南方軍軍政顧問としてシンガポールに赴任する。1945年鈴木貫太郎は組閣に際して財政のベテランである義父・勝田主計に大蔵大臣就任を要請するが、勝田は高齢を理由にこれを辞退して娘婿の広瀬を推挙、これを受けた広瀬は大蔵大臣に就任して太平洋戦争末期の財政運営にあたった。戦後、公職追放となるものの、1948年日野ヂーゼル工業会長に迎えられて1961年まで務めたほか、前田育徳会理事長を務めた。

最終更新 2009年4月3日 (金) 00:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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