廣田神社
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| 廣田神社 | |
|---|---|
![]() 拝殿 |
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| 所在地 | 兵庫県西宮市大社町7番7号 |
| 位置 | 北緯34度45分10秒 東経135度20分24秒 |
| 主祭神 | 天照大神荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命) |
| 社格等 | 式内社(名神大)・二十二社・官幣大社・別表神社 |
| 創建 | 神功皇后2年 |
| 本殿の様式 | 神明造 |
| 札所等 | 神仏霊場 巡拝の道68番(兵庫3番) |
| 例祭 | 3月16日 |
廣田神社(ひろたじんじゃ)とは、兵庫県西宮市にある神社である。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社(現在は神社本庁の別表神社)。中世には二十二社の下八社のひとつとされた。
目次 |
[編集] 祭神
天照大神荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと))を主祭神とし、脇殿に住吉大神・八幡大神・武御名方大神・高皇産霊神を祀る。
[編集] 歴史
日本神話に当社の創建のことが書かれている。神功皇后の三韓征伐に出発する際、天照大神の神託があり、和魂が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろうと言った。皇后の留守の間に忍熊王が神功皇后とお腹の中にいる皇子(後の応神天皇)を亡きものにしようと明石で待ち伏せていた。戦いを終え、帰途それを知った神功皇后は、紀淡海峡に迂回して難波の港を目指した。しかし、難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまった。そこで兵庫の港に向かい、神意をうかがうと、天照大神の託宣があった。「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」と。そこで皇后は、山背根子の娘の葉山媛に天照大神の荒魂を祀られた。これが廣田神社の創建である。このとき、生田神社・長田神社・住吉大社に祀られることになる神からも託宣があり、それぞれの神社の鎮座が行われた。すると、船は軽やかに動き出し、忍熊王を退治することができた。
朝廷より篤い崇敬を受け、延喜式神名帳では名神大社に列し、二十二社の一社とされ、たびたび奉幣勅使の派遣があった。平安時代後期より、神祇伯白川家との関係が深く、代替わりのごとに当社に参詣していた。中世には和歌の神として信仰されるようになり、社頭にて何度か歌合せが行われている。
当初は甲山山麓の高隈原に鎮座し、後に御手洗川のほとりに遷座したが、水害のため、享保9年(1724年)に現在の西山の地に遷座した。明治4年(1871年)には官幣大社に列格した(兵庫県で最初。伊弉諾神宮は1931年に列格)。
昭和20年に空襲によって社殿を焼失、現在の本殿は伊勢神宮荒祭宮の旧社殿を譲り受けて昭和31年に竣工したものである。平成13年に鎮座1800年の喜節を迎えた。
廣田神社を中心とする神社群は、京から西国方向を目指す街道上にある神社ということで「西宮」(にしのみや)とも呼ばれていた。「西宮」の語は、後に廣田神社の神郷一帯(現在の神戸市東部から尼崎市西部まで)を指すようになったが、行政区画では廣田神社が武庫郡大社村、戎社(現・西宮神社)が西宮町となり、現在は町村合併により西宮市に含まれている。
[編集] 施設
[編集] 境内社
- 摂社 齋殿神社 -- 神功皇后の命を受けて、天照大神御魂を広田の地に祀った葉山媛命を祀る。元は境外にあったが、享保12年に境内に遷座した。例祭日は5月8日。
- 末社 伊和志豆神社 -- 式内大社(宝塚市伊孑志にも同名の論社がある)。祭神は伊和志豆之大神。例祭日は12月18日。元は独立の神社で、明治6年に村社に列格した。大正6年に広田神社境内へ移転し、第二次大戦で社殿を失い、本殿に合祀された。平成2年に社殿を再建し、末社とされた。
- 五末社(八坂神社・子安神社・春日神社・地神社・稲荷神社)
- 末社 松尾神社
[編集] 境外社
- 境外摂社 名次神社 -- 西宮市名次町5。式内小社。祭神は水分大神。例祭日は10月11日。元は独立の神社で、明治11年に当社の摂社となった。
- 境外摂社 岡田神社 -- 西宮市岡田山4-1。式内小社「岡太神社」の論社(西宮市小松南町にも論社がある)。祭神は天御中主命。例祭日は3月5日。元は独立の神社で、明治11年に当社の摂社となった。
- 境外摂社 南宮 -- 西宮神社境内
上記含め、西宮市内に12社の境外社がある。西宮神社(西宮戎)も元は当社の境外摂社であった。
[編集] 参集殿
- 結婚披露宴・各種宴会・講演会・各種展示会などに使用される建物。日頃から吹奏楽などの地域の団体の活動に利用されている。
[編集] その他
- 境内にはコバノミツバツツジの群落があり、総数2万株に及ぶ。このツツジ群落は兵庫県指定天然記念物である。
- 阪神タイガースが全選手・監督・コーチをそろえて毎年キャンプイン前の1月に廣田神社(武運長久⇒優勝を祈願)に参拝する行事は、球団創立時からの伝統である。
- 神功皇后の新羅征伐からの帰還伝説に依拠すると思われる廣田神社・西宮神社の夏祭御神幸が戦国時代まで行われていた。やはり、神功皇后に従って先祖が出兵したとの伝説を持つ北風家等がある和田岬(輪田岬)まで、往路は数百艘の船で、復路は陸路で馬に乗った一群、辰馬、八馬、葛馬、乙馬、音馬、小上馬、六馬、七馬、十馬、中馬、大黒馬、一馬、大徳馬、小唐馬、善茂馬 等の家の者が付き従った。
- 主祭神の天照大神荒魂とは、瀬織津姫のことであったとする説がある。
[編集] 交通アクセス
- 阪急神戸線 西宮北口駅から阪急バス「甲東園」行きで「広田神社前」下車すぐ
- JR神戸線 西宮駅から阪急バス「甲東園」行きで「広田神社前」下車すぐ
- 阪神本線 西宮駅から阪神バス「山手東廻り」で、「広田神社前停」下車すぐ
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月26日 (木) 13:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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