広目屋

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広目屋ひろめや、正式名称株式会社廣目屋)は、日本の広告代理店である。1888年(明治21年)創業の老舗である。

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[編集] 略歴・概要

1888年(明治21年)、秋田柳吉が東京市京橋区五郎兵衛町(現在の東京都中央区八重洲2丁目)に開業した。「廣目屋」の命名は小説家仮名垣魯文である。当初は「楽隊広告」、いわゆる「チンドン屋」で知られ、「西の東西屋、東の広目屋」と呼ばれた。

1895年(明治28年)、日清戦争をテーマに、幻灯上映を芝区(現在の港区芝公園)の「弥生館」で、川上音二郎の演劇を「浅草座」でそれぞれ興行し、それがそれぞれ同社の「興行部」、「装飾部」の始まりとなる。「宣伝広告部」に関しては、

1897年(明治30年)、現在も同社の位置する銀座1丁目に移転、「宣伝広告部」と「興行部」、「装飾部」の3部を置く。同年2月21日大阪の荒木和一が、エジソン社の「ヴァイタスコープ」を大阪で公開、続いて3月6日には東京の「新居商会」が神田錦輝館(神田区錦町、現在の千代田区神田錦町)で公開するにあたり、宣伝の発注を受けた。同時に上陸したフランスリュミエール社の「シネマトグラフ」は大阪ではヴァイタスコープの7日前に公開されたが、東京では「3日間」早く公開することに成功した。

1905年(明治38年)、明治座で、日露戦争を撮影した『日露戦争実写活動写真』を興行。

1923年(大正12年)10月1日、「株式会社廣目屋」と法人組織に改組、現在に至る。

1972年(昭和47年)、現在地に本社ビルを竣工した。

[編集] データ

  • 所在地 東京都中央区銀座1丁目6-1 廣目屋ビル
  • 資本金 1,022万円
  • 代表者 取締役社長 島名富士夫
  • 事業内容
  • 博覧会、展示会等の催事のディスプレイ
  • 店舗インテリア、屋内外装飾、一般宣伝広告POP広告
  • 式典、集会場等の設営

[編集] 関連事項

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最終更新 2009年8月2日 (日) 13:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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